天国と地獄の証言
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燃える火によるバプテスマ5

燃える火によるバプテスマ 第5巻
(Baptized by Blazing Fire)
キム・ヨンドゥー牧師
(Pastor Yong-Doo Kim)

推薦の言葉
韓国と世界中の他の国々は現代のソドムとゴモラです。聖書は古代都市ソドムとゴモラついて記録しており、こ
の2つの不道徳な都市は彼らの悪と性的不道徳のために主によって滅ぼされました。天から火と硫黄が降りこれ
らの都市に破滅をもたらしたのです。第二次世界大戦中の広島はソドムとゴモラでした。
神殿と契約の箱があり、神がご自身を現わされたエルサレムでさえ滅亡が訪れたのです。神の民の悪しき行いの
ために異邦人によって滅亡させられたのです。韓国も例外ではありません。もし韓国が現在の状態を変えず、そ
のままの状態であり続けるなら、来るべき神の怒りを避けることは難しいでしょう。神の怒りは戦争です。北朝
鮮は現在凶悪な独裁国家です。彼らには人権や自由はなく、麻薬の製造・販売や偽造通貨の製造を行い、テロリ
ズムを支援する国家だと思われていて、核兵器を開発しようと企てています。彼らは今や核兵器国家だとみなさ
れています。北朝鮮は危険で不安定な段階に達してしまったのです。
最近主は私を再びアメリカに送り返されました。主は私を二度にわたって訓練なさいました。私が韓国から聞い
たニュースは韓国がみだらなことや遊興、政府の汚職に満ちているということでした。これらは韓国にとって大
きな問題です。多くの地域の預言者たちはもし韓国が悔い改めないならば大災害に直面するだろうと予言してい
ます。戦争がふりかかるでしょう。
幸運にも真実なクリスチャンたちの祈りが天に届いています。神は韓国に悔い改めを迫られ、戦争は経済危機に
取りかえられました。神は本来韓国に起きるはずだった戦争がアフガニスタンとイラクに移されたと語られまし
た。
韓国のクリスチャンには悔い改めたが真実な変革を見ることができないと言っている人もいます。私の心は平安
ではありませんでした。しかし私がキム・ヨンドゥー牧師によって書かれた『燃える火によるバプテスマ』を読
んだ後、平安になりました。この本は信者を主が望まれる状態に作り変える力があります。この本はまた韓国の
クリスチャンに真実な変革のための悔い改めをもたらす影響力があります。最後に、主は韓国にもう1度チャン
スを与えると確かに約束して下さっています。私はこの本を読む人々が取るに足りない神学的考えや先入観のあ
る意見によって批判しないことを願っています。どうかそれが「神秘主義」だと言って批判しないでください。
聖書は聖徒が生きているときに天国と地獄を体験したり目撃したりすること記録しています(第Ⅱコリント 12:
1~4)。聖霊のよりすばらしい賜物を受け取り、さらに深い霊的領域へ入っていく方法は、心から悔い改めるこ2
と、断食と夜通しの祈りや長時間の異言の祈りによって自分自身を訓練すること、そして真剣にそれを求めるこ
とです。
どうかこれらの貴重な本を読んで他の人々にもお勧めください。私たちは彼らが読んで心から悔い改め、悔い改
めが国中に広がることを願っています。これはニネベに与えられたような神の最後のチャンスです。私はみだら
なこと、遊興、物質主義、政府の汚職、またお金に対する愛着が消え去り、国家とクリスチャンたちが戦争とい
う災害を逃れることができるように願っています。私はクリスチャンたちが聖霊に燃やされた人となることを望
んでいます。
チョー・ホンサム牧師 セントラルチャーチ ワシントンDC アメリカ
(Pastor Cho, Hwang Sam, Central Church, Washington DC (area), USA)
はじめに
主の教会において、私たちは毎晩9時の集会を始めました。最初の集会の間、私たちは約1時間にわたって礼拝と賛美
をしながら聖霊において踊ります。私たちはその時取りなしの祈りとそれぞれ異なった必要と課題のための祈りを持ちま
す。その後、牧師が説教をし、メッセージを宣言するのです。これらは午後11時半までに終わります。私たちは分かち合
いと軽食のために30分の休憩を取ります。2番目の集会では、私たちは悪霊追い出しや聖霊の火を分け与えることとい
った他の牧師の務めをなします。私たちはそれから団結して、または個人的に祈りを始めます。人々は個人的な短いカ
ウンセリングの機会を持つことができます。
しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがた
が信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。(ヨハネ20:31) 
特別な配慮と完全なケアによって、三位一体の神は第1巻から第4巻をすでに出版させて下さいました。第5巻はもうす
ぐ出版されます。これはすべて主の素晴らしい恵みです。本の1つが出版された時、悪魔とその力が波状攻撃を仕掛け
て来て、それは私たちの想像を超えるものでした。第5巻は容赦のない攻撃のために遅らされてきました。私が悪魔と悪
霊たちの正体について書き、暴露するようになって以来、私は常に霊的戦いという代価を支払わなければなりませんでし
た。しかし、私は多くの牧師と夫人たち、信者たちによって強められました。彼らは私が経験していた戦いについて目が
開かれ、私の味方となって取りなし、私にメッセージと励ましを与えてくれました。その結果として第5巻が今出版されて
いるのです。
イエス様はかつて私に言いました。「キム牧師、今から後、あなたは多くの試みと大変な出来事に遭うでしょう。私は特に
体の健康によく気を使うよう勧めます。あなたの体はあなたのものではないからです。」その主の言葉はとても感動的で
ありがたいものでした。私はとても主に感謝しています。今、私はついに主が私に語られた言葉は本当に重要であったこ
とを悟りました。
私は今でも否定的な批判の言葉や他の教会や炎のバプテスマのミニストリーを理解しない牧師たちからの非難を耳にし
ます。しかし、彼らのうち何人かは主の教会を訪れ、個人的に悪魔との霊的戦いを経験しました。そして彼らはこのミニス
トリーが三位一体の神によって定められたものであると確信したのです。これは主のミニストリーです。火のバプテスマの
ミニストリーはクリスチャンが霊的戦いに勝利しなければならないことを確認します。霊的戦いは避けられない過程です。
聖霊が経験を通して確証して下さいました。3
第5巻において、私は驚くような祈りの応答、勝利を得た霊的戦いの記録、火によるバプテスマの経験の証拠、そして私
たちが火によるバプテスマのミニストリーにおいて直面するであろう問題についての主の預言を記録しました。応えられ
た驚くような祈りは私たちの教会をもっと大きい建物に移したいという願いでした。私たちは711フィート四方(訳注:約20
坪)の地下教会から 9400 フィート四方(訳注:約 260 坪)の建物に引っ越しました。また、中東において霊的戦いに勝利
した記録があります。私たちの教会から25人のメンバーが中東の国々へ各国の特別な支配権を持つ者に対して戦いを
挑むために旅をしました。
この本はクリスチャンの人生の多くの時が悪魔や悪霊との霊的戦いであるということを確証しています。この本は大いに
私たちを目覚めさせます。私はすべての栄光を私がこの本を書き、出版することを助けて下さった主におささげします。
私たちは深く仲間の信者たちや牧師たち、また出版社、編集チームに感謝しています。
第1章: 賜物を見分ける能力
* 主は毎日牧師に地獄を経験させることをよしとされる。
私たちの教会は年中休みなく夜通しの祈りの集会を持ちます。実を言うと、私は自分がリーダーであり牧師であるという
ことが非常に大きい責任であるという事実を否むことができないのです。しかし主は私たちに喜びを持って真剣に祈るよ
う望まれます。主の励ましによって、力強く祈り叫ぶために進んで引き受ける霊が教会に注がれました。
しかし多くの信者たちが国中から私たちの教会を訪れる中に、彼らの中で静かに住んでいる悪しき力がありました。その
悪霊たちは寄生しており、隠された共存関係にありました。その信者たちはその関係に気づかずのん気にしていました。
私たちの教会では、その悪霊たちは聖霊の力強い臨在の前に無意識的に自らを現わします。このことが起こった時、私
たちは彼らを追い出すより他にないのです。私たちは即座に悪霊を追い出します。悪霊は私と私の教会のメンバーをひ
どく憎んでいます。それらが追い出されるとき大きな金切り声をあげて歯をきしませるのです。
私が地獄に行くときはいつでも悪の力は私に報復しようとしてたちまち私の周りに集まってきます。それらは私の魂に襲
いかかってきます。わが愛する主は悪霊が連隊となって私を苦しめることをお許しになります。悪魔と悪霊の数はだれも
想像できないほどに膨大です。悪霊たちは私が国中の信者たちの悪霊追い出しに責任を負っているため、私に対する
怒りをあらわにします。「お前だ!彼は地獄にやってきた!彼を殺せ!!キム牧師は我々の問題の種だ。彼は私たちの
頭痛の種なのだ!」それらは集団で私を攻撃してきます。私の弱い魂はその時苦しみ、悲嘆にくれるのです。それらは私
の魂を引き裂き、突き刺し粉々に砕きます。同時に私の肉体も同じだけの痛みと苦しみを受けるのです。私は大声で叫
び、転がり、講壇で倒れてしまいます。私はほとんど半分死んでしまうのです。
ある時1人の信者が祈るために私たちの教会を訪れました。その信者が祈っていると、その人は痛みにある私の普通で
ない光景を目撃することができました。この信者は大きな好奇心で私を見つめていました。この信者は後に涙を流して悔
い改め、叫びました。「牧師先生、私は知りませんでした!私はあなたの本の一冊一冊がこのような痛みと苦しみによっ
て書かれたものだと考えもしませんでした。私はかつてこの本の値段がちょっと高すぎると思いました。どうか私を許して
下さい!私は本当に何も知らなかったのです!」
ある牧師がかつて私たちの教会を訪ねてきました。彼はアメリカから来た牧師で、彼の名はチェ・ウンキュと言いました。
私が苦しみながら地獄にいた時、チェ牧師は私を助けようと手を伸ばしました。彼は激しい苦痛にある私を見てかわいそ4
うに思ったのです。彼が私に触れるやいなや、彼は地獄に吸い込まれました。彼は個人的に地獄の計り知れない肉体的
苦しみを経験したのです。
私の教会のメンバーたちもまた、特に私に触れたり私の近くに来た時地獄の苦しみを何度も経験しています。そのため
私が深い祈りに入っている時、彼らはもう私に近寄ってきません。ある時、私は自分が午前1時ごろにトイレに行くことを
許してしまいました。私はもう地獄に行きたくはなく、トイレに行けば変わるかもしれないと思ったのです。事実、私はまた
地獄を経験するくらいなら死んだ方がましだと思っていました。しかし、主は「キム牧師、急ぎなさい!地獄に行く時間
だ!」と言われました。瞬間的に私はその場に倒れ、叫びながら転げ回り始めました。私たちの教会の婦人執事が私を
気の毒に思って私にしがみついたり、慰めの言葉をかけたりして私を助けようとしました。しかし、私に触れるとすぐに彼
女は倒れて地獄に行きました。その日以来彼女は頻繁に地獄を訪れています。
イエス様はこのことについて説明なさいました。「聖書の多くの領域について間違って信じている牧会リーダーや信者た
ちがいるのです。だから、あなたは直接的に経験し、目撃しなければなりません。あなたはそれから彼らに天国の地獄
の現実を明確に伝えなければならないのです。これはあなたに任せられた仕事です。キム牧師、あなたには毎日地獄を
経験するための多くの時が与えられているのです。」
主のお言葉を聞いて、私は「アーメン」と答えました。その時私は疑いを持ち、自分自身に問いかけました。「何なんだ?
私はどんな使命に置かれているのだろう?天国に入るという神の言葉を信じるだけで十分ではないのだろうか?」私は
時々自分自身に問いかけました。
そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわ
しい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。それは、私たちの神
であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあっ
て栄光を受けるためです。(第Ⅱテサロニケ1:11‐12)
*  2倍の力の約束
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださる
のです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。
(第Ⅱ歴代誌16:9)
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。
(エペソ3:20‐21)
他の国々においても天国と地獄を訪問した牧会者たちがいます。彼らは霊の領域を数時間だけ訪問し、目撃して務めを
果たすために自分たちの国を旅して回ることができます。私が経験していることは比較にならないものです。私はどれだ
けの間地獄を訪問し続けなければならないのかわかりません。それは主のご計画とご意志であり、私には理解すること
ができないのです。ほとんどの場合、私は1日に1食しか食べることができません。それは私にとって当り前のこととなっ
ています。それは苦しみと地獄を訪れた後遺症のためです。私は自分の健康が心配になり、普通の日常生活に戻ること
ができるのだろうか思ったりもします。このように考えると、私は時にかろうじて1日に2食取ることができるのです。私は5
もともと活発な人間で、バドミントンや他のゲームのようなスポーツをするのが大好きです。そのため、主は私の体をきち
んと歩くことができる程度の痛みにとどめておられます。もし私が回復して100%の状態に戻ることができたら、私はきっ
と自分の注意をスポーツのような他のことに向けてしまうでしょう。主は私の人生を自分のことのために使うことを防いで
おられるのです。加えて、私の妻が今頻繁に地獄を訪問しています。妻は私のような激しい痛みを受けませんが、それ
でも私たちはほぼ同時に地獄を訪問しているのです。結果として、私たちは以前のようにお互いによく関心を払ったり気
を遣ったりすることができなくなりました。
それでも、私が地上の両親から健康な体を授かったことは主の恵みです。私は健康に生まれました。それで私はよく耐
えることができるのです。私はいつも主に感謝しています。三位一体の神はいつも私に同じことを語られます。「キム牧
師、あなたが地獄を訪問するたびにあなたは2倍の力を受けるでしょう。だから不平を言わずに最後まで耐え抜きなさ
い!わかりましたか?」
私は主に同じ質問をします。「主よ!お願いします、どうか私をただ平安のうちにおいてくださいませんか?」イエス様は
私に答えられます。「キム牧師!不必要なことを語らないようにしなさい。今すぐ地獄に行こう。あなたは人々に地獄につ
いて語らなければならない。あなたは悪魔と悪しき力の正体を暴露する務めを任されてきた。さらに、あなたが地獄を訪
問する度に、あなたは2倍の力を与えられます。その力は増し加えられ続けるでしょう!なぜあなたは力を与えられるこ
とを望もうとしないのだ?」主が語られると、彼は私の背中と頭を優しくなでてくださいました。私はそれで自分自身を強
いて従わせるようにしたのです。「いいえ、私は可能な限りの力をお受けしたいと望んでいます!」私はいつも主と親しく
話をするのですが、地獄を経験することですっかり疲れ果て、体も消耗してしまいます。だから私はかんしゃくを起こして
しまうのでしょう。それでも愛する主は耳を傾け、優しく理解して下さいました。だから、私は心から主に感謝しているので
す。また、私を支えてくれる兄弟姉妹たちもいます。彼らは私が祈る時いつでも傍にいてくれるので私が床に倒れこむと
きに受け止めて落ちるのを防いでくれます。リー・フンサン執事、ミン・ソ兄弟、ヒョク・ファン兄弟、そしてみんなが日々助
けてくれました。
「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もそ
の人のうちにおられます。」(Ⅰヨハネ4:16)
* 離れていく兵士たち
テモテよ。ゆだねられたものを守りなさい。そして、俗悪なむだ話、また、まちがって「霊知」と呼ばれる反対論を避けなさ
い。これを公然と主張したある人たちは、信仰からはずれてしまいました。恵みが、あなたがたとともにありますように。
(Ⅰテモテ6:20‐21)
あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、ま
た、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、
いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。 (Ⅱテモテ4:9‐11)
時折、次のようなコメントをする人たちがいます。「教会がもし過度に祈り霊的戦いに没頭していったら危険、あるいは脅
威になることもある。そのような教会の特徴は荒々しく頑固になるということだ。彼らは問題や試みを与える悪魔を怒らせ
だろう。もし毎日悪しき力との霊的戦いが行われるなら、それがいつ終わるというのか?」6
しかし、私を聖霊のミニストリーの中に置かれたのは確かに主なのです。私はイエス様の力強い導きによって火のミニス
トリーに導かれました。最初、私は自分のミニストリーは多くの人々に喜んで受け入れられると考えていました。しかし、
その考えは間違っていたのです。同じようなミニストリー(聖霊と賜物)に関っている多くの人々は異口同音に私を批判し
ます。彼らは互いに非難しあってさえいるのです。
私は自分と同じ種のミニストリーを行う牧師たちを観察するうちに、彼らが自分たちのミニストリーが最も素晴らしく、バラ
ンスがとれている、あるいは最もユニークであると自慢していることに気づきました。私はとても落胆しました。このことに
ついて考えると、私もこれらの罪を犯して高慢に陥ってしまう可能性があると気付きました。
多くの人々は霊的な賜物や経験を願っています。彼らは異言や預言、見通す賜物やビジョン、霊の目が開かれることな
どといった賜物を切望し、探し求めています。人々が様々な賜物を経験すると、彼らは自分の霊的賜物や経験が誰にも
劣らないものだと考えるようになったのです。しかし霊的領域における私の経験に基づいて言うと、彼らが経験しているこ
とは数え切れないほどの砂粒のうちの1粒にすぎないのです。もし彼らが他の霊的賜物や経験を受けることができても、
それはまるで彼らが他の砂粒を当り前だとみなしてきたようです。さらに、この1つだけの砂粒は非常に多くの粒に分け
ることができます。このことは例えば、1つの細胞が分裂して数百万にまで分かれるというように繰り返し言われています。
賜物を受けたり霊的な経験をしたりすることも似たような法則です。信者が経験し続けるならば、彼らは数百万のうちか
ら他の粒を獲得することができるのです。
だから、私たちには霊的な領域の本質を完全に想像したり、知ったり、議論したりすることはできません。これは人が「私
はこの道の達人だ」と言うことのできないことなのです。それにも関わらず、自分の教会をあたかも何か不思議な力を持
っているかのように思っている多くの牧師たちがいます。彼らはまた自分たちの教会は終わりの時にあって出席するべき
正しい教会であると自慢しているのです。彼らはさらに自分たちの教会は主がおられ、また神の真実な僕である真実な
教会だと言っています。彼らは自分たちの教会がもっともバランスのとれた教会だと信じているのです。しかし実際は多く
の場合において偏っています。これは彼らの意見であり彼ら自身の考え方です。
それぞれの信者に与えられる賜物はすべて異なっています。主は韓国におけるさまざまな教会の特徴や信者たちの違
いを認めておられます。主は焦って私たちを変え正そうとはなさいません。そうではなくて、主は私たちの生活のよいとこ
ろを引き出し、利用されるでしょう。つまり、主は私たちの不足を補ってくださるでしょう。主がなさることとは反対に、私た
ちは子供たちや他の信者が私たちの方法や好みに慣れるようにしようとします。言い換えると、私たちは彼らに自分たち
のやり方に従ってほしいのです。これが多くの問題や副作用が起こる理由です。
確かに、神は私たちとともに働かれる時様々な聖霊のミニストリーに導かれます。私たちが経験してきたすべての出来事
の中で、見えない悪霊との戦いは私たちの理解、考えや感覚を超えたものでした。それは私たちの想像を超えていたの
です。困難な戦いのさなかで、主の大きな慰めと貴重な仲間の牧師たちは私の力でした。
すべての教会はおそらく同じような状況にあるでしょう。しかし、主の教会は私たちが決して警戒を解くことのできない霊
的戦場にあるようです。神に大きく用いられた働き人たちは主の教会に集まり始めています。彼らは一人ずつやってき始
めました。これらの働き人の中には牧会リーダー多くの平信徒たちがいました。しかし、彼らは肉によって働き始めたの
です。彼らは極端に、また競争的になり、嫉妬を起こし、利己的になり、また他の人よりも偉大になろうとし始めました。結
果として、それらの人々は個人的な分派をもたらした考えや感情に捕えられてしまいました。その時、彼らは皆主の教会7
を離れていきました。
神はこれらの兵士たちに大きな計画を持っておられました。彼らのために計画されたビジョンがあったのです。その時私
は兵士たちが肉に支配されて離れていくのを見ました。私は自分が見たことに大変傷つきました。私は無気力になってし
まいました。私は彼らと一緒にいて彼らを励まし、また彼らと戦いました。それでも、私はどんな戦争においても戦線離脱
してしまう兵士がいると知ることによって自分自身を慰めました。彼らは霊的戦いがなく快適なところを求めて去ってしま
ったのです。しかし、私たちはそんな安全地帯はないということを悟らなければなりません。どこにもないのです。これが
事実なのです。神の兵士たち堕落させるための多くの罠が限りなく仕掛けられています。私は神の兵士たちが捕らえら
れ立ち去って行くのを見てとても苦しみました。それゆえに、私は主に何度も嘆願したのです。
神の兵士たちが離れていった出来事を経験した後、愛に満ちた私たちの主はさらに多くの素晴らしい兵士たちを送って
下さいました。新しい主の兵士たちは強く、勇敢で誠実でした。私たちは去ってしまった兵士が補充されるのを目撃し、新
しい軍隊に驚きました。彼らは整えられ、準備ができているのです。
見渡してみると、私たちはかつて神に大きく用いられた多くの人々がいるのを見ることができます。希望に満ちた将来を
持った多くの霊的な人々もいます。しかし、彼らの中には神の恵みと祝福の中にとどまって歩まず、霊的失敗者になって
しまう人もいるのです。これらの状況を目にする時、教会のメンバーと私は集まって自己満足に陥らないようにします。主
は彼らを憎むのではなく彼ら抱きしめ祝福が望むように祈ってあげなさいと語られました。私たちは彼らが帰ってくるのを
待っています。
真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、悪評を
受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。私たちは人をだます者のよう
に見えても、真実であり、 (Ⅱコリント6:7‐8)
キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。兵役についていながら、日常生活のことに掛かり
合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。(Ⅱテモテ2:3‐4)
 
主は実に日を追うごとに強力な信仰を与えて下さいます。私たちの信仰と願いに応えてくださるのは神なのです。神は私
たちにとても多くの可能性を与えておられます。
するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 (マルコ9:23)
人々を通して現わされた多様な力や賜物があります。しかし、忘れてはならない1つの大切なことがあります。力や賜物
はそれを持っている信仰の段階やレベルを保証しないということです。また性格の問題でもありません。私は人々が賜物
や力のゆえに自信過剰で尊大になることに驚き、ショックを受けました。時に人々に不可能なことを成させるのは神なの
です。私たちは隠された力は確かに神のものであるということを忘れてはなりません。私たちは幼い少年が5つのパンと
2匹の魚を捧げた少年のように自分自身を犠牲として捧げる必要があります。その犠牲と最も小さき者たちの献身がより
多くの身を結ぶでしょう。
主の教会の中には教会に忠実に仕える最も小さき者たちがたくさんいます。彼らは貧しく困難な状況の中にあって、それ8
でも仕えてくれる目立たない人たちです。主は多くの魂たちがこれらの人々を通して変えられるだろうと言われました。多
くの主の教会に来た信者たちは非常に疲れ、苦労して働きました。しかし彼らは将来他の人々よりも強く力に満ち溢れる
でしょう。私はすべての栄光をここまで導いて下さった主にお捧げします。私はこの恵みを主の教会の疲れた魂たちや自
分を捨てたメンバーたちと分かち合いたいと思います。私は長い間この恵みを分かち合うことができるように願っていま
す。ハレルヤ!
* 神が喜ばれる礼拝
救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者
として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
(ヨハネ4:22‐24)
韓国教会に置いて神に捧げられるすべての礼拝は単調なものです。それは教会が小さいかメガチャーチかが問題では
ありません。彼らは自分たちの礼拝を順序が書かれた週報に従って進めるのです。私は彼らが礼拝の形式を変える兆
候をなんら見出すことができません。開かれた礼拝がありますと言う教会もありますが、日曜の午後礼拝は同じ形式な
のです。私たちの教会を訪れる多くのクリスチャンたちは同じような質問をします。「牧師先生、主の教会の日曜午後礼
拝はどのような形式で行っているのですか?」
私は長老派教会の牧師として17年間牧会をしてきました。最初の13年私たちの教会は他の一般的な教会と特に違い
はありませんでした。私の礼拝や集会も普通のものだったのです。私が個人的にイエス様との出会いを経験して以来、
伝統的な普通の礼拝形式は全く価値のないものになってしまったのです。
これは私の見解です。もし私たちが少なくとも適切な礼拝と集会を神に捧げることができるなら、私は最も小さい問題か
ら最も大きい問題までいつでも完全に解決されると信じています。私が初めて個人的にイエス様と出会った時、多くの明
らかな変化が私に起こりました。その私の内なる変化はさらに進み、私のミニストリーにも影響を及ぼしました。私のミニ
ストリーは根本から変わっていたのです。
イエス様全く制限されないお方です。彼は私たちを今まで導いてこられ、これからも導き続けられます。彼は私たちがも
はや奴隷ではなく、私たちが重要だと考え人生を通して縛られてきたあらゆるものの下にはいないということを確信させ
て下さっています。主はまたとても型にはまらないお方です。多くの人々は聖霊の力を求め、偉大な力を見ています。し
かし主は私たちの人生には犠牲にして捧げなければならない多くの領域や物事があると言われました。彼は時に私たち
の性格を利用なさいますが、それよりも私たちが神学や計画(私たちは主のためだと思っているが、実際には自分たち
のためである計画)を含めた自分の考えや願いを犠牲として捧げることを願われるのです。
主は私に世界中の異なった礼拝について多くのことを語られました。イエス様は私には応えることが困難なこれらの問題
について語られました。彼はまた悩ませる他の多くのことについて語られ、私に判断を保留するように要求されました。あ
るとき、イエス様は私に次のように尋ねられました。「わたしの愛するキム牧師、礼拝の形式にこだわることが大切です
か?それとも礼拝を受ける人の感覚や感情がより重要ですか?」私はすぐに答えることができず、ためらってしまいまし
た。私たちは全員が既に礼拝の重要性を知ったので、もうその答えを繰り返す必要はありません。主は私がかなりの間
ためらった時以来、そのことを説明して下さいました。9
「礼拝の順序や形式は重要でしょうが、わたしが喜んで受け入れる礼拝をあなたが捧げることの方がもっと重要なのです。
わたしはすべての信者が喜びを持って礼拝に参加することを望んでいます。喜びにあふれた礼拝はわたしを喜ばせます。
キム牧師、あなたが礼拝を導く時、あなたは会衆とともに霊にあって踊るべきです。踊りながら、喜びに満ち溢れ、楽しん
で、感謝をささげて礼拝を導きなさい。賛美し喜びなさい!父、聖霊、そして私が唯一このような礼拝を受け取り、またと
もに参加するのです。」
現在、韓国の教会には受動的で機械的な礼拝をたくさん持っている教会があります。質の高い説教を聞こうと探し求め
ている人々がいる礼拝があります。歌と賛美だけの礼拝もあります。しかし、本当の礼拝はすべての魂が満ち満ちた聖
霊様の中でともに参加するときになされます。本当の礼拝はニュースキャスターのように雄弁な美声のリーダーではあり
ません。真実な礼拝は礼拝と賛美を歌って導くソロシンガーでもありません。私にはほんの少ない人数の人々が礼拝の
本当の参加者であるという感情を取り除くことができません。
ある日、外の教会の信者が私たちの教会を訪ねて来て、主からのメッセージの内容を分かち合いました。そのメッセージ
はその信者の教会の分析でした。彼女は1000人を超えるメンバーがいる教会に出席していました。彼女はまずその教
会が建物にも運営も不足はないと述べて自分の教会を紹介しました。彼女はさらに主任牧師を誇りに思ってきたと言い
ました。彼女はその主任牧師の説教に何の欠点もないと思っていました。しかしある日、礼拝の途中に主が突然彼女に
現れて尋ねたのです。「この牧師はわたしについて説教しているのだろうか、それとも彼自身の教理を主張しているのだ
ろうか?彼は一体何を語っているのだ?」彼女は恐怖で震えたと言いました。
現在、韓国の教会は何の欠けもない形式を持って前進しています。韓国の教会は何の欠けもない人々で満ちています。
彼らは欠けのない説教を聞いていて、自分たちの運営システムは完璧で、建物のインテリアが豪華に見えると思ってい
るのです。こういうタイプの教会がだんだん増えてきています。もしこれらがラオデキヤ教会にというタイプに属するので
あるならば、主は一体何を語ろうとしておられるのでしょうか?
「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱い
かであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。あなた
は、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、
裸の者であることを知らない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買い
なさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る
目薬を買いなさい。  (黙示録3:15‐18)
終わりの時に、ラオデキヤ教会がこの時代が終わる前の最後の教会となるでしょう。何も乏しいことがなくて人間的な見
方で自分たちは完璧だと思っている教会は主によってみすぼらしいとみなされるでしょう。このみすぼらしい教会は自己
満足に陥っており、自分の思いや考えによって惑わされてしまっているのです。このような教会の人々は週報に書かれ
た教会の統計を評価することを楽しんでいる人たちです。例えば、入ってくる献金額や出席人数を見ます。また彼らは壮
大な建物や座席に大変な誇りを持っているのです。ラオデキヤの教会は主の基準からはかけ離れた状態にあります。
彼らの恥は彼らのありのままの姿を通して露わにされます。
人々が質の良い商品や製品を持っているのなら、彼らはそれをギフトショップに飾ろうとするでしょう。私たちの信仰も同10
じだと言われます。彼らの信仰は本物ではないにもかかわらず、彼らはあたかも信仰があるふりをするのです。これは教
会中の主要な問題点です。信仰は強調されていますが、真剣に受け取られてはいません。教会における務めや、キャリ
アや、他の働きで自分自身を喜ばし、甘やかしている人々がいます。あなたにはこれらのまぬるい者のうちどれだけがそ
こから出てくるかわからないでしょう。しかし、主はその問題の本質を暴露されるので私たちは自分たちの偽善を直して
いくでしょう。彼は必要に応じて私たちを叱責されます。主に私たちの秘密の罪を正すことがおできにならないでしょう
か?
私は何をもって主の前に進み行き、いと高き神の前にひれ伏そうか。全焼のいけにえ、一歳の子牛をもって御前に進み
行くべきだろうか。主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげ
るべきだろうか。私のたましいの罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。主はあなたに告げられた。人よ。
何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあな
たの神とともに歩むことではないか。(ミカ6:6‐8)
私を含めて主の教会の全メンバーはすべてを変え始めました。私たちは、建物、態度など実にすべてを変えました。最も
小さい考えから最も小さな習慣に至るまで、私たちの教会が成し遂げてきたことや計画してきたすべての領域は変えら
れたのです。私たちは主の願いに向かって前進すると決意しました。私たちは教会の礼拝形式をわきに置き、聖霊様の
御業に焦点を合わせました。私たちは完全に聖霊の御業に自分たちを明け渡しました。私たちが変革されている間、周
りの人たちは私たちの教会を反感の目で見、判断を下しました。友人たち、メンバーたち、また近親や親族たちも様々な
コメントをしました。しかし、私たちの教会は決して存在する秩序を崩してしまうことはありませんでした。そうではなくて、
私たちはより聖書的になったのです。主はまたご自身を現わされ、積極的に介入されました。その結果、教会員たちはよ
り自由と力を経験し始めたのです。多くの牧師たちや平信徒たちが私たちのミニストリーに参加しました。
私たちはもしそれが主の望まれる信仰でなかったのなら自分たちの働きに適応することはできなかったでしょう。そのよ
うな信仰とは何でしょうか?それはすべての信頼を主に置くことです。私たちがすべての問題を神にゆだねると、私たち
は自分自身のすべてを神に向けます。そうすると神は私たちのために特別に働いて下さいました。教会にいる間、私た
ちはまるでリバイバルの中にいるように礼拝を捧げました。聖霊様は力強く働かれました。私たちは霊にあって踊り、歌
いました。礼拝を続け、私たちは讃美歌のメドレーを歌いました。最近、私たちの聖なる踊りが進展しています。多様な聖
なる踊りが現わされました。聖なる踊りは幼稚園児、小学生、中学生、高校生、若者、そして男性女性のミッションチーム
を通して進められています。
少年たちと少女たちの両方、そして年配と子供たちの両方、つまり次の御言葉ようなことです。
若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威
光は地と天の上にあるからだ。主は、その民の角を上げられた。主の聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子らの
賛美を。ハレルヤ。  (詩編148:12‐14)
他の教会の会衆の多くが礼拝と賛美の間に踊ることを願っています。しかし、ほとんどの教会が聖さと教会秩序が重要
なのですなどと言って彼らを止めるのです。信者たちの中には聖なる御手によるダンスと悪霊の働きとしてのダンスの動
きを観察している者たちもいます。一方で、彼らはただじっと見ているだけで人を満たしている霊を気味悪いものだと決め
つけてしまうのです。彼らは力を求め、口の言葉で主を求めると言っていますが実際には聖霊の働きを否定し、拒絶して11
いるのです。これは皮肉なことです。
そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。  (イザヤ29:13)
私たちの教会では私たちは日曜午後礼拝の間、霊にあって踊ります。私たちはその時一人の人がすべての祈りをする
よりもむしろ、30分ほど一斉にともに祈ります。牧師(私)がそれから説教をし、力強いメッセージを宣言します。メッセー
ジの後、私たちは献金を捧げます。最後に、私たちは祝福の祈りをもって礼拝を終えます。礼拝と賛美が最高潮に達し
ている時、イエス様と聖霊様は踊られます。父なる神も時に立ちあがって御座から降りられます。父なる神は御足を踏み
ならされます。父なる神は彼に向って立ち上る礼拝と賛美にとても喜ばれ、満足されます。
私たちは礼拝にカテゴリーを付けたりはしません。韓国においては礼拝のタイプやカテゴリーがあります。静かなものも
あれば、大声でするものもあり、またオープン礼拝などもあります。私たちは信仰を持って、すばらしく喜びに満ちた心で
なされる誠実な礼拝が神に捧げられるために求められているということを心に留めておかなければなりません。それは
聖霊様のご意思によって捧げられなければなりません。
*イエス様か、それともカルバンか?
長老派の中では誰もマルティン・ルターやジャン・カルバンの考えや教理に反論したり、否定的に語ったりすることは許さ
れません。宗教改革があって今に至るまで、長老教会はカルバン主義の伝統を通して絶え間ない成長を成し遂げてきま
した。それは難攻不落の要塞になってきたのです。私は以前長老派牧師であり、カルバン主義の支持者でした。私は教
え込まれ、儀式的な行為、伝統、神学、また長老教会の理論に慣れてしまっていました。今は、私は多くの霊的な賜物と
力を持つことを真剣に願っています。一方で、私はいつでもカルバン主義を大いに誇っていました。これは何年も変わら
ないでしょう。
主は私にさらなる変化を要求されました。主は私の型にはまった意識からカルバン主義の教理を崩すことが私にとって
難しいことであると既に知っておられました。それゆえに、主は様々な主題について語られ始めました。数日間、主は私
にチャレンジを与えられ、質問をし、また物事を提案し続けられました。しかし、私は非常に困惑してしまいました。私は
真実な変革を求めて叫んでいました。しかし私の声と態度は実にありきたりだったのです。私は変革されることができま
せんでした。私は本当には変革されることを望んでいなかったのです。そして私の強情な固執は露わにされていました。
主は私に尋ねられました。「キム牧師!あなたはすべてのことを私の意志に従ってなすと言ったではないか。あなた自身
の口で、あなたはすべてを捧げると言ったではないか。なぜすべてを捧げないのだ?あなたはカルバンを好むのか?そ
れともわたしをより好むのか?もし私があなたに選べと言ったらあなたはどちらを選ぶのだ?」
長い間私はためらっていました。私はその時イエス様にくだらない質問をしたのです。「主よ、あなたは第一であり、すべ
てを超えて最高のお方です。しかし、私の考え方ではルターとカルバンは最も聖書的です。彼らはプロテスタント改革を
始めた信頼のできる人たちです。彼らは自分たちの人生に危険を冒しました。彼らは教理のシステムや秩序、そして教
会のシステムを民主的に作り上げ、また広げました。そうですよね?」
主は「つまり、あなたはカルバンとルターを私以上に愛すると言っているのだね?」と答えられました。私は低調に頭を下
げて言いました。「いいえ、私はあなたの方をより愛しています。あなたが一番です!」12
主は私たちが伝統的な理解を下に置くことを求めておられます。私たちの型にはまった考えや、判断や、伝統を含めて
です。現在、牧師たちは自分たちの会衆を自分たちの教理に従って変えようとしています。しかし、主は牧師たちが自分
たちは何者かを認識し、また彼らの強さを引き出すことを望んでおられます。強さの中にあって、彼らは主によく仕えるこ
とができるのです。
天国の現実は多様性と相違性に基づいています。それはありふれたものではなく、均一なものでもありません。これは教
会にも当てはまります。主は教会が異なった特徴や個性を認めることを期待し、願っておられます。彼は教会の人々が
各々の特別な才能を利用するよう願っておられますが、同時に調和とバランスも願っておられます。例えば、私たちが隣
人の家を見学する時、家の外装は同じように見えても、その中、つまりそれぞれの家庭の雰囲気は異なります。ある家
庭は風格のある厳しい父によって支配されているかもしれません。失敗は許されず、その結果、家族たちは息を詰まら
せていて制限の存在が家庭を運営しています。もし家族たちが聞き従わないなら、その父親は無情にも強く叱責するで
しょう。家族はまるで少しの凍るように冷たい水がいつもあるかのように扱われます。誰も自由に息をすることができませ
ん。その家庭は気おくれしているように感じるでしょう。ある家庭は情熱がありません。彼らは悲しみと絶望に染まってい
ます。その家庭も家族たちを息詰まらせます。議論が支配する家庭もあります。そこには肉体的な喧嘩があり、見えない
壁が隣人たちの上に築かれ、嫉妬とねたみが家庭と隣人たちとの間で標準になっています。その家庭は殴り合いの喧
嘩に至ることもあります。
反対に、ある家庭にはいつでも平和と喜び、楽しさ、そしてあふれるほどの満足感があります。さらに、すべての家族た
ちは互いに遠ざかることはありません。そこには心地よさと愛があふれているのです。それでも、もっとたくさんの異なっ
た特徴をもった家庭があります。神の教会も同じです。
主は教会の礼拝について議論されました。主が言われるには、教会の雰囲気はとても重要です。主は私たちが特に互
いに愛を持って抱き合い、欠点や失敗を覆いあうことを願っておられます。主はさらに聖霊に満ちあふれ、楽しく調和した
礼拝を望んでおられます。主は人々が礼拝中に裁く時大変不快になられます。特に、礼拝の間に行われていることを非
難する時です。私は忍耐が苦手な人物なので、私はこの領域での不完全さのために何度か主に叱責されました。
「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう。」と、主は仰せられる。「わたしは、雄羊の全焼のいけにえや、肥
えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わ
たしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙――それもわたしの
忌みきらうもの。新月の祭りと安息日――会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。あなたが
たの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、わたしは負うのに疲れ果てた。あなたがたが
手を差し伸べて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。あなたがた
の手は血まみれだ。洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ。善をなすこ
とを習い、公正を求め、しいたげる者を正し、みなしごのために正しいさばきをなし、やもめのために弁護せよ。」(イザヤ
1:11‐17)
*  スティーブ・トムソン牧師との出会い
2006年12月19日、神はスティーブ・トムソン牧師との予期しなかった出会いを用意してくださいました。トムソン牧師は
よく知られている世界的預言者です。その時、私は彼について聞いたことがありませんでした。私には彼が誰なのか知る
すべもありませんでした。霊的な外国の本を訳す傾向があることで知られている韓国の出版社にソーン・ジュン・ハン・13
ナ・デという出版社があります。この出版社の社長は牧師です。グンサン市にある「私たちの教会」のキム・クヮンスン牧
師と、その社長であるリー・ゲジュン牧師が私をスティーブ・トムソン牧師のところに導いて下さいました。トムソン牧師は
ソウル市の教会で預言的リバイバル集会を行われていました。トムソン牧師と彼のチームと私はともに昼食の時を持ち
ました。
スティーブ・トムソン牧師は預言者であり、また牧師です。彼は世界的な預言者です。彼はリック・ジョイナー主任牧師の
教会で仕えておられます。リック・ジョイナー牧師はアメリカのノースカロライナ州シャーロットにモーニング・スター出版を
立て上げられました。私が思うに、トムソン牧師は預言的ミニストリーの領域では世界レベルで大いに用いられています。
多くの人が彼のことを認めているようです。いくつかの韓国教会もまた彼を預言的リバイバルのためのゲストとして招い
てきました。私のような無名の牧師が世界的預言者とお会いしているということはなんと驚くべき神の恵みでしょうか。ス
ティーブ・トムソン牧師はとても若く見え、ほとんどユースパスターであるように見えました。
全部で10人の人たちが一緒にランチを食べていました。会話の中ごろに、トムソン牧師は私を指さして手でジェスチャー
をしました。彼は輝くような満面の笑みで顔を左右に動かしました。突然彼は私に対して預言をし始めました。「あぁ、神
様が私にキム牧師に向かって語るよう命じられています!」彼は私が現在行っているミニストリーや導いている礼拝のタ
イプについて的確に言い当てました。彼は過去と現在、そして未来に至るまでの私の状況について預言しました。「韓国
において、多くの教会は大きくなりすぎました。外見上は、彼らは聖なる敬虔な礼拝を捧げています。でも、内側は空虚で
いのちがないのです!神はこのような慣れきった礼拝を望んではおられません。何が神の受け入れられる聖なる敬虔な
礼拝かという点についての神様の認識は人々が普通思っているものとは違います。しかし今、あなたの礼拝の仕方は楽
しく生き生きとしています。それこそが喜ばしく、神に受け入れられる聖なる敬虔な礼拝なのです。ところで、どのようにし
てあなたはそんなに神様を笑わすことができるのですか?どうしてあなたはそんなにユーモラスになれるのですか?あ
なたはとてもおもしろいですね。神様はとても喜んでおられ、幸せだと思っていらっしゃいますよ!」私はトムソン牧師がお
っしゃったことにとても驚きました。彼は次のように続けました。「キム牧師、神様は最も強力な聖なる火を注いでおられま
す。この炎は常に力強く燃えており、あなたは多くの人々を導くようになるでしょう!」トムソン牧師はそれから私の妻につ
いても預言しました。「カン・ヒュンジャ姉妹、あなたとあなたの夫はチームとなってミニストリーを導いていますね。そのよ
うになさったのは神ご自身です。あなたは情熱的に、また力強く聖なる踊りを踊っています。あなたとキム牧師は特に強
力な霊的識別の賜物を聖なる火から受け取ってきました。見分ける力は重要なものです。例えば、もしあなたが何事に
対しても不確かであるならば、あなたは妻に尋ねればその問題はさっと解決されるでしょう!」
私たちが聞いていると、妻と私を含めた全員がトムソン牧師はちょうど指標の上に乗っていますねと大声で言って笑いま
した。実際、トムソン牧師が正確に識別していることはとても自然でした。私たちはみな同じ神を信じる者であり、私たち
はみな同じ聖霊をうちに持っているのです。
最初、私は「なるほど、ではちょっと待って何が起こるか見てみよう」と思っていました。その時私は自分の考えていること
にちょっとプライドを持っていたのだと思いました。あの日のトムソン牧師や彼のチームとの出会いはとても特別で有益な
ものでした。その出会いは互いにミニストリーを確信する機会を与えてくれました。それはとても意義深いことです。自分
たちの本を交換した後、私たちは互いを覚えようと一緒に写真を取りました。それから私たちは別れました。
* 誰も自分の先祖の罪を悔い改めることはできない
未信者が亡くなった時、その人は魂かあるいは幽霊になると言っている理論があります。クリスチャンがそのようなことを
言う時、彼らはクリスチャンから悪霊に取りつかれた占い師や魔術師と同じ低レベルまで身を落とすのです。おそらく、悪14
霊追い出しをする牧師たちにはこのような理論に対して責任があります。時々、悪霊が離れる時に、それらは「私はおま
えの何とかかんとかの先祖だ」とうそをつくことがあります。もしかしたら、悪霊は自分たちが彼らの祖父と祖母なのだと
言うかもしれません。悪霊追い出しをする牧師の中にはそれらの悪霊が言うことを信じてしまう人もいるでしょう。その悪
霊とそれらの力は常にうそつきです。それらは自分たちについて誤った認識を持たせ、混乱を起こそうとたくらんでいます。
それらはうそを間違った情報と一緒に詰め込んで真実として売っているのです。どうして彼らは悪霊が言うことを丸のみ
にして信じることができるのでしょうか?悪霊を追い出す人々は道に迷って誤った方向に導いてしまったことを言い訳す
るべきではありません。
ある人々の間では、先祖の罪によって苦しめられているという概念が実に通説化しています。多くの人々はこの考え方を
固く信じて受け入れています。しかし、多くの変わってゆくものがあり、私たちは神がすべてを治めておられるということを
心に刻まなければなりません。
神はイエス様をこの世に送られ、彼を私たちの罪のための贖いのいけにえとなさいました。イエス様は私たちの和解の
いけにえとなられたのです。子孫たちが決意をして先祖たちのすべての罪の代価を支払うのは不可能です。こんなこと
があるはずがありません。たとえある人の人生の中に、例えば経済的な問題のように何か悪いことが起こったとしても、
それを先祖の罪のために妨げられているなどと思ってはいけません。さらに、世代にわたるのろいを打ち破ることはばか
げたことです。彼らの問題は自分自身の信仰の問題です。人が直面するであろう問題は先祖の代わりとして悔い改める
問題ではありません。悪霊は注意をしない全家庭にはたらくことができるのです。悪霊が働くことのできない場所などな
いのではないでしょうか?
もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の
世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。(ヘブル9:26)
したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らの
ために、とりなしをしておられるからです。ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、
民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのこ
とを成し遂げられたからです。(ヘブル7:25、27)
キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望
んでいる人々の救いのために来られるのです。(ヘブル9:28)
この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
(Ⅰヨハネ2:2)
兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。(Ⅰヨハネ2:10)
あなたがたは、『なぜ、その子は父の咎の罰を負わなくてよいのか。』と言う。その子は、公義と正義とを行ない、わたし
のすべてのおきてを守り行なったので、必ず生きる。罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、
父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。
(エゼキエル18:19‐20)
 15
 
* 賜物を見分けること
人々が神から賜物を受け取る時、彼らはその賜物を一生持ち続けるだろうと考えます。しかしそうではありません。ひと
たび私たちが賜物を受け取ると、悪霊は続けて攻撃をしかけてくるでしょう。私たちは特に賜物を用い始めた時攻撃を受
けました。悪霊は賜物を持つ人を惑わしたいと願っています。悪霊は賜物を役に立たないものにしようと気も狂わんばか
りにたくらんでいるのです。だから賜物を適切に保持するためにはとても多くの祈りが必要なのです。肉体的な領域にお
いて、私たちの人生はとぎれなく疲れ、時にはへとへとになってしまいます。
預言の賜物は教会を立上げなければなりません。私たちが預言する時、過去、現在、未来がすべてつながってともに流
れていきます。人々の心が開いているか、また人々が受け入れるかによってその預言は適切に実現することもしないこ
ともあるのです。
開かれた五感をもって預言できるというタイプの預言があります。そこには惑わされる多くの可能性があるため、わたし
たちは常に油断することなく、堅い守りをもっていなければなりません。私たちにとっての守りとは力強い神の御言葉と力
強い祈りです。私の場合、完全に主の恵みによってこのようなミニストリーに導きいれられました。しかし、私が困難に遭
い、私のミニストリーが扱いにくくなった時、私は不平不満をもらしました。主はその時私を慰め、言われました。「もし山
がとても高いなら、あなたは山にトンネルを作らなければなりません。もし谷がとても深いなら、支柱を立てて橋をかけな
ければなりません。これがあなたのやっていることです。キム牧師、あなたは道を作っているのです。あなたは建て上げ
るという大変な仕事をしています。キム牧師、たとえあなたが困難の中を歩むとしても、あなたの後ろにつき従ってくる魂
たちがいて、彼らにとってはその方がずっと容易なのです。だからしっかり耐えなさい!」
わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。しかし、そ
の方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞く
ままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現わします。わた
しのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。(ヨハネ16:12‐14)
私たちの教会がカルトだと言って争いを起こそうとするグループもあります。彼らは使徒行伝の時代の聖霊の働きは単な
る一時的な出来事だと言っています。彼らはそれは終わったと言うのです。彼らは疑問を浴びせ、私たちが繰り返してい
る主張や直接的な啓示の強調の間違いを証明しようとたくらんでいます。彼らは特別な困難を伴わない言葉やミニストリ
ーを簡単に受け入れます。しかし、彼らは聖霊のミニストリーを導く人々を非難します。韓国では、「直接的啓示」という言
葉は教会において不快に受け取られます。もちろん、聖霊のミニストリーを導く牧師も異なった個性を持っており、結果と
してミニストリーの中で副作用が起こりうるのです。しかし、同じカテゴリーにあるすべての牧師を非難することは主に喜
ばれることではありません。
私は聖霊のミニストリーを導く牧師を非難するこれらの人々が、主の声は様々な賜物を通して聞こえるのだということを
教えられるよう願っています。
さらに、賜物を通して、私たちは神に直接質問することができます。異言、解釈、預言、見通す賜物、霊の目が開かれる
ことという通路を通して主と言葉を交わすことができるのです。その事実にも関わらず、カルトを調べる組織は私たちを中16
傷したり、あざけったりしてこのタイプのミニストリーを非難します。このような組織はクリスチャンであるということを過去
に起こった出来事にしてしまいます。かれらはほぼ霊的盲目状態に近いのです。
賜物や聖霊の経験を判断する人々が自分で経験したことがないということは理屈に反することです。かれらは霊的領域
の深さを知りません。彼らは聖霊の賜物を受け取ったことがありません。彼らは聖霊のダンスはカルト的で、聖霊の手の
動きを現わすことは不可能だと主張します。実際、多くの牧師がダンスや、手の動きや、その他の聖霊の賜物を否定す
る場合があります。私は以下に紹介する聖書の記述がこれらすべてを理解する助けとなることを願っています。
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、(ヘブル9:27)
自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行ないなさい。(ヤコブ2:12)
ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身
を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです。私たちは、そのようなことを行なっている
人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをして
いる人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。それとも、神の慈愛があなたを悔い改
めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。ところが、あなたは、かたくなさと悔
い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現われる日の御怒りを自分のために積み上げて
いるのです。(ローマ2:1‐5)
律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、
いったい何者ですか。(ヤコブ4:12)
霊的識別に優れた人々や優れた霊的感覚を持っている人々は悪霊が入って人々の体の中にいるかどうかを多少判断
することができます。すべての人が受ける賜物ではありませんが、私は皆の霊の目が開かれることを願っています。三
位一体の神のもともとの聖霊の賜物のミニストリーは神の意志に従った霊の求めに応じることでしょう。私が既存の伝統
的な教会を見ている時、かれらが信仰の経験について話しているのを見ました。彼らは信徒たちを新しい霊的体験に参
加するよう奨励しています。しかし実際には、彼らには聖霊の賜物の現れを抑圧する傾向があります。癒されるよりもむ
しろ、彼らは癒しを受けるための情熱的な表現や言葉を止めようとするのです。
現在、私たちのミニストリーでは夜通し祈る礼拝をしています。私たちは驚くべき出来事を行い、経験します。その結果、
私は常に攻撃リストに入れられ、名を汚されました。私たちのミニストリーはそのすべてのテーマにおいて中傷されてい
ます。私は私について多くの否定的なことを語る人がたくさんいることを知っています。私は時々、私たちがカルトだと聞
く方がいいと思います。もし彼らが私をカルトと呼んでも私は平気です。私はただ彼らに地獄に行ってほしくないだけなの
です。彼らは私たちをあまりにも祈ることや驚くような経験と直接的な啓示を受け取ることのゆえに、また、徹夜祈祷会を
行っているゆえにカルトだと定義づけます。それでは私たちはカルトと定義されるものなのでしょうか?ただ私たちが悪霊
追い出しをしているというだけで彼らは極端だと言い、さらに付け加えるなら、私たちは神秘主義なのです。韓国教会は
すっかり慣れきっているのである人やグループをたやすくカルトと呼びます。韓国教会は故意に信者を自分たちに慣れさ
せるので、彼らは現状を打破しようとしません。彼らはある人やグループをカルトだと訴えることを容易にしてきたのです。
その結果、神の真実な牧師たちは誤って非難され、本当にカルト的な組織は適切に扱われなかったのです。17
カルトを調査する組織があります。彼らは長老教会の教派に属する長老牧師たちと呼ばれています。ある日礼拝が始ま
る前に、1人の長老牧師の集まりで事務をしている牧師が訪ねてきました。彼は「牧師先生、あなたは私が訪ねてきた目
的を知っていますか?」と言いました。私は「はい、といってもただの推測ですが」と答えました。その牧師は「実は…私は
このような力をもっと経験したいと願ってきました。私はあなたの教会で起こっている経験や出来事に興味があります。」
と言いました。私は「牧師先生、一緒に私のオフィスに行きましょう。あなたは神の本当の力を経験するでしょう」と答えま
した。私たちがオフィスに着いた時、私は自分の手を高く上げ、その牧師に向けました。私の手が彼の上にあげられると、
彼の体に隠れていた悪霊が現れ始めました。その牧師は発作的兆候を見せ始めました。しかし残念なことに、私たちに
はすべての悪霊を追い出すのに十分な時間はなく、ほんのいくつかが追い出されただけでした。その牧師は去らなけれ
ばなりませんでしたが、彼はまた戻ってくると言いました。
一般的に、多くの平信徒には伝統的な教理にしがみつく傾向があります。私たちの魂は悲鳴をあげ、また嘆いているの
に、ほとんどのクリスチャンたちは自分の肉体的な考えや感情に頼っているのです。私たちは力を願っていますが、本当
は、私たちは自己満足の状態にあるのです。私たちは聖霊の力や賜物に自己満足しています。その結果、力と賜物の
通路は閉ざされ、妨げられています。自己満足は私がミニストリーの現場に行く時絶えず目にする悲しむべき霊的現実
です。
互いに集まって協力し合う、力を持った牧師たちがいます。しかし反対に、彼らは時に互いに過度に排斥しあうのです。
主は私たちに素晴らしい力と多くの賜物を与えてこられました。私たちは主の教会でいつも謙遜に歩もうとしています。
私たちは他人に力が私たちから出たものであるように見せたくはありません。栄光は主に属するので私たちは控えめに
歩むのです。私もまた卑しい僕にすぎません。私がへりくだって卑しい僕として歩む時、人々は「牧師先生!あなたは本
当にそんな風にしなければいけないのですか?」と尋ねるでしょう。
聖霊のミニストリーに関わり、賜物を持っていらっしゃる牧師先生方、兄弟姉妹たちが時々主の教会を訪れます。彼らの
中にはかなり盲目で向こう見ずな人たちもいました。彼らは自分たちの教会の排他性と、自分たちの教会が真実な教会
だということを主張しました。彼らは自分たち自身の方法で訓練を受けました。聖なる火のバプテスマはそんなに人為的
に与えられるものではありません。彼らは口では願っていますが、実際には準備ができていません。その結果、彼らの訪
問は一度きりの出来事で終わってしまうのです。もしかしたら、彼らは経験することを願ってはいたけれども、それが失敗
したとき、直ちに否定して批評に転じてしまったのかもしれません。
主の教会において、私たちは様々な賜物を分かちあいます。しかし、最も重要なことは、聖霊と火によるミニストリーです。
ほとんどの場合、炎のミニストリーの中ごろになると、悪霊の正体が現れます。しかし、私たちが悪霊を追い出すために
人々の体の中に悪霊を入れているのだというような主張をする人たちがいます。なんとナンセンスなことでしょう!どうや
って私たちに悪霊を体の中に入れて発作を起こさせることができるというのでしょう?それは本当にばかげたことです!
私たちが行っているのは神によることです。ただ神だけがそのようなことをおできになるのです。私は神が善と悪を公正
に裁いて下さると信じています。普通の人々は状況の中でよい点を見るのではなくて、悪い点を対象とし、取りだそうとす
る傾向があります。それは人々の外に現れた自然な性質なのです。私がこのようなことで困った時、主は来て下さって警
告の言葉を与えられました。
「わたしの愛するキム牧師!多くの魂が信仰に満ち溢れてわたしに献身していると主張しています。しかし、これは真実
ではありません。彼らはそのことを自分自身の方法や能力で定義しているのです。彼らは自己中心で真実ではありませ18
ん!多くの場合、彼らは純潔でも誠実でもないのです。彼らは情熱と忠誠心に満ち溢れていると主張しているが、それ
は本物ではありません。彼らに気をつけなさい。」
私は主に尋ねました。「愛する主よ!なぜあなたはそれでも彼らに力や預言を与えられるのですか?」主は答えられまし
た。「彼らは今や自己中心の霊によって支配されています。物質主義が次第にしみ込んできました。今や彼らは堕落に
慣れてしまったのです。これは本当に残念なことです!!!」
そのとき、主は仰せられました。『だれか、アハブを惑わして、攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせる者はいない
か。』すると、あれこれと答えがありました。それからひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わしま
す。』と言いますと、主が彼に『どういうふうにやるのか。』と尋ねられました。彼は答えました。『私が出て行き、彼のすべ
ての預言者の口で偽りを言う霊となります。』すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、そのとおりにせ
よ。』と仰せられました。今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたのすべての預言者の口に偽りを言う霊を授けられまし
た。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」 (Ⅰ列王記22:20‐23) 
* 異言、解釈、賜物の真実
たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な
信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分
け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。(Ⅰコリント13:1‐3)
異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話す
からです。(Ⅰコリント14:2)
驚くことに、多くの人たちは次のように尋ねます。「あなたは自分が言っていることもわからないのに、飽きもせずに異言
で祈るのですか?あなたは解釈するさえできないでしょう。」これらの人々は異言で祈ることを躊躇します。しかし多くの
場合、すべての霊的賜物の中で、通常の賜物は異言から始まるのです。私たちが異言で長く熱心に祈ると、私たちは霊
的に深い状態に達することができます。霊的に深い状態に入ると、聖霊の力強い現れ、介入、そして力が新しい力ととも
に与えられます。新しい力によって、異言は力強い異言に変えられます。そうして異言はさらに困難なくすらすら出てくる
ように進歩していきます。異言はそうして解釈や次第に預言と結びついてきます。異言はそうして他の様々な力強い賜物
に発展していくでしょう。
異言や解釈、また預言の賜物は堕落しうるのでしょうか?はい、実際にその可能性があります。私たちの経験に基づい
て言うと、2つの種類の異言があります。
聖霊様が求めても願ってもいない人に突然異言の賜物を与えられる場合があります。他方で、聖霊様は切に求めている
人かどうかに基づいて異言を与えられるでしょう。聖霊の力強い臨在があると、主は私たちの意志があるかないかに関
わらず直接異言を与えることがおできになります。彼の力強い臨在は突然私たちの舌を動かし、その人は異言で祈り始
めるのです。ほとんどの場合、受け取った人は一瞬困惑するでしょう。いつ異言の賜物が与えられるかは誰も知りません。
それはただ主がお決めになることです。他方で、主は私たちの信仰と求めに応じてその賜物をお与えになるでしょう。こ
れもまた聖霊様の介入なのです。19
私たちの霊、魂、考え、また感情は私たち自身の考え方や信仰に基づいています。言い換えると、それは観念的なもの
なのです。私たちは自分たちの方法を自分たちの環境から学んだことに基づいて理解し、受け入れます。それは私たち
が教わってきたこと、また聞いてきたことに基づいています。私たちの肉体と目、鼻、口、舌、手、足、感覚器官などの構
成部分は主の臨在の中に住むために発展してきたものではありません。私たちは経験上訓練されてきたことすらないで
しょう。それゆえに、主の御働きが体を通して直接的に私たちの上に臨む時、理解することができないのです。私たちは
多くの場合とても驚きます。特に異言の賜物の場合、スムーズには出てこないでしょう。その賜物は神が私たちを愛して
下さっているゆえに与えられるのです。だから、人為的な操作や貪欲を通しては決してその賜物を受け取ることはできま
せん。
私たちが異言で祈る時、舌は口の中にとどまっていなければなりません。異言の祈りの中で人の舌が口から出る時、そ
れは奇形です。舌はヘビのようにシューっと音を立てるでしょう。そのような異常を目撃する時、舌が口から出て普通より
ずっと長く見えたりします。それは恐ろしい光景です。私たちの場合、堕落し奇形になった異言で祈っている時には、「聖
なる火」と叫んでその人の中に聖霊の火を置きます。そうするとその人は回復して完全な状態に戻るのです。悪霊は可
能であれば異言の賜物を堕落させようとします。しかし、聖なる火の臨在があれば、すべては識別されました。
私は解釈の賜物について短い経験しかありませんが、この主題についてコメントさせて下さい。私はいつものようにまた
主の霊的賜物はたくさんあることを強調します。賜物は与えられた信者による信仰のはかり従って明らかにされます。解
釈の賜物は一つの解釈であるべきだと主張している人もいます。彼らは解釈の葛藤があるはずがないというのです。
しかし、そうではありません。例えば、ある人が椅子に座った時に、異言で祈るように求めました。この理論を試すために、
私たちは異言で祈っている人の周りに5人の人を置きました。5人とも解釈の賜物を持っていました。私たちはまた、韓国
語に訳そうとするときに5人とも異なる表現をするであろうことを知っています。異言はその人の信仰に応じて異なって聞
こえることもあるのです。解釈の最も重要な側面は5人とも異なる解釈をしたということです。これは本当のことです。1人
目は精神的な問題についての解釈をし、2人目は家庭の問題についての解釈をし、3人目はその人の仕事について解
釈をし、後の2人はその人の夫と子供についての解釈でした。
これらの解釈を聞いて、私はとても困惑し、疑いを持ちました。私は「どうして1つの異言からこんなに異なった解釈がで
てくるのだろうか?」と思いました。主はその時私に答えをくださいました。私は人々に答えを知ってほしいと思います。解
釈は説明や理解の一種として聞かれることを意図されたものではないのです。
多くの教会や牧師、信者たちは自分たち自身の方法を持ち、自分たち自身のタイプの結果を期待しています。彼らは自
分自身の方法や結果を主張し、それらについて独断的なのです。「もしあなたがそれをこのやり方でやるならうまくいく
よ。」あるいはこのように言うかもしれません。「このやり方でやってみませんか?」しかし、それがどんなに素晴らしく、正
しく見えるかどうかは問題ではありません。もし自分自身の方法や結果にそんなに独断的であるならば、それは横柄に
見えます。人々が物事を受け入れるのには多くの異なった方法があるのです。人々にとって横柄になるのはたやすいこ
とです。彼らがあたかも自分たちの経験や知識は人が知る必要のあるすべてのことであるかのように語るのは、無知が
主な理由の一つです。彼らは自分たちの教義をすべての人に適用しようとしています。彼らは自分たちの教義に基づい
て結果を判断し、また評価するのです。例えば、アメリカかどこか他の国からの霊的な本を読む時、こういう類の人々は
狂信者になり、これらの本に対して基本的に異常な状態になります。彼らは自分たちが読んだことを適用し、必要なら学
んだことを改めようとします。彼らは著者の世話をして、親しい関係であることを見せようとします。彼らは重要だと感じる20
スターのことを知りたがっているファンのようなものです。アメリカの預言者や預言する人たちはよく扱われ、認められて
います。彼らはそれらの預言者を「使徒と預言者」と呼びます。しかし、同じ人たちが自分自身の国(韓国)の預言者は偽
りだと非難するのです。
私たちの信仰生活や霊的生活はそんなに単純でもなければ、ささいなことでもありません。霊的生活と聖霊の御働きは
とても幅広く、多様です。それは多様で様々な形をとります。聖霊の領域はとても深く、豊かです。私たちはこの世の人生
の間ではそのすべてを探索することはできません。さらに、私たちは決してその広さと豊かさを私たちの有限な考えや言
葉で表現することはできません。
多くの人々は誤った情報を伝えられています。聖霊の御働きとミニストリーはそれ自体に焦点を当てるものではありませ
ん。賜物もまた焦点ではありません。聖霊の御働きが私たちの焦点となるなら、私たちは疲れ切ってしまうでしょう。賜物
や働きが私たちの生活の中で優先になり始めたら、本当の焦点が後ろに下がってしまいます。結果的に私たちは次第に
離れていってしまうでしょう。後退は災害の種に等しいものです。私たちの焦点はただ主だけに置かれるべきです。主こ
そが私たちの信仰の主題なのです。カルト的教会、カルト的人々、またどんな類のカルト的組織もすべて同じ種の問題を
抱えています。彼らとコミュニケーションを取ることはとても難しいことです。彼らは一般的に霊性やあるいは単なる感覚
について共通認識を持っています。イエス様やパウロのミニストリーの中心は愛、忠実な献身、そして自己犠牲でした。
イエス様が私たちの中心であり、焦点です。イエス様が私たちの愛や献身の主題でなければなりません。教会が訓練も
受けておらず、経験もない未熟な働き人でいっぱいであるなら、すでにその領域にいる熟練した働き人が2倍働くことに
なるでしょう。過ちはそれ以上に仕事と重荷が2倍以上になるようなものです。
さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。ご承
知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像
の所でした。ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはの
ろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
(Ⅰコリント12:1‐3)
* 偽りの預言を見分けること
『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を
見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
(使徒2:17‐18)
私たちは多くの人たちが終わりの時代だと言っている時代に生きています。彼らは絶えず、限りなくそれを叫んでいます。
多くの預言や夢やビジョン、そして啓示が韓国や世界中の様々な場所であふれています。私は実際に神の教会と信徒た
ちに与えられている様々な賜物を通してこの世代に対する神の情熱的な愛情を感じることができます。
しかし反対に、与えられている多くの無益な夢や啓示、また欺きの預言も起こりうるのです。さらに、多くの連続した副作
用も起こりえます。私の牧会ミニストリーが根本的に置かれているのは、もちろん神の御言葉です。しかし最近は、主が
私を賜物と力に導いて下さいました。私はある程度の霊的バランスの欠如は起こりうるけれども、それでもやはり聖霊の
賜物を拒絶したり無視したりすることはできないと思うことがあります。賜物は神自身から与えられます。私たちが霊的に21
スランプに入っている時、聖霊による様々な種類の賜物が私たちの信仰の大きな活力となります。主の完全なご介入と
情熱的な導きを通して、私のミニストリーの方向性は確実で明確なものとなりました。
異言、預言、解釈、見通す賜物、霊の目が開かれることなどは信仰の通路です。この通路は私たちの霊的側面を開きま
す。神が私たちに語られ、啓示を与えられるのもこの信仰の通路を通してです。私たちはすでに書かれた神の御言葉を
持っていますが、私たちは様々な賜物を通して神とのつながりや触れ合いをありありと経験することができます。
これらの賜物を活用するために、私たちはいくつかのことを心に留め、注意を怠らないようにするべきです。悪魔とその
力はこれらの霊的な領域に大いに引き付けられます。彼らは激しく攻撃してくるでしょう。悪魔は人々が好むことと好まな
いことをよく知っています。悪しき力は可能なら選ばれた人々をだまそうとたくらんでいるのです。
にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。
(マルコ13:22)
賜物を持っている人々はより悪霊の力に気持ちが傾いたり、さらされたりしやすいのです。彼らは情け容赦なく攻撃され
ます。悪魔は賜物を持つ人々を標的とするでしょう。悪魔は攻撃の計画に集中するでしょう。悪魔は人々の意識を刺激
することから始めます。悪魔は他人を追い越し人より前に行こうとする考えや競争心、また次第に貪欲の種を植え付けま
す。他人に勝ちたいという欲望です。その結果、人々は悪霊の無差別な攻撃に絶えず惑わされ、堕落してしまいます。
他国のある有名な預言者がかつて預言を尊重することについてコメントしました。彼は人が預言する時、預言の20パー
セントだけが正しいと説明しました。言い換えると、もし20パーセント正しくできれば、それは成功と判断できるものだとい
うのです。その有名な預言者のコメントは正しくありませんが、賜物のこととなれば、誰も安全あるいは例外にはなりえな
いのです。
神の声を聞く方法が3つあります。1つ目は私たちの耳で聞くこと、2つ目は心で聞くこと、最後は私たちの印象で感じる
ことができるかもしれないということです。しかし、もし私たちが適切に力強い祈り、言葉、聖霊様を見分けないならば、私
たちは悪魔による欺きに従属させられてしまうでしょう。
リバイバルしているどんな礼拝においても、私は預言やビジョン、夢、異言、解釈、霊の目、また聖霊のダンスの中でさえ
悪魔の巧みな操作や堕落をはっきり目撃し、また経験してきました。もし人が自分たちの体の中にこっそり潜んで操って
いる悪霊を見分けることができないなら、その人はおそらく悪霊に騙されてしまうでしょう。まず力強い聖なる火によって
悪霊を完全に追い出す時を持たないで賜物を分かち増やしていくことは、悪魔に操られる結果となるでしょう。私が開か
れた霊の目でより深く人の体を見ると、その体は複雑で幅広い者であることに気づきます。私はそこから謎を感じます。
私たちが肉体、魂、霊のすべてを含んでいるのなら、それは私たちの想像を超えた無限の空間のようです。
広い空間のような私たちの体に入ってくる悪霊の数を数えても無駄です。悪魔は数え切れないほどの悪霊を人の魂を破
壊するために送り込みます。人々は悪霊がすぐに追い出されるととても喜びます。しかし、そのように見えることすら欺き
である場合もあるのです。悪霊は私たちを使って遊んで喜びます。例えば、ある出来事があって、私たちは「イエス・キリ
ストの御名によって離れろ!」と叫びました。その悪霊に取りつかれた人は床に倒れて気を失いました。私たちはとても
興奮し、悪魔が一気に追い出されたことに感動しました。しかしその直後、私たちは悪霊に騙されたことに気づきました。
それらはまだその人の中にいたのです。22
預言的な人たちが悪霊は自分たちが話し合っている間に去って行ったと告げるときもあります。程度の差こそあれ、預言
的な人は隠れた悪霊に騙されることがあります。預言的で賜物のある人たちがある人のために祈る時、彼らはまず自分
自身の霊的な状態を点検しなければなりません。そうでなければ、その預言的で賜物のある人の中にいる悪霊は祈りの
途中で祈られている人に移るかもしれないからです。私たちは逆もまた起こりうるということを心に留めておかなければ
なりません。
人々が賜物や霊性の分野で自分自身の経験や方法を積み上げるとすぐに、彼らはその領域のエキスパートとして認め
られようと願います。実際には、彼らは単なる駆け出しで見せかけの者です。この地球に霊的領域のエキスパートなどい
ません。もしいたとしても、彼らは本当は役者かあるいは詐欺師です。神だけが唯一のエキスパートなのです。
「わたしの名によって偽りを預言する預言者たちが、『私は夢を見た。夢を見た。』と言ったのを、わたしは聞いた。いつま
で偽りの預言が、あの預言者たちの心にあるのだろうか。いつまで欺きの預言が、彼らの心にあるのだろうか。彼らの先
祖がバアルのためにわたしの名を忘れたように、彼らはおのおの自分たちの夢を述べ、わたしの民にわたしの名を忘れ
させようと、たくらんでいるのだろうか。夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたし
のことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。――主の御告げ。――わたしのことばは
火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか。――主の御告げ。――それゆえ、見よ、――主の御告げ。
――わたしは、おのおのわたしのことばを盗む預言者たちの敵となる。見よ。――主の御告げ。――わたしは、自分たち
の舌を使って御告げを告げる預言者たちの敵となる。見よ。わたしは偽りの夢を預言する者たちの敵となる。――主の
御告げ。――彼らは、偽りと自慢話をわたしの民に述べて惑わしている。わたしは彼らを遣わさず、彼らに命じもしなかっ
た。彼らはこの民にとって、何の役にも立ちはしない。――主の御告げ。――  (エレミヤ23:25‐32)
人の夢やビジョン、啓示をただ教育された推測によって解釈する人がいます。これらの人々は自分たちの利益になる強
みを得ようとして解釈するのです。そのため、彼らには解釈を受けた人の困惑やつまずきに対して責任があります。さら
に、誰かが預言や夢、ビジョン、また啓示の誤った解釈を与え、実現しなかったために罠に落ちていく人がたくさんいます。
悲しいことに、間違った解釈に縛られ、その答えを追いかけたり待ったりして人生をすべて浪費してしまう人たちがいるの
です。悪魔は預言やビジョン、夢を模倣しないでしょうか?彼は神さえも模倣しないのでしょうか?だから、最も重要な側
面は霊を見分けることです。霊の識別はとても重要とみなされるべきです。自分の生活が私たちにとって重要であるのに
匹敵するくらい重要なことなのです。 
* 偽りの賜物を受け取ることによる苦しみの証拠
少し前、ある家族と彼らの牧師が主の教会を訪れました。彼らは田舎にある教会から来ました。その教会は単立教会で
した。祖母が婦人執事で、彼女の義理の息子と娘が牧会リーダーでした。その義理の息子は牧師で、彼にも息子がいま
した。その息子は中学生でした。彼らはその息子が礼拝中に霊にあって踊ると言いました。実際、彼は数百人の教会メ
ンバーの前で、講壇の前に来て踊るのでした。彼らは彼の聖なるダンスはとても美しくスムーズだと言いました。そのダン
スが真実な聖なるダンスであるか、それとも悪魔のごまかしであるのかを適切に見分けるのは執事である母方の祖母の
役目でした。その祖母はそのことのために祈ってきて、今その答えを知りたがっていました。
まず、私はその一団に聖なるダンスが偽りのものであった場合、私たちは議論に支配されてしまうでしょうとアドバイスし
ました。私はそれを見るときに心を固く整えるように助言しました。彼らはバプテスマの本を読んだから主の教会を訪れ23
たのだと言いました。さらに、彼らは主の教会は霊によるダンスを含む幅広い聖霊のミニストリーの中にあると言われて
きました。彼らはさらに自分たちのミニストリーでは悪霊追い出しや、時には預言を行ってきたと言いました。今、彼らは
主の教会に霊の目を持って公にその霊を判断してほしいと切に求めていたのです。もし私たちが不注意に、あるいは間
違ってこの微妙な問題を扱うならば、より大きな問題をもたらしてしまいます。否定的な結果は関係する人たちに精神的
に大きなショックを与えてしまうでしょう。
主の教会では多くの人が毎日徹夜集会に参加するなかで、私たちは悪霊追い出しができるのです。しかし、悪霊追い出
しは信仰的に開かれていて、原因を究明して助けてほしいと求めている人たちのためのものです。ただ私たちが礼拝と
賛美を始めようとしたときに、偽りの聖なるダンスの兆候がゆっくりと現れ始めました。実際、その少年の体の動きはとて
も柔らかいものでした。それは水のように流れていました。彼は賛美のリズムに合わせて踊っていました。しかし、私の霊
の目で見ると、普通でない動きが目につき始めました。みんなが好奇心を持ってその少年を見つめていました。
私は大小の蛇を見ることができました。それらは一緒に詰まっていました。白いものもいれば、透明なものもいました。そ
の透明なアナコンダ形の蛇はすべてその少年の体の中にいました。蛇たちは主の教会の中にある聖なる火にその正体
を暴露されて休むことなくくねっていました。私が聖なる火を分け与えるとすぐに、蛇たちはその少年を通して「熱い!熱
い!」と叫びました。彼はじたばたし、休みなく動き回りました。私は「なんと悲しいことだ。あの少年は自分のダンスは聖
なるダンスの賜物だと思っていたのに…」と思いました。
蛇たちは正体を明らかにされた時、少年の体全体に巻きつきました。蛇たちは狂ったようによじれ、狂った形になりました。
私は少年に近付いて、聖なる火と聖なる電気、そして毒のとげを与えました。ついに、そのことが起こったのです。少年は
金切り声をあげて床に倒れました。見ていた両親はショックを受けて落着きを失っていました。彼らは声を出して泣きなが
ら忙しく涙をぬぐっていました。
アナコンダの形をした悪霊は私に向かって咬み付こうとするかのように突進してきました。その蛇は少年の口を通して
荒々しいきばを見せました。蛇の目は苦痛でひどく歪んでいました。私が蛇の目を見るとすぐに、私は鳥肌が立ち、髪は
逆立ちました。時間はたっても戦いは続き、私は少年の体に追加の蛇を確認することができました。霊の目が開かれた
教会の会衆たちは一斉に叫びました。「牧師先生!牧師先生!その少年の体は蛇でいっぱいです!聖なる火と電気が
あなたの手から少年の体に入ると、蛇にとって熱くなりすぎるのでそれらは少年の体をねじ曲げて彼に激しく反応させま
す。」
私は右手を挙げて少年を近くに引き寄せ、静かに囁きました。「おい、私はすでにお前の正体を知っている。だから汚れ
た悪霊よ、すぐに出ていけ!お前はなぜ主の愛する息子の体に入るのか。今すぐだ!出ていけ!」蛇は少年にシューっ
と音をたてさせ、言いました。「やめろ!やめろ!近寄るな!俺は出ていかないぞ!ここはとても居心地がいいんだ。ここ
にいてとてもいい感じなのに、なぜ俺が出ていかなきゃいけないんだ?」少年の目は威嚇しているように見えました。そ
れはほとんど蛇の目に見えました。少年の中にいる悪霊は防御の姿勢を取り、私に咬み付いてきそうでした。大変な悪
霊追い出しが始まろうとしていました。
「イエスの御名によって命ずる、汚れた悪霊よ、今すぐに出ていけ!聖なる火!」私が叫ぶと、少年は金切り声をあげて
体全体をねじ曲げながら床に倒れました。彼は偽りに捕らえられていました。両親と親戚たちは死人のように青白い顔で
じっと見つめていました。彼らは完全にショック状態でした。私は牧師である彼の父と家族たちに尋ねました。「どうしてあ
なたたちはこの子をこんなことになるまで放っておいたのですか?どんなところならこのようなダンスを聖なるものと教え
るというのですか?」24
少年の父親は韓国には聖霊のミニストリーを行っているところがたくさんあると答えました。ある場所が彼らに地に伏し、
倒れ、転げまわることを教えました。そこの人たちは人々に圧力をかけてぐるぐる回るようにさせます。これらの動きは
人々をふらふらにさせ、彼らは疲れて床に倒れてしまいます。その父はその動きは至る所で行われていて、その特定の
教会によって教えられていると続けました。私はその教会のことをある程度知っていました。彼らは多くの様々な変わっ
たミニストリーを行っていました。それでも、少年はなお深刻な状態にありました。
主の教会は様々な異なる賜物を与えられてきました。私たちは賜物を用いる経験をするという特権を与えられてきました。
このように言っていると、私は韓国には軽率な行為や突飛な行いをしているところがたくさんあることに再び気づかされま
す。
私たちの経験に基づいて言うと、私たちは悪魔が悪しき力を教会や家庭、信徒、また個々の信徒たちに送り込んでいる
ということを悟ってきました。その悪しき力は単独の悪霊が送り込まれることもあれば、集団で送り込まれる時もあります。
サタンはしつこく、また際限なく悪しき力をクリスチャンの共同体に送り込み続けます。しかし、クリスチャンたちは混乱さ
せられ、あまりに無知なのです。悪魔は霊的に高い権威を持っていると公に認められた人を攻撃するためには高いラン
クの悪霊を送り込んできます。悪魔はその人の霊的レベルと同等の悪霊を送るでしょう。彼らの目的はただ一つです。
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰
から離れるようになります。(Ⅰテモテ4:1)
にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せま
す。さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。(マタイ24:24‐25)
私たちはどうして多くの教会、牧師、また信者たちが悪魔による攻撃を知らないでいるのかを簡単に理解することができ
ます。彼らは物事を抽象的な方法で取り扱っているのです。悪魔はできることならミニストリーを堕落させようと攻撃してく
るでしょう。しかし実際は、例えば、賜物を持ってミニストリーを導いている人たちは、サタンが自分たちのミニストリーに
侵入することができないということについてあいまいな考えを持っています。サタンは侵入するだけではなく、操ることもで
きるのです。
悪霊は預言で教え、訓練しているところならどんなところにおいても活発です。しっかりしたミニストリーやリバイバルが起
きているミニストリーにおいてでさえ、悪霊はもっともらしい惑わしをもたらすことができます。私の経験に基づいて言うと、
このように、悪霊たちは預言、異言、解釈、夢、ビジョンを堕落させたり弱めたりするでしょう。サタンはメッセージを私たち
の賜物から離すという巧妙な作戦を持っています。それゆえに、私たちは一瞬たりとも気を抜くことはできないのです。
ありとあらゆる領域から、またありとあらゆるタイプのミニストリーから、賜物を与えられた多くの人々が主の教会を訪れ
ます。信仰に根付いていない人々は大きな試みが来た時には離れてしまう傾向があります。彼らは私たちの教会に何と
なく参加しています。少なくとも霊的五感、預言、解釈、そしてビジョンが開かれている人々にも最後の試みの終わりには
倒れてしまう人がいます。人は自分がよい信仰を持っていると思っているにも関わらず、彼らが霊的識別をせずに賜物
に依り頼むなら長続きはしないでしょう。彼らの心の中心は揺さぶられるでしょう。
主は愛の基礎から結ばれる賜物の実と私たちの人格を見られました。時がたつにつれて、私たちは自分たちの働きの
真相を見ることができます。約束は私たちが忍耐の過程を通して試された後にやってきます。そこには常に偽物が待っ25
ているのです。
ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。あなたがたが神の
みこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。
おそくなることはない。わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」私た
ちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。 (ヘブル10:35‐39) 
*十字架の兵士
キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。兵役についていながら、日常生活のことに掛かり
合っている者はだれもありません。それは徴募した者を喜ばせるためです。(Ⅱテモテ2:3‐4)
そこで主はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に
渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」(士師記7:7)
俗世は力とプライドを量によって定義します。誰もが数を増やすことに関心を持っています。彼らはお金の量であれ会衆
の人数であれ、とにかく数を増やしたいのです。しかし、私たちは質が量よりも重要だということを知らなければなりませ
ん。私たちが種まく人のたとえ話を考える時、種がよい土に落ちると収穫は100倍ものよい実であるのを見ることができ
ます。神は信仰者たちに肉の武器ではなくただ主だけに信頼するよう要求されます。神は300人の勇士をギデオンのた
めに選ばれ、彼らを用いました。彼らは不平を言う者ではありませんでした。彼らはつぼとたいまつを持って従順に従い
ました。彼らは敵をよく観察することに長けていました。終わりの時代に、主は悪霊の力と頭を突き合わせて戦うことので
きる兵士たちを探されます。私はこのような兵士たちは私を含めた主の教会のメンバーたちのようだと言いたいです。私
たちは火のミニストリーに飛び込んでくる平信徒たちも含めて主の僕です。
多くの教会や牧師、また平信徒たちは悪霊に対する議論や戦いのこととなると興味がなく、反感さえ持ちます。彼らはた
だ自分たちが直接、あるいは個人的に悪霊によってけがをしたり苦しんだりした時に悪霊の事実を調べたいだけなので
す。これが悪霊が世界を野生動物のように走り回っている理由です。悪霊と戦う人は多くありません。悪霊は人々の無
関心のために大喜びして叫んでいます。
悪魔とその悪しき力は私たちの体、考え、心、そして意志に入りこみます。彼らは人の中のこれらすべての領域に潜んで
います。そして神のよい意志や秩序を破壊するためにこっそりと自分たちの巣を作ります。結論は、神と悪霊は働きの過
程で人々を通路として用いるということです。異なるのはその進路と方向です。悪魔は人々を他人を踏みつぶすために
用います。悪霊は人々をおもちゃにし、その周りで遊びます。彼らの目的は私たちに罪を犯させ、地獄に引っ張っていくこ
とです。しかし、私たちの体やバランスのとれた個性、性質を通して咬みは私たちを天国に導きます。だから、私たちの
体、魂、霊、そして日常生活はサタンとその悪しき力に対して戦わねばならない血なまぐさい戦場なのです。
状況や戦いにも関わらず、私たちが救いと喜び、そして悲しみにとらわれないでいられることについて感謝して生きてい
られるのは神の完全で力強い恵みのゆえです。闘争的なクリスチャンたちが悪霊たちと向かい合って戦おうとする限り、
主はいつでも彼らを適切に装備して下さいます。主はいつでも新しい力の源です。新しい力が悪霊と戦うクリスチャンの
ために注がれるでしょう。26
地上においてでさえ、戦争のときには新しい強力な武器を持っている国が勝つでしょう。しかし、新しい武器を作り出すの
にはコストがかかり、また研究開発のために多くの時間を必要とします。
研究と開発を重ねて武器が完成したら、その武器はまだ様々な方法でテストを受けなければなりません。新しい武器は
強力で、どんな天候にも耐えられ、正確に標的に到達し打ち倒すことのできるものでなければなりません。新しい武器は
水にも火にも、また暑さや寒さといった条件にも耐えられなければなりません。私はクリスチャンが最新の武器のように
なることを願っています。私はクリスチャンにスーパーマンのような兵士になってほしいのです。しかし現実には、クリスチ
ャンたちはとても弱く簡単に罪の力にさらされてしまいます。
弱いクリスチャンに対して、主は最新の武器のようになってほしいと願っておられます。私たちは最も小さな試みであって
もいつも叫び倒れてしまいます。私たちはいつもなぜ力強い現れや出来事が私たちの教会で起こったのだろうかと思っ
てきました。私たちはそのような現れや出来事は力強い賜物を持った人々や外国の牧師がいるメガチャーチでしか起こ
らないと思っていました。
* ほうび
ちょうど物理的な世界におけるように、霊的な世界も勝者には戦いのほうびがあります。言い換えると、ほうびや戦利品
は勝利者に与えられます。世界中の多くの魂は力強く聖別された牧師たちを探しています。しかし、私はそれだけでは十
分ではないと感じています。私たちは悪魔の力と昼も夜も血なまぐさく休むことのない霊的戦いをしています。私たちは
肉体をすっかり疲弊させてしまっています。その結果、私たちは長期にわたる疲労によってもまた攻撃されているのです。
しかし反対に、主は私たちに新鮮で新しい霊的力を与えて下さっています、だから今私たちは喜びと興奮であふれてい
るのです。さらに、私たちは戦いをあきらめず、その中でも守られてきました。神はその時私たちに力強い聖なる火と電
気、そしてもっとたくさんの他の霊的に進んだ武器と賜物で報いて下さいました。私たちはほうびを受け取ったように感じ
ました。
ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。  (Ⅱコリント9:15)
霊的戦いで用いるすべての異なった種類の賜物や力は私たちの祈りと叫びの結果として与えられます。叫びと祈りは武
器の供給通路です。だから、私たちは必死になって毎日何時間もの祈りを続けようと格闘しています。神が与えられる霊
的武器は簡単に獲得できるものではありません。それは単純に自動販売機のボタンを押して手に入れられるようなもの
ではありません。一般的に、そんなに簡単なものではないのです。毎日叫び、必死に耐えて悪魔やその悪しき力との非
常に困難な霊的戦いに勝利を得なければなりません。あきらめずに最後に勝利する者は誰でも勝利を通してそれを得る
ことができるでしょう。悪霊よりも粘り強くなって勝利を得なければなりません。
しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦い
を勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をし
ました。 (Ⅰテモテ6:11‐12)
 27
*  しるしを通した警告
シオンで角笛を吹き鳴らし、わたしの聖なる山でときの声をあげよ。この地に住むすべての者は、わななけ。主の日が来
るからだ。その日は近い。やみと、暗黒の日。雲と、暗やみの日。山々に広がる暁の光のように数多く強い民。このような
ことは昔から起こったことがなく、これから後の代々の時代にも再び起こらない。 (ヨエル2:1‐2)
多くの人が私たちは終わりの時代に生きていると終わりなく叫んできます。だから、この悪しき世代を識別するために、
人々は賜物を受けた人々の周りに集まっています。その人たちは主がいつ帰ってこられるのだろうかと考えています。し
かし、もっとも明らかで確かなことは、賜物を受けたひとたちもその答えを知らないということです。それはただ神次第な
のです。マタイ24章で主が述べられたことによって、私たちは間接的に終わりの時代の予兆となるできごとを見分けるこ
とができます。
実は私が天国を訪問した時、私は使徒パウロにある質問をしました。パウロは謙遜に、パウロの書簡よりも主の語られ
たことばが書かれた4福音書を深く読むよう私に指示しました。彼は4福音書がより有益だと指摘しました。マタイ24章に
書かれた終わりの時代の予兆となる出来事はその答えに行きつくための箇所でしょう。
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現
われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気を
つけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族
に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初
めなのです。そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはす
べての国の人々に憎まれます。 (マタイ24:4‐9)
剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、わたしの仲間の者を攻めよ。――万軍の主の御告げ。――牧者を打ち殺せ。
そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける。全地はこうなる。――主の御告げ。――その三
分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。わたしは、その三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを
練り、金をためすように彼らをためす。彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは「これはわたしの民。」
と言い、彼らは「主は私の神。」と言う。 (ゼカリヤ13:7‐9)
クリスチャンが敏感であることはおそらく十字架とイエス・キリストの再臨でしょう。探求を始めることも探求そのものもクリ
スチャンにとって大切な過程ですが、クリスチャンの人生で最も重要な側面は主の再臨です。それは主を待ち望んでいる
すべてのクリスチャンにとって終わりの日の出来事の1つです。それは最後の望みであり、長い間待った実です。主は私
たちの忍耐の報いです。
神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける聖徒たちの忍耐はここにある。 (黙示録14:12)
私は主を信じている者すべてが携挙に与ることを願っています。しかしその日、取られる人と残される人の区別が確かに
あるでしょう。最初で最も重要な過程は主が私に求められる状況に自分自身を備えることです。しかし、多くの信者たち
は危険なクリスチャン生活を送っています。彼らの信仰はボーダーラインの上に乗っているのです。28
花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫
ぶ声がした。娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。 (マタイ25:5‐7)
私たちのクリスチャン人生はたった1日のため、つまり主が再臨する日だけのために存在すると言っても間違ってはいな
いでしょう。最後の日を決めるためにうろついている人たちがいます。しかし決められた最後の日を見出すのにこのよう
に夢中になることは実に迷信的行為です。クリスチャンにとって最良の道はいつでも準備ができているということです。私
たちは10人のおとめのたとえ話からこのことを理解することができます。私たちはみんな疲労のため肉体的には眠りま
すが、私たちは常に油とランプを備えていなければなりません。言い換えると、私たちは毎日霊的に自分自身を準備して
いるのです。
主は私にいくつかのことを語られました。彼は牧師たちが会衆を携挙のために前もって備えないなら、彼らは全員取り残
されてしまうことになると言われました。取り残された信徒たちは怒りを牧師にぶつけるでしょう。彼らは携挙されなかった
ことで怒るでしょう。信徒たちは彼らの人生の間に誤ったことを教えた牧師たちに復讐しようとするでしょう。その牧師たち
は自分たちの教会の取り残された信徒たちの手によって容赦なく殺されてしまうでしょう。このことは世界中の多くの場所
や教会で起こるでしょう。牧師として、私は本当に恐れを感じます。
わたしの民は、迷った羊の群れであった。その牧者が彼らを迷わせ、山々へ連れ去った。彼らは山から丘へと行き巡っ
て、休み場も忘れてしまった。彼らを見つける者はみな彼らを食らい、敵は『私たちには罪がない。彼らが、正しい牧場で
ある主、彼らの先祖の望みであった主に、罪を犯したためだ。』と言った。  (エレミヤ50:6‐7) 
 
* 炎のミニストリーの原動力
わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。し
かし、わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。
(ルカ12:49‐50)
主は不毛な冷たい地に火をもたらすために来られると語られました。主が私たちに与えられる火は悪の力を完全に打ち
倒すことができます。実際、それはただの火以上のものなのです。その火は地上のすべての病を燃やすことのできる力
強い光の層です。
しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎
の子牛のようにはね回る。  (マラキ4:2)
力を現わす神からの火が与えられることを拒絶したり、好まなかったりする人がいるでしょうか?その火は主がともに働
かれる状況にありさえすれば、どんな種類のミニストリーでも受け取ることができます。しかし実際にはそうなっていない
のがわかります。人々は主が力を与えて下さることを望み、求めています。彼らは口では求めていますが主が近くに臨ま
れると彼らは力を受ける前に驚いて恐れに陥ってしまうのです。彼らはいつも逃げてしまいます。
どんな時でも、主はその人が気づかないうちに突然火と賜物を与えることがおできになります。しかし、ほとんどの場合、
人は最も低いところから始めなければいけません。私たちは一歩一歩の過程を経て霊的深みと成熟に到達するのです。29
私たちがこの過程を通る時、人々は霊的戦いを真実には理解していません。毎日非常に多くの悪霊の軍隊と遭遇するこ
とは避けられないことです。これが現実であり、ほとんどの人々はそのことを悟っていません。私たちは今の時と世代を
霊的視力を通して見分けなければなりません。私たちは主が私たちと共に戦って下さることを信じなければなりません。
すべての働き人たちのために、主は私たちを霊的に開き、また私たちの信仰のはかりに応じて満たして下さいます。この
力と能力は霊的な圧迫を解きたいと願っているすべての人に与えられるのです。
神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあ
ふれるばかり与えることのできる方です。「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いて
あるとおりです。  (Ⅱコリント9:8‐9) 
*  分裂があるでしょう
あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いま
すが、むしろ、分裂です。今から、一家五人は、三人がふたりに、ふたりが三人に対抗して分かれるようになります。父は
息子に、息子は父に対抗し、母は娘に、娘は母に対抗し、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに対抗して分かれるようにな
ります。」群衆にもこう言われた。「あなたがたは、西に雲が起こるのを見るとすぐに、『にわか雨が来るぞ。』と言い、事実
そのとおりになります。また南風が吹きだすと、『暑い日になるぞ。』と言い、事実そのとおりになります。偽善者たち。あ
なたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。また、
なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。(ルカ12:51‐57)
イエス様は分裂の源です。彼は様々な場所でサタンに従う者の間の争いを引き起こします。彼が地球に来られた瞬間か
ら十字架上で死なれるまで、彼は多くの議論を巻き起こし、大きな騒動を引き起こしました。さらに、彼が引き起こした争
いと分裂は彼の死をももたらしました。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、
拝みにまいりました。」それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
(マタイ2:2‐3)
その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以
下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。
(マタイ2:16)
こうして、イエスがエルサレムにはいられると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか。」と言った。群衆
は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ。」と言った。 (マタイ21:10‐11)
しかし彼らはあくまで言い張って、「この人は、ガリラヤからここまで、ユダヤ全土で教えながら、この民を扇動しているの
です。」と言った。  (ルカ23:5) 
さらに、主は続けて全宇宙が影響されるスケールの大きな騒動を引き起こされます。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストに30
ある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上
げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですか
ら、このことばをもって互いに慰め合いなさい。  (Ⅰテサロニケ4:16‐18)
キリスト教信仰は明確さだけでなく、多くの比喩的な要素から成り立っています。私たちはたとえ話を通して天国を理解
することができます。紅海に着く前、出ていく道は神の選民たちから隠されていました。同じように、イエス様の御力と権
威の真実は霊的議論、分裂、騒動の中に隠されています。
しかしどれだけ多くの魂が大胆に分裂の中に飛びこんでいくのでしょうか?誰がバプテスマのヨハネのようであるのでし
ょうか?主にとって、自分自身を孤立させていたヨハネは争いの源であり、彼は偽善的で自分を正しいとする人々を激し
く非難しました。自分を正しいとする人とは外見だけを聖くしていた人たちです。主は弟子たちに自分の十字架を負い、
福音のために他の何とも関わりを持たないようにと教えられました。主もまた彼らを孤立させられたのです。
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい。  (マタイ16:24)
使徒パウロはかつて自分の中で荒れ狂い戦っている戦争について指摘しました。
私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の
律法のとりこにしているのを見いだすのです。私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救
い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神
の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。  (ローマ7:23‐25)
「燃える火によるバプテスマ」を出版してから、主の教会と私たちのミニストリーは多くの人々の間で重要な主題になりま
した。ほとんどの人々は私たちを良く評価してくれましたが、時には「彼らは長続きしないだろう。その教会はなんの実も
結んでいない。」というようなことを言って否定的な意見を表明する人々もいました。だから、私たちは実を明らかにしよう
と決心しました。言い換えると、私たちは教会のための祈りを通して受け取った答えを明らかにすることを決意したので
す。
神は実の豊かな収穫を私たちに与えて下さいました。その実は私たちの日常生活だけでなく、すべての霊的な面にも及
んでいました。私たちは感謝と喜びを持ってすべての栄光を神にお捧げしました。さらにすべての必要なものも加えられ
ました。
主を憎む者どもは、主にへつらっているが、彼らの刑罰の時は永遠に続く。しかし主は、最良の小麦をイスラエルに食べ
させる。「わたしは岩の上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう。」  (詩編81:15‐16)
私たちが神から祝福を受け取る時、私たちはそれを受け取らなければなりません。そのことは命令とみなされます。もし
私たちが祝福を拒絶したり、受け取ることができなかったりするのなら、それは完全に私たち自身の責任です。私たちの
問題は不信仰でしょう。これは個人個人の信仰の問題です。私たちはまず受け取るための信仰を成熟させ、成長しなけ
ればなりません。神が祝福なさる時、霊的祝福がまず与えられ、それから物質的な祝福が続きます。しかし、人々は逆に31
祈り求めるのです。
彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食
い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」  (創世記37:19‐20)
神が与えられた夢をあきらめないことが大切です。私たちは苦難の中にあってもそれをしっかりと抱いていなければなり
ません。イエス様は私に彼が完成されたすべての働きと彼が結ばれた実を明らかにし、記録しなさいと命じられました。
主は多くの神の僕たちと教会が大変な試みの間に私たちの証言を読んで強さと希望を受け取るだろうと言われました。
人々は自分自身の霊的時間を体験しなければなりません。彼らが困難な訓練の時を経験する時、神は彼らに語りかけ、
啓示と経験を与えて下さいます。私たちが祈り、神の言葉を読んで黙想する時、霊的な力を蓄えるために時間を使って
いることになるのです。私たちが祈りや、聖書を読み黙想することに時間を使うと、インスピレーションの力が注がれ、神
の意志を知るようになるでしょう。だから、私たち自身に約束された恵みと祝福を受け取るために、私たちは神の命令に
従い、また身に降りかかってくる息が詰まるような苦難を祈りと叫びの中で耐えしのばなければなりません。
いつまでおまえたちは、不正なさばきを行ない、悪者どもの顔を立てるのか。セラ 弱い者とみなしごとのためにさばき、
悩む者と乏しい者の権利を認めよ。弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ。 (詩編82:2‐4)
まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。万軍の
主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。 (詩編84:11‐12)
過度に神の国を第一に探し求める人々は日ごとの必要を求める人々を激しく非難します。彼らはそういう人たちには信
仰がないというのです。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
(マタイ6:33)
しかし時には神の国と神の義をまず第一に求めることができない時もあるということを知っていただきたいと思います。私
たちは非常に競争的な社会に生きています。私は時にはできなくてもそんなに気に病む必要はないと思います。求め、
探し、たたくことについては、たとえ順調でないとしても主はむしろ祈りの過程を楽しみたいと願っておられると思います。
おそらく、たとえ祈りの過程が逆であったとしてもです。
慎重に考え、順を追って合理的に祈るならその方が良いでしょう。しかし、主は主の教会の秩序の無さや順序などない叫
びにいつでも正確に答えて下さいました。主の教会による願いと祈りはいつも切迫したもので、ほとんどの場合緊急事態
だと思われていたので、私たちはいつも秩序なく祈っていました。それにもかかわらず、主は正確に、秩序正しく私たちの
祈りを整理して答えて下さいました。私たちはこの啓示を経験して、彼の御業に絶えず感動しています。ハレルヤ! 32
第2章
* 驚くような祈りの応答
私たちは1年中毎日叫び、夜通し力強く祈りました。結果として神は私たちに多くの祝福を与えてくださいました。私たち
の特別な祝福の1つは、主が私たちの教会を地下から地上に移して下さったことです。主は私たちを 711 フィート四方
(訳注:約20坪)の教会から 9400フィート四方(訳注:約260坪)の大きな教会に移して下さいました。ハレルヤ!いった
いどのようにしてこのことが起こったのか、私には信じることができませんでした。私に何が起こったのでしょう?それは
夢のようでした。
前の教会は地下にありました。周りは他の大小様々な多くの教会に囲まれていました。私たちの地域の建物はほとんど
教会が占めていました。そのためこの場所はリバイバルを想像するのが困難な場所でした。中間くらいの大きさの教会
が主の教会の真向かいに建っていました。祈祷院と1つの教会が地下の私たちの隣にありました。他の教会は主の教
会よりも上にありました。主の教会の裏側はとても高い建物で、それはメガチャーチでした。道沿いには数え切れないほ
どの他の教会が並んでいました。
私たちの教会があった場所の近辺はリバイバルがたやすく起こる場所ではありませんでした。主の教会はそこで13年間
夜通し祈ってきました。近所の人たちは夜間の祈りと賛美に苦情を言っていました。彼らは私たちが出す音で眠ることが
できなかったのです。しかし、私たちは休むことなく続けてきました。私は申し訳なく思い、また感謝で言葉を失いました。
地下の教会で過ごした年月は私にとって戦場でした。私は毎日生と死の狭間をくぐりぬけてきました。
私は忍耐力に欠ける性格です。地下教会から抜け出すために、私は遠回しに言い訳を見つけようとしました。私は主よ
り前に出たがっていたのです。「愛する主よ、地下の主の教会のスペースはあまりに狭すぎて窮屈です。多くの人々が
『バプテスマ』の本を読んで全国から訪問してきています。私はどうすればいいのですか?どうか私たちを早くもっと大き
な建物に移して下さい!」
私が主に嘆願した時はいつでも、主は私に制裁を加えられるか、あるいは優しくアドバイスして下さいました。彼の考え
は私とは大きく異なっていました。しかし私は忍耐することができず、しつこく嘆願しました。しかし、主は常にその時はま
だであり、もっと忍耐して祈りなさいと答えられました。
実際、人々が主の教会を訪れた時はいつでも、彼らは教会がいかに狭いことかについてと感じた息苦しさについてコメン
トしていきました。教会の礼拝堂はたった 711 フィート四方(訳注:約 20 坪)しかありませんでした。トイレはたった1つし
かなく、しかも男女共用でした。私たちにはとても小さな洗い場しかなく、洗うためには身をかがめなければなりませんで
した。古いビルには従来のシンクがないものもあります。その場所は全然快適ではありませんでした。礼拝堂の裏はキッ
チンでひどい状態で、106 フィート四方(訳注:約6畳)でした。炎のバプテスマの本で読んだことを確認し、体験するため
に多くの人々が主の教会に押し寄せてきました。彼らは本の中の経験が本物か偽物か知りたかったのです。主は多くの
人々を送られました。座る場所も立つ場所もないこともありました。主はその時教会を移動することについて語られまし
た。
「キム牧師、多くの人が訪れるでしょう。そのことが起きた時、人々が座るのに十分な場所はなくなってしまいます。講壇
の上に座らなければならない人々も出てきます。人々の靴が階段の上から下まであふれかえるでしょう。わたしはその
ときようやくあなたたちをより大きな建物に移します。」33
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行な
われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3:11)
主の教会で起こった出来事は国内だけでなく国外からも多くの人々を引き寄せました。1日だけ来た人もいれば長期間
来た人もいました。長期間とどまった人たちは、限られたスペースで非常に不便なのにもかかわらずとどまってくれました。
本の内容が先例のない霊的な出来事で成り立っているので、私たちは実に様々な人たちを引き付けました。疑いを持っ
てくる人もいました。熱烈に祝福を求めてくる人もいる一方で、私たちと口論するために来る人もいました。彼らは私たち
の経験が聖書的なのかそうでないのかを口論したがっていました。訪れた多くの人々は既に賜物を受けていました。私
たちをカルトだと宣言する人々もいました。私たちのミニストリーに参加してもよいかなどと尋ねてくる人もいました。私は
何千人もの人が訪れたと思います。
どんなタイプの人が来るかは問題ではありませんでした。私はすべての礼拝を注意深く導き、彼らすべてに威厳を持って
接しました。私は教会を訪れる人みんなに心を開き、彼らが主の教会の家族の一員であるかのように接しました。彼ら1
人1人は一つ心で私たちの祈りのラリーに参加しました。私は主の教会を訪れて下さった人々に感謝しています。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイ18:20)
時がたつにつれて、より多くの人々が主の教会を訪れ始めました。彼らは韓国国内からだけでなく、アメリカ、ドイツ、日
本、中国、さらには中東からも訪問してくる方たちがいました。私たちが一致してみんなで祈った時、私たちの祈りは光を
放ち始めました。
私は主に嘆願しました。「愛する主よ、私たちは毎日あなたに礼拝を捧げてあなたを喜ばせています。しかし教会のスペ
ースがあまりに小さくて制限されているので、あなたが願われるようにミニストリーを行うことができません。どうか今もっ
と広い教会を手に入れることをお許しください。」主はついに答えられました。「いいでしょう。行って大きな建物を探しなさ
い。」しかし、主はその場所の具体的な指示をなさいませんでした。教会員たちと私は特に新しい教会の建物に望むこと
と必要なことのために祈り求めました。私たちは必要なオフィスや異なる目的で使う様々な部屋を作るのに十分な広さの
建物を探しました。私たちはとりなしの祈りの部屋、訓練の部屋、男性女性のゲストの部屋、分かれたトイレ、図書館、放
送室、食堂、キッチン、少なくとも5つの個人的な祈りの部屋、メインの礼拝堂、保健室などを求めました。私は公に新し
い教会の建物を探す仕事を公表しました。私は情報を教会員に提供し、求めている建物を探すのを手伝ってくれるよう
頼みました。私は彼らに少なくとも1423フィート四方(訳注:約40坪)以上の建物を探すように言いました。私たちはインチ
ョンの西側で探し始めました。
しかし、私たちがリストに入れたすべての望む部屋と設備を備えつけるには少なくとも3559フィート四方(訳注:約100坪)
の建物が必要でした。私たちには全然お金がありませんでしたが、私たちの目標を定めました。教会員はみんな尋ねま
した。「牧師先生!大きな建物はすごくお金がかかります!どうするつもりなのですか?」教会員たちは誰もが心配する
ように心配しました。彼らは私たちの置かれた現実の状況と信仰によって新しい教会を得るビジョンを考慮していました。
しかし、彼らは私の導きを信じてついて来てくれました。主の教会のほとんどの人は新しく登録された人だったのにです。
私たち主の教会のメンバーは外の世界から隔離されてはいませんでした。私たちは証と主からの啓示をどうしても分か
ち合いたかったのです。私たちは国際化し、教会に訪れる人たちを受け入れようと決意しました。私たちは祝福を受けた34
い人みんなに教会を開きたかったのです。私たちは他の地域から来た兄弟姉妹たちが私たちの経験していることを経験
するよう願いました。その結果、私たちは国際空港から可能な限り近いところに引っ越そうと決めたのです。
私たちは最低1423フィート四方(訳注:約40坪)から2850(訳注:約80坪)、3600(訳注:約100坪)、5338(訳注:約150坪)、
7118(約200坪)、そして8185フィート四方(訳注:約230坪)までの建物を探しました。私たちは次第に広さを増やしていき
ましたが、見たすべての建物の家主は私たちを拒絶しました。彼らは教会に貸したくなかったのです。そのため私たちは
もっと熱心に力強く祈り始めました。私たちはより広い場所のために主に嘆願しました。私たちは意志、心、そして信仰で
決断しました。しかし、私は前進していても少し心配がありました。私は「あまりにも大きな目標を求めすぎているのでは
ないだろうか?私はうぬぼれているのではないだろうか?私はばかげた夢をもって会衆を導いてきたのではないだろう
か?」と自問しました。新しい建物を探し続けている時、主は家主が私たちを拒絶することをお許しになりました。主は私
たちを訓練しておられました。彼は私たちの限られた小さな考えをより大きな考えへと作り変えたかったのです。その時、
私たちは状況の裏にあって私たちが何かを学ぶよう助けて下さっているのは神なのだということに気づいていませんでし
た。主は既に私たちの前の道であられました。彼はとても広くて見た目も素晴らしい建物を用意してくださっていました。
主は様々な状況と道のりを通してこの特定の建物へと導いて下さいました。もし粘り強さと意志を信仰の方へ向って進ま
せるなら主は私たちのために働いて下さいます。主イエス様は、既に交通の便のよい場所を心に決めておられました。イ
エス様は私たちが祈り求めていたことを、最も細かな詳細に至るまで、成し遂げ、満たして下さいました。
私たちは何カ月も空き家だった建物を見つけました。その建物はソグ区役所の向かいで、ソグ消防署の隣でした。建物
の大きさは9400フィート四方(訳注:約260坪)でした。私たちはすぐにこれが主の教会のために準備された建物だと思い
ました。イエス様は私たちが恒久的に教会をヨンジョン島インチョン国際空港のそばに移す前に、インチョンのソグにとど
まって基礎を築き成長することを望んでいると語られました。私たちは未来へ飛び立つために自分たちを整えました。
空いている場所は5階にありました。その場所はとても広大でした。7つの柱が端から端までまるで中心から一直線に並
んでいるように立っていました。その柱は空間を約3600フィート四方(訳注:約100坪)に分けていました。その広大な空間
を見るや否や、私はすぐにその空間の用い方を頭に描きました。私たちにはすべての提案した設備を備えるのに十分な
スペースがありました。私たちは理想的な場所を見つけたのです。私はその時すぐにチョークで床に書きました。そこに
は私たちが構想したすべての部屋を作る十分なスペースがあったのです。私たちはメインの礼拝堂、放送室、保健室な
どを作ることができました。十分なトイレという問題はもはや私にとって問題ではありませんでした。私はこのスペースの
全てにとても感動しました。しかし現実に戻ると、私たちは経済的に貧しかったのです。私たちにできることはただ祈りだ
けでした。祈り以外にできることなど何一つありませんでした。私たちの経済は極めて制限されていました。さらに、私た
ちはそのビルの持ち主に会ったことがありませんでした。実際、私たちはそのビルの持ち主が教会に貸したがるかどうか
すら定かではなかったのです。
ある夜、深夜12時に教会員と私はこっそりそのビルの5階に忍び込み、エリコの戦略を使いました。私たちは並んで歩き
まわり、「主よ!この場所を与えて下さい!」と叫びました。私たちは力強く祈り、叫びました。その騒音でビルの警備員
たちが驚いて駆け上がってきました。その近所は消防署、警察署、区役所といった政府のオフィスで占められていました。
その警備員たちは心配で青ざめているように見えました。さらに、ビルの周りにはアパートもありました。「あなたたちはこ
こで何をやっているのですか?なぜこのビルで叫んでいるのですか?あなたたちはここに忍び込んだのですか?一体こ
こで何をやっているのです?警察を呼びますから投獄される前に直ちに立ち退きなさい!」警備員は怒りの表情で私た
ちをにらみました。この出来事の後でさえも、私たちはまた3回以上忍び込んで祈り叫びました。警備員もついにはビル35
の持ち主も私たちを憎むようになりました。私たちは歓迎されていなかったので、もう望みは消えうせたと思いました。
この世において、私たちがすべてを信仰を持って始める時、霊的にも物理的にも多くの障害物が出てくるのは至極当然
のことです。ほとんどの場合、多くの人々は障害物を好みません。しかし、私たちは時には障害物に勇敢に立ち向かわ
なければなりません。たとえ否定的な状況で挫折してしまいそうな時でも、私たちは恐れずに前進し続けなければなりま
せん。私たちがそのようにし続ける時、免疫がついてきます。免疫が増し加わると、ついにはすべての障害物を克服でき
るのです。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 (ピリピ4:13)
するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」 (マルコ9:23)
私は後に私たちを追い出し続けていた警備員はビルの持ち主の親戚であったことを知りました。私たちはまた周りの地
域の他のテナントもそのビルの持ち主にどんなことをしてでも私たちには貸すなと頼んでいたことさえ聞きました。実際、
私たちはその場所はどんな教会にも貸し出さない場所であると言われました。私たちは持ち主に教会に貸すくらいなら空
いたままの方がましだと言われました。私たちが持ち主に近づいた時、彼は頑なに私たちに貸すことを拒みました。彼は
非常に頑固でした。その持ち主は私たちを6回拒みましたが、7回目に会った時にはついにその場所を貸すことを認めま
した。私はこれが聖霊様の助けのおかげであったと信じています。しかし、家賃とデポジット代金は私たちの想像を絶す
るものでした。要求された金額は私たちにものすごいショックをあたえました。もし私たちがデポジットとして350,000ドル
(訳注:1ドル75円として約2625万円、1円14ウォンとして約3億6750万ウォン)払って借りるなら私たちは月々の家賃を払
う必要はありません。韓国では、使用料は巨額のデポジットを払って得られた利息を通して支払われます。そのデポジッ
トは賃貸が終わった時に全部返還されます。他方は、私たちが86,000ドル(訳注:約645万円、9030万ウォン)をデポジット
として支払うなら家賃は2,600ドル(訳注:約20万円、280万ウォン)になります。もう一つの選択肢はデポジットとして
170,000ドル(訳注:約1275万円、1億7850万ウォン)払って家賃が1,700ドル(訳注:約13万円、182万ウォン)というものでし
た。最後の選択肢がデポジットとして260,000ドル(訳注:約1950万円、2億7300万ウォン)支払い、家賃が862ドル(訳注:
約6万5千円、91万ウォン)というものでした。管理費が別にかかり、35フィート四方(訳注:約2畳)あたり5ドル(訳注:375
円、5250ウォン)または1400ドル(訳注:約10万円、140万ウォン)必要です。電気や水の料金も含めると合計2500ドル(訳
注:約19万円、262万ウォン)はかかりました。これは冗談ではありません。
私たちは板挟み状態に陥りました。もし彼らが私たちにその場所を貸してくれたとしても、一体どうやって資金を作りやり
くりしていけるのでしょうか?今の教会の建物で持っていたもののすべては残っているデポジットの2000ドル(訳注:15万
円、210万ウォン)だけでした。その間に私はスウォン市のリバイバルを導きました。リバイバルの中に会って、私は熱烈
にこの問題のために祈りました。
「愛する主よ、ソグ区役所のところに教会を建てるのが本当にあなたの御心でしたらどうか1週間以内に86,000ドル(訳
注:約645万円、9030万ウォン)現金でお与え下さい!もしそうなったら、私たちの教会がそこを借りて得ることがあなたの
ご意志であることを信じます。私は前進します。」
このことは本当に実現しました。神は私たちの見知らぬある人を通して働かれました。この人は何度か文書を送って来て、
その後3回に分けて合計86,000ドル(訳注:約645万円、9030万ウォン)を私たちの口座に振り込んでくれたのです。36
* 主の声を聞いて石膏の壺を割った女性
ヒゼキヤとすべての民は、神が民のために整えてくださったことを喜んだ。このことが即座に行なわれたからである。
(Ⅱ歴代誌29:36)
3 年前、2005 年の 1 月に私の家族を含めた 9 人の主の教会のメンバーが特別な新年の祈り会を開きました。30 日間の
祈り会の間に、その教会員たちは主によって霊の目を開かれました。同時に聖なる火によるバプテスマも点火しました。
主は私に「燃える火によるバプテスマ」の本を書くように命じられました。私たちの聖霊ミニストリーはとても多様になりま
した。
その間、私たちは極めて貧しい状況下で祈っていました。私たちの状況は好ましくはありませんでした。視覚的効果を高
めるために、私はプロジェクタースクリーンを設置して 5 つの祈りの課題を映しました。私は最初から最後までそれぞれ
の祈りの課題を叫ぶことによって導いていました。残りの 8 人は私が言うことを繰り返しました。私たちの祈りはばかげた
ものに見えるかもしれません。しかし主は 5 つのパンと 2 匹の魚を 5000 人に分けたのと同じような奇跡をなさいました!
実際、私は 5 つの祈りの課題は非常にあいまいなものだと分かっていたので、彼らが具体化するのは不可能だと思って
いました。またその時には、5 人のメンバーはただ楽しむために私に続けて叫んでいたのです。これが 5 つの祈りの課題
の内容です。
1. 全世界が聖なる火のバプテスマを受けること
2. 教会を引っ越すために 430,000 ドル(訳注:3225 万円、4 億 5150 万ウォン)与えていただくこと
3. 9 人全員を巡礼旅行に遣わしていただくこと
4. あらゆる分野の働き人を主の教会に送っていただくこと
5. 「ボバルバル!」(私たちを他の家に移して下さい(異言の祈り))その頃私の家族は道端に立ち退かせられていまし
た。私たちは神に 1779 フィート四方(訳注:約 50 坪)のアパートを求めているとは知らずに祈っていました。
私たちはこれらの祈りを宣言しました。
私は私たちの祈りは現実にはそんなに意味がないと思っていましたが、それらは 2 年後の 2007 年に実現しました。それ
はただ奇跡としか言いようがありません。私は信徒たちに活気を持たせるためにいくつかの肯定的な祈りのリストを作り
ました。私はただ視覚的効果を高めるためにプロジェクタースクリーンを使いました。しかし、神はその裏で真実私たちの
ために働いて下さっていました。私たちは答えを受け取ったにもかかわらず当惑していました。実際、私たちは『燃える火
によるバプテスマ』の本からたくさんのお金が与えられるだろうと思っていました。しかし神の思いと私たちの計画は異な
る方向に進んでいたのです。
田舎に住んでいる婦人執事がいました。ある日、彼女はインターネットで『天国は本当にある』のサイトを見ていました。
このウェブサイトの主な内容はトマス・チュナム女史と著書『天国は本当にある』についてでした。そのサイトを見た後、彼
女はコンピューターを切ろうとしていました。しかし、突然主は彼女の耳に語られたのです。「娘よ、インターネットを見る
のをやめないで他のウェブサイトを見てみなさい!」その婦人執事は続けていくつかの他のウェブサイトも探しました。す
ると突然ポップアップ広告が現れました。それを読むと「これらの本の紹介」とありました。その本は「燃える火によるバプ
テスマ」の1巻から4巻だったのです。そこで紙表紙の要約版を買い求めることができました。主は彼女に命じました。「よ
し、娘よ。今その本を買ってすぐに全部読みなさい。わかりましたか?」37
その婦人執事は 1 巻から 4 巻までシリーズを全部買いそろえました。彼女はすべての本を一気に読みました。彼女はと
ても祝福され、またショックを受けました。主はその時彼女にささやかれました。「娘よ、あなたが持っているお金をみな集
めなさい。あなたはインチョンのソ市にある主の教会に行ってそのお金を渡しなさい。あなたがもっているものはすべて
このため準備されたものなのです。この瞬間から、あなたも主の教会に出席しなければなりません。」彼女は答えました。
「主よ、私は主の教会よりも預言で有名なソウルのメガチャーチに出席したいのです。あなたはなぜ私に主の教会に通え
とおっしゃるのですか?あなたはなぜ私に自分のお金をすべて彼らにあげてしまいなさいとおっしゃるのですか?」彼女
が尋ねた後、主はソウルのその教会は既にたくさんの人がいる裕福な教会だと語られました。主の教会のキム・ヨンドゥ
ー牧師は貧しさや困難の中にあるすべての人々を喜んで迎え入れる牧師です。主はさらに彼女は主の教会を経済的に
支え、仕えなければならないと語られました。
主は彼女に私たちの経済的必要の全てを支えるよう命令されたのです。彼女を通して、神は新しい教会に引っ越すため
の資金、経済的支援が必要な教会員のための資金、そしてさらに私たちの巡礼旅行のための資金までも与えて下さい
ました。イエス様は、引越しに必要な費用を賄うために、既に見知らぬ婦人執事を通して備えて下さっていたのです。追
加の資金は国中の特別なクリスチャンたちを通して賄われました。主はその婦人執事に巡礼旅行について語られました。
「娘よ、主の教会のメンバーたちを旅に行かせなさい!あなたが旅行の計画を立てるのではなく、キム牧師に何か計画
がないか尋ねなさい。キム牧師に聞けばわたしの意志がわかるでしょう。」
彼女は不満を抱いて言いました。「主よなぜですか?主の教会のメンバーたちはみな霊の目が開かれています。彼らは
祈りの中で天国も地獄も旅することができます。彼らが物理的に特別な巡礼旅行をする理由などありません。主よ、そう
ではありませんか?」主は答えられました。「霊は霊、肉は肉です。肉体的な領域での旅行もまた必要なのです。娘よ、
だからあなたはこの計画に直接参加しなければなりません。彼らはどのように旅をするか、またどのように代金を支払う
かを心配すべきではありません。あなたが彼らを送りださなければなりません!あなたには彼らの食事の世話をする責
任があります。彼らによい宿泊施設を用意し、食事と睡眠をしっかりとらせなさい。食事も含めた旅行計画を準備しなさ
い。あなたはまたパスポート、旅行鞄、小さなショルダーバッグ等の費用も提供しなければなりません。」
私がその婦人執事の話を聞いた後、私は主の素晴らしい配慮に大いに衝撃を受けました。私はしばらく言葉を失い、頭
も真っ白になって立ちつくしていました。妻と私にはハネムーンに行くチャンスがありませんでした。実際、私たちは飛行
機に乗ったことがありませんでした。私たちはロマンチックな旅行に行くという夢さえ抱いたことはありませんでした。私は
語る言葉もなく、主に対する畏敬の念に満たされていました。私は茫然としていました。その時突然表現できない感情に
圧倒されてしまったのです。私の心臓は高鳴り始めました。私は自分の鼓動が次第に早まっていくのを聞きとることがで
きるほどでした。どんなに自分を落ち着かせようとしても、それは容易ではありませんでした。
2005年1月は教会員たちにとっても私にとっても霊的に開かれ始めた時でした。私たちはまた凍え、文字通り空腹でした。
その冬はとても寒く、私たちは基本的に711 フィート四方(訳注:約20坪)の地下教会にいました。私たち9人は極めて貧
しい状況下で叫びの祈りを始めました。今はそれから 3 年がたちます。今その頃を思い出すと、ぼんやりとした記憶しか
残っていません。
その時には、燃料がずいぶん前に尽きてしまい、とても寒い中で私たちは休むことなく必死になって悪魔や悪霊と戦って
いました。それは終わることのないように思われました。私たちは気温マイナス 15 度という極限状態の中で戦っていまし
た。私たちには何も食べるものがありませんでした。空腹を覚えながら、私たちは祈りの中で悪霊や悪魔に対して戦いを
挑んでいました。私たちはなぜ彼らが私たちに向かってくるのかわかりませんでした。私たちには彼らの目的がわからな38
かったのです。手を温めるために温かい息を吹きかけながら、私たちは悪霊と絶え間なく直面し、戦いました。私たちは
餓死寸前であり、また寒さで震えていました。私たちが知っていた唯一のことは祈りでした。私たちは温かいシャワーを
浴びたり、ちゃんと体を洗ったりすることすらできませんでした。ほとんどの場合私たちは 1 日 1 食おにぎりを食べること
ができただけでした。
その時、私を含めて9人全員が祈りに集中していました。祈りは私たちの希望であり、ひたすらイエス様とお会いすること
を望んでいました。祈る時にはいつでも、常に悪霊の集団と殴り合いとも言えるような戦いをしました。多くの戦いをし、私
たちは次第に疲れ、体調を崩してしまいました。しかし 2007 年に、主はすべての祈りに同時に応えられました。このこと
について考える時、私は今でも仰天してしまいます。私は主が与えて下さったものを思う時、胸がいっぱいになります。私
は静かに、また絶え間なく喜びの涙を流します。その良い知らせはもともとの9人のメンバーと後に加わった新しいメンバ
ーたちにうれしい出来事をもたらしました。私たちの状況は祈りがいかに力強いかを証明するものです。私たちはすべて
の栄光を主にお捧げします。
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。
(エペソ 3:20‐21)
巡礼旅行の計画を練っていると新しい問題が生じました。主は30日の祈祷会で祈りぬいたもとの9人の信徒が参加する
ことを望んでおられました。しかし、後に加わった新しいメンバーのうちの何人かも一緒に行きたがったのです。私は板挟
みになり、大きなストレスを感じるようになりました。決めかねているうちに数か月が経過しました。その間に婦人執事は
新しい建物を借りるために 260,000 ドル(訳注:約 1950 万円、2 億 7300 万ウォン)捧げて下さいました。契約は完了しまし
た。私たちは大きな建物で主のミニストリーを行うことを夢見てきました。今や 9400 フィート四方(訳注:約 260 坪)の建物
が与えられ、夢は実現したのです。
そのスペースはとても広く、内装にかかるお金も莫大になると思われました。私たちはもともと発泡スチロール製の亜鉛
メッキパネルを付けようと決めていました。しかし主は、「キム牧師、この建物があなた自身のものではないとしても教会
は私の体です。だから内装をきちんとしなさい。わたしが十分な資金を与えよう」とおっしゃいました。神の礼拝堂に装飾
を施すとなると、神はみすぼらしい材料とやり方では喜ばれません。主は私たちを強く説得して内装を徹底的に優雅で美
しく飾らせました。建設中に財源が不足した時はいつでも、主はいつでもとても多くを与えて下さいました。経済的問題が
生じると、私はいつも心配しましたが、お金は予期しない形で与えられました。主はいつも 1 歩先に進まれ準備しておら
れました。
教会の建設と巡礼旅行の準備はスムーズに進みました。私たちはどちらも大きな祝福のうちに成し遂げました。私たち
に資金を与えて下さった婦人執事の旦那さんは証券会社のビジネスをしていらっしゃいました。私は好奇心で主の教会
の必要を満たすために彼女が用いたルートは何だったのだろうかと考えました。それにもかかわらず、その婦人執事は
素早く適切な手続きを踏んで資金を与えて下さいました。主が彼女に力強いメッセージを与えられたようでした。しかし、
彼女は計画全部の資金を供給することはできませんでした。
神は 5 冊の炎の本に触れられ、感動を与えられた様々な人を通して資金の不足を満たして下さいました。もちろん、全国
にいるその人たちに触れられたのは神ご自身です。その人たちは私たちを経済的に、また祈りで支えて下さいました。神39
もまた主の教会の資金と祈りに力を貸して下さいました。主が力強く介入して下さったので、建設作業は水が流れるよう
にスムーズに進みました。何の問題もなく、私たちは建設のために一切追加の負債を負うことがありませんでした。私た
ちは予算内で留まっていました。最終的な合計額は 450,000 ドル(訳注:約 3375 万円、約 4 億 7250 万ウォン)になりまし
た。
主の教会におけるすべての仕事は喜びと幸福のうちになされました。私たちはこのように続けていくつもりです。すべて
は自己決定によってなされます。誰にも要求はしません。特別な献金や他の貴重な品々を捧げるよう圧力をかけることも
ありません。すべては自発的になされます。新しい建物のための資金は不和も妨害もなく与えられました。神はすべての
方法を完全に整えて下さり、それは実に驚くべきものでした。私たちは特にインテリアデザイナーのために多くの祈りの
時間を割きました。神はベツァルエルのような特別なインテリアデザイナーを整えて下さいました。
主はモーセに告げて仰せられた。「見よ。わたしは、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、彼
に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。それは、彼が、金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、
はめ込みの宝石を彫り、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである。見よ。わたしは、ダン部族のアヒサマクの子オホリ
アブを、彼のもとに任命した。わたしはすべて心に知恵のある者に知恵を授けた。彼らはわたしがあなたに命じたものを、
ことごとく作る。 (出エジプト記31:1‐6)
ある人が1人のインテリアデザイナーを私たちに紹介して下さいました。そのインテリアデザイナーは他の教会の執事で
した。彼の名前はキム・スンジョンと言います。彼は他の関連分野でも働いていました。彼は新しくできた教会のためには
無償で奉仕し、3,000ドル(訳注:約22万円、315万ウォン)以下の内装工事費だけで請け負ってくれることで知られていま
した。彼の低い料金設定のおかげで合計コストを低くおさえることができるのです。多くのインテリアデザイナーがやって
来て計画を算定して下さいましたが、他の誰にも興味をひかれませんでした。キム・スンジョン執事とお会いした時、「こ
の人だ!」と強く感じました。
キム・スンジョン執事は毎日徹夜祈祷会に参加しました。新しい建物のために彼は喜んで働いて下さいました。彼はその
時異言、預言、またその他の賜物も受け取りました。彼は次第に主の教会の家族の一員になっていきました。神は彼に
賜物という特別手当を与えられました。神はまた彼に喜んで会堂の建設をさせました。なんと驚くべきことでしょう。
主が私たちを完全に新会堂に移された後、主は私たちをリラックスさせてくださったので新しい気持ちを持つことができま
した。新しい場所で心機一転しました。私たちの祈りはリフレッシュし、新しい霊的戦いの準備が整いました。それは全教
会員が長く心に抱き続けてきた願いの応答でした。メインの礼拝堂は4270フィート四方(訳注:120坪)で食堂、キッチン、
男性・女性のための部屋、シャワー室、5つの個人的な祈りの部屋、訓練の部屋、とりなしの祈りの部屋、放送室、図書
館、備え付けの物置、分かれたトイレ、オフィスなどができました。主は完璧な部屋を用意して下さいました。今や私たち
は防音壁があるので近所を気にせずに叫ぶことができます。さらに、どんな訪問者でも年中夜の祈祷会に出席した時に
休息をとることができます。教会にはもはや何の不足もありませんでした。私たちは今や祈りの家として、また完全に建
て上げられた教会として準備ができたのです。
* 主が私たちの祈りに応えられた!
私は主が韓国教会の建物をどのように見られるのだろうかといつも思います。私は主がこのことについて私の疑問にど
のように応えて下さるのだろうかと思いめぐらしました。私には1つの疑問があり、それを尋ねたい理由は大きな教会を40
建てたいという衝動があるからです。信徒数が増えたら大きな教会を建てるということはどんな牧師にとっても自然なこと
です。教会が建てられる時、牧師のビジョンと信徒たちの信仰に基づいて多くの変わることと要因を考慮します。いくつか
の事例において、私たちは多くの牧師が大きな教会堂を建設し、次第にその大きさが必要以上で予想を超えるものにな
ってしまうのを目撃しました。この失敗の理由の 1 つとして牧師の野心が挙げられます。このようなことを人生のうちで成
し遂げたいという野心です。教会の外観は甚だしく、自慢するかのような荘厳さで建てられます。しかし実際には彼らは
絶えず重い負債と利息で苦しんでいるのです。さらに、彼らの教会員たちがこれらの巨大プロジェクトの連帯保証人とし
て債務を負っています。彼らは結局貧しい生活をすることになっているのです。
イエス様は言われました。「牧師たちの過度なうぬぼれは彼らの宗教哲学と相まって、失敗と副作用を生みだしています。
わたしはその後始末をしている信徒たちを気の毒に思います。」主はこれらの教会は極端な決断の後、負担の重い生活
を続けることになるだろうと付け加えられました。私は主に返事をしました。「しかし主よ、教会建築のために多く貢献した
人はどうなるのですか?その人はたくさん祝福をうけるのでしょう?そうですよね?」主は答えられました。「それでも、賢
明に行動しなければならないのです。彼らは自分たちの資力に見合った建築をしなければなりません!」
与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建ててい
ます。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません (Ⅰコリント3:10)
私は主に尋ねました。「愛する主よ、私たちはあなたのために何もしてきませんでした。一体なぜあなたは私たちを祝福
し大きな建物に移して下さったのですか?あなたは私たちの巡礼旅行さえ整えて下さいました。私たちはあなたの恵み
に感謝するばかりです!」主は大きな声を出して笑われ、私に語られました。
「ははは!キム牧師、何を言っているんだ!あなたがどれだけ父、聖霊、そしてわたしを楽しませたか知っているのか
い?あなたと主の教会は夜通し祈って私をとても喜ばせました。わたしはあなたたちに素晴らしい贈り物をあげたいので
す。どうだい?うれしいでしょう?」
私はそれを聞くと涙が頬を流れ落ちました。私は言いました。「はい、主よ!ありがとうございます!」主は柔らかく温かい
声で語り続けられました。
「終わりの日まで変わってはいけません。いつも父、聖霊、そしてわたしを喜ばせなさい。あなたは霊的戦いを通過する
ために大変な人生を経験してきました。わたしは巡礼旅行を与えることによってあなたの疲労を和らげてあげたいので
す。わたしは個人的にあなたと共に旅行についていきましょう。一緒に行こう!もう1つ、この瞬間からあなたは新しい次
元の霊的戦いを経験するでしょう。だからあなたはしっかりと準備をし、武装しなさい!わかりましたか?」
主がまた霊的戦いのことに言及されたので、私は緊張しました。私は「今、主は霊的戦略を世界規模に拡大しようとして
おられるのだろうか?」と考えました。主は今や新しい霊的戦略を計画しておられます。彼は準備を整えて飛び込むよう
に命じられました。私たちは自分自身を整えなければなりません。その準備は神の御言葉を読み、祈ることです。しかし、
主の戦略は私たちがいくつかの戦いで勝ち、いくつかの戦いにおいては悪霊に打ち負かされることも含んでいます。彼
は私たちを成熟した屈強な将軍にしたいと望んでおられるのです。私は既にこのことをある程度知っています。
新しく借りた建物の内装工事中に、私たちはみんなわくわくしながら巡礼旅行の準備をしました。これは主の教会の歴史
において歴史的な旅行でした。主は整然とすべてのことを整えて下さったので、2007年6月に工事が完了し新しい建物に41
移って、巡礼旅行に行くことができました。
それにも関らず、私は巡礼旅行に参加する人数によって非常に困りました。私は全教会員が旅行のために互いに張り合
っているのでどうしたらよいのかわかりませんでした。私には最初に私たちの教会に登録した15人を選ぶ以外に選択肢
がありませんでした。しかし、1日2日の差で登録された新しいメンバーがたくさんいたので気分は晴れませんでした。しか
し私には他に選択肢がありませんでした。私は何人かをリストから除外しなければなりませんでしたが、彼らは決して旅
行のために競い合うことをやめようとしませんでした。彼らは最後まであきらめませんでした。「主よ、私も巡礼旅行に行
きたいのです!どうか私も行かせてください!」彼らは異口同音に祈っていました。
巡礼旅行が広がっていくのを見て、私は困り果ててしまいました。旅行のための費用は順調には進んでいませんでした。
旅の資金は見ず知らずの婦人執事に依存していました。そのことを思うと、私は申し訳なくて落ち着きませんでした。しか
し突然その婦人執事が私に電話してきたのです。「あら、キム牧師先生!巡礼旅行のことでどうしてそんなに思い煩って
いらっしゃるのですか?単純なことですよ。もともといた9人だけ連れて行けばいいではありませんか。どうしてそんなに
困ることがあるのですか?」私は何も言うことができませんでした。私はただ彼女の言うことを聞いていました。後に彼女
は主が彼女に命じられたことを話してくれました。「娘よ、わたしの僕であるキム牧師がとても困っているのでどうするつ
もりなのですか?僕がこれ以上悩まなくてもいいようにあと何人かの人をリストに加えなさい。」
結局15人の人が旅行に行くことが決まりました。しかし他の新しいメンバーたちが私に懇願してきました。「牧師先生!私
たちはここに来てまだ少ししか経っていませんが、それでも私は行きたいのです。行かせてください!お願いです。」旅行
に行けない残りのメンバーたちは必死になって祈りました。彼らは旅行に行くために祈りました。彼らは私に泣きついて
憐みを乞うかのように頼みこみさえしました。私はまた悩みました。「主よ、あなたは私に何をしてほしいと願っておられる
のですか?私が行かない方がいいのですか?」私が悩んでいると、その婦人執事がまた電話してきました。「あら、キム
牧師先生、一体何があったのですか?」彼女は主がもう一度彼女に命じられたことを話してくれました。「娘よ、我が僕は
また悩んでいる。だから、残りのメンバーも旅行に加えなさい。」
20人のメンバーが決まりました。するとまた同じことが起こったのです。私が悩み続けていると、主は婦人執事に語られ
ました。「娘よ、旅行に行く必要のあるメンバーがまだいます。」彼女は不満になって異議を唱えました。「まぁキム牧師先
生、あなたは一体何人の人を旅行に連れて行くつもりなのですか?」私は答えました。「あの、もし可能なら、私は全教会
員を一緒に連れて行きたいのです。でももし無理ならあともう少しだけ連れて行きます。」最終的に、私たちは合計25人で
出かけることになりました。これはすべて主の驚くばかりの恵みによるのです。
婦人執事は大笑いしながら言いました。「牧師先生、心配なさらないでください!あなたがあまりにもお悩みになるので、
主は私が忙しくて疲れきっているのに私のところに来られるのですよ。」主は言われました。「娘よ、私はあなたが疲れき
っていることを知っています。あなたは私の僕、キム牧師がどんな困難を経験しているのかわかっているのですか?彼
も非常に疲れ果てているのです。キム牧師は毎日地獄に引きずって行かれます。夜の間、彼の魂は地獄で残酷にも切
り裂かれています。彼は想像を絶する痛みの中にあります。その痛みは肉体にも及んでいるのです。だから、わたしは
キム牧師にこのことで心配してほしくないのです。キム牧師は地獄の苦痛を直接経験しているので他の人に警告をする
ことができます。彼には人々が地獄に行くのを防ぐ使命があるのです。娘よ、わたしはあなたに彼の全ての負債と巡礼
旅行の準備に責任を持つよう求めました。わたしは彼が思い煩うことを願いません。」42
ついに婦人執事は苦心して自分を犠牲にすることにしました。彼女は私たちの旅行を実行に移すために全身全霊を注い
で下さいました。彼女は重要なことからささいなことまですべてに気を配って下さいました。巡礼旅行の準備は整いました。
私たちはイスラエルからヨルダン、エジプトに至るまで5つ星ホテルに宿泊することになりました。私はハイクラスのリムジ
ンサービスも受ける予定だと聞かされました。私たちは専用バスをいただくことになりました。そのバスは豪華な設備が
たくさん付いていました。その国にはそのようなバスはたった2台しかありませんでした。私はとてもうれしく思いました。
私は感謝の気持ちを涙で表しました。巡礼旅行と新しい会堂への引越しは麗しい実を結びました。その実は自分を犠牲
にした匿名の婦人執事と多くの信徒を通して可能となったのです。
あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられ
た恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。 (Ⅱコリント1:11)
* 主が共に行かれた巡礼旅行
苦難の日に主があなたにお答えになりますように。ヤコブの神の名が、あなたを高く上げますように。主が聖所から、あ
なたに助けを送り、シオンから、あなたをささえられますように。あなたの穀物のささげ物をすべて心に留め、あなたの全
焼のいけにえを受け入れてくださいますように。セラ主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのすべて
のはかりごとを遂げさせてくださいますように。私たちは、あなたの勝利を喜び歌いましょう。私たちの神の御名により旗
を高く掲げましょう。主があなたの願いのすべてを遂げさせてくださいますように。今こそ、私は知る。主は、油をそそがれ
た者を、お救いになる。主は、右の手の救いの力をもって聖なる天から、お答えになる。ある者はいくさ車を誇り、ある者
は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。 (詩篇20:1‐7)
主の教会は生ける神の偉大な御業によって次第にリバイバルし、成長しました。私たちの巡礼旅行は予定通りに進みま
した。お祭りのような雰囲気が広がっていました。旅行に参加できなかった教会員のうち何人かは長い間悲しみにくれて
いました。「もし知っていたならもっと早く来たのに。もっと早く名前を登録したのに。私は非公式に教会に出席していて登
録していませんでした。最初から登録を先延ばししていました。今私は巡礼旅行に行けません。登録するのが遅すぎまし
た。」
私はある兄弟が旅行者リストに入るように手配しました。彼はかつて公園のベンチで寝泊まりしていました。彼は非常に
喜んでいました。その兄弟はとても感動して幸せそうでした。彼は自分も連れて行ってくれるなんて思いもしなかったと言
いました。匿名の婦人執事は旅行に必要な手配のすべての世話をしてくれました。私は旅行のことについて心配する必
要がありませんでした。私は彼女の勤勉な努力と献身を決して忘れないでしょう。私は一生、いつでもそのことを思い出
すでしょう。
偉大な愛をお持ちのイエス様はこの巡礼旅行を前進させて下さいました。主は旅行代理店の責任者に「燃える火による
バプテスマ」の本を読むように語られました。婦人執事は旅行代理店の責任者に旅行の手配の準備をするように求めま
した。彼女は彼にこの旅行を最優先にして、VIP待遇をするよう頼みました。旅行は炎の本に出てくるメンバーたちと共に
行くことになりました。しかし、この旅行が特別なのは三位一体の神ご自身が教会員と共に行かれるということです。
2007年6月の最後の週に私たちは教会の内装工事を完了しました。2007年7月9日に主の教会のメンバーたちは送別礼
拝を開いて、帰宅後荷物を詰めました。私たちはバスに乗って空港に行きました。主もまた4つの鞄を持っておられ、天
使たちに付き添われていました。「主の教会の聖徒たちよ、わたしは巡礼旅行に同行します。どう思いますか?みんな幸43
せでわくわくしていますか?」私たちはみんな大喜びで答えました。「アーメン!」
午後8時に私たちは大韓航空のKE951便に搭乗しました。私たちは飛行機に乗って約束の地へ向かって飛んでいました。
私たちはこの瞬間を切望し、夢見てきました。これはずっと抱いてきた夢であり、どう考えても不可能だったのに今や現
実となったのです。
私の妻、ジョセフ、ジューユン、ハークスン、そして他のメンバーたちの何人かと私は人生で初めて飛行機に乗りました。
興奮と感激であふれていました。私たちはみんなそろってずっと「ハレルヤ!主よ感謝します!」と叫んでいました。妻と
私は互いを見て繰り返しました。「一体どうして主は私たちをこんなにも愛して下さるのでしょう?」私たちは喜びにあふれ
て泣いていました。涙が顔を流れ落ちました。私たちは既に私たちに加わっておられた主に気づいていませんでした。彼
は私たちの膝の上に座っておられました。「そうです、わたしの愛するキム牧師と聖ヒュンジャ!あなたたちはわたしがあ
なたたち2人をとても愛していることを知っていますね。多くの困難と苦しみに耐えてくれたことをあなたたちに感謝したい
のはわたしの方なのです。これから先も耐えしのび働きなさい。あなたたちの前にはまだたくさんの困難が待ち受けてい
るでしょう。将来困難に直面する時、わたしはあなたたちが耐え抜くことを期待しています。愛しているよ。」主はそう言い
ながら私たちの頭をを優しくなでて抱きしめて下さいました。彼はそれから顔を私たちの顔にすりつけられました。
飛行機に乗っている間、私は「あぁ、私は巡礼旅行の間は、主は私を地獄には連れて行かれないだろうな」と思いました。
私はわくわくし、喜びにあふれていました。「旅行の間彼は私を連れていかれないに違いない。うーん、そうかな?」私は
教会のみんなは私の考えていたことを察していたと思います。彼らはみんな「キム牧師、あなたはとても幸せに違いあり
ませんね。主はこの旅行の間は絶対あなたを地獄に連れて行かれないでしょう。」と言って私を慰めました。
旅行は主によって認められ、整えられました。私たちは信仰の道を突き進みました。私たちは休暇でパック旅行中でした。
偶然にもそれは出エジプトパックツアーと言い、10泊11日でした。巡礼旅行で私たちはイスラエル、ヨルダン、エジプトを
回りました。私たちはイエス様がお生まれになった地を旅する予定でした。私たちはまた初代クリスチャンたちがいたガリ
ラヤや、新旧約の預言者たちや弟子たちが働きを行った場所などにも行く予定でした。しかし私たちはそこに着いてがっ
かりしました。その光景は私たちの想像と異なっていました。それを見て私が思い出す場所は仏教の寺院でした。そこは
悪霊と盗人の巣窟と化していました。悪魔が荒々しく狂ったように走り回っていました。実際、悪魔が自分の家で楽しんで
いるかのようでした。
さらに、私たちが行ったところにはどこにでも数え切れないほどのろうそくがありました。それは私に仏教と寺とろうそくを
思い起こさせました。そこは燃えている香料で満ちていて、また商人や売り子であふれ返っていました。私には悪を追い
出すために聖なるむちが必要でした。
私たちはそこに着いたら攻撃を受けました。悪霊は集団で私たちに襲いかかってきました。しかし、1つ1つの場所で私た
ちは力強く祈り叫んで悪霊たちと戦いました。私たちは負けるつもりはありませんでした。一方で、私たちはなじみのない
場所を訪れたことで本当にリフレッシュしていました。異国の地に立っているということはとてもわくわくすることでした。私
たちは主の恵みによってこれらすべてを経験することができました。私たちの一団はイスラエル、ヨルダン、エジプトの3カ
国を訪れました。私たちが異国の地に着くや否や、私たちは自然により愛国的になりました。私たちの心も考えも自分の
国に向いていました。私はかつて誰かが自分の国を離れると自分の祖国に対する愛国心を感じるのは自然なことだと言
っていたのを聞いたことがあります。それは正しいようで、私たちは精神的に次第に1つになっていきました。44
私と妻が結婚して22年になります。しかし私たちは国外も国内も一緒に旅行をしたことがありませんでした。実際、私たち
は新婚旅行にも行かなかったのです。イスラエルでの滞在で5つ星ホテルに泊まっている間に、私たちはこっそり手をつ
ないで散歩しました。私たちは他の教会員が見ていないときに手をつなぎました。私たちが互いのために時間をとるよう
になってからかなりの時がたっていました。手をつなぐと、とても緊張してしまいました。私たちは教会員が見ているので
はないかと心配になりました。私たちの心臓は非常に早く打っていました。私たちは互いを見て大笑いしました。私たち
の子供、ジョセフ(高校3年生)とジューユン(高校2年生)は私たちがそっとしておいてほしいこと、また私たちの場所を与
えてほしいことを察してくれました。「お父さん!お母さん!2人はたくさんの困難を経験してきたよね。2人で一緒に過ごさ
せてあげるよ。ほら、手をつないで。愛してるよ!」
苦痛と訓練、そして試みの日々は今や薄れて消えてしまいました。その時の記憶と状況は絶え間ない悲しみと試みでし
た。それが今やパッとめくられた本のページのようにすべて消え去ってしまったのです。ハレルヤ!主よ、感謝します!
聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕
暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。 (詩篇30:4‐5)
あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。
私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝しま
す。 (詩篇30:11‐12)
巡礼旅行に出発する前、旅行代理店のスタッフの1人が主の教会を訪れアドバイスをしてくれました。私たちが再検討し
たことのうち、1つ心に刻まなければならないとても重要なことがありました。旅行代理店の方は中東の人々、また西洋、
ヨーロッパの人々は乾燥したものでも焼いたものでもイカの香りを嫌うと言い、イカを持っていかないようにアドバイスをし
てくれました。その人は出かける前にできるだけたくさん食べていくようにと言いました。
それにもかかわらず、人々は言われたことに逆らおうとしました。彼らが子供か大人かは問題ではありません。巡礼旅行
に参加した私たちの教会員は問題を引き起こしました。彼らはこっそり乾燥イカを持っていったのです。イスラエル、ヨル
ダン、エジプトへの観光バスに乗ると、彼らはイカを取りだして食べました。イカの匂いがバス中に充満しました。その間、
バスの窓はしっかり閉じてありました。全教会員はこっそり様々な種類の乾燥イカを持ってきていました。旅行代理店の
アドバイスに従ったのは私たち夫婦だけでした。
中東のイスラム教徒の中には聖書の記述を知っている人もいます。彼らはうろこのない魚を汚れていると考えます。彼ら
はにおいのために特にイカをひどく嫌います。中東人のバス運転手はそのにおいをかぎました。
バスの運転手はイカの匂いのせいで嫌そうな顔をしていました。私は彼の顔を見ると、歪んだ表情をしていることに気づ
きました。バスの運転手はイカの匂いを臭い足の匂いのように思っているかのように見えました。彼は鼻をつまんでずっ
と頭を振っていました。「あぁ、もう!」彼は自分の横の窓を開けて空気をバスの外に出そうとしていました。
私は教会員たちを見てイカを捨てるように言いました。しかし彼らはこう答えました。「どうしてですか?先生だってイカが
どんなにおいしいか知っているでしょう。どうして捨てろなんておっしゃるのですか?牧師先生、一緒に食べましょうよ。」
あぁ、韓国人とはどこに行ってもなんと強情なことか。私は彼らに捨てろと言ったにもかかわらず、実は私もこっそり自分45
の分を持っていたのです。バスの後ろにはシンプルな服の警官が座っていました。この警官は私たちのツアーに同行し
ていました。彼は私たちの警備員でした。
私たちの巡礼旅行は特に問題も不便もありませんでした。婦人執事と旅行代理店の助けのおかげで、何もかもが用心
深く準備されました。私たちは本当に新しく異なった場所や出来事を経験しました。特に現地人の体臭やわきの匂いにつ
いては面白いエピソードがたくさんあります。彼らが私たちの食べるニンニクやイカの匂いが気に食わないのと同様に彼
らの体臭が嫌でした。彼らのわきの匂いといったら、もうどうしようもありませんでした。それは我慢できないほどの臭さで
した。
巡礼旅行の間、宿泊施設は5つ星ホテルでした。それはその地域で最良のホテルでした。食事も素晴らしかったです。私
たちは常に高級ビュッフェをいただきました。そのビュッフェは美しく、とてもおいしそうに見えました。私たちの口は文字
通り濡れていました。しかし並んでいる食べ物は知らないものばかりでした。私は全く食べることができませんでした。果
物さえ何も食べられなかったのです。私が食べることができなかった理由は、すべての食べ物からある匂いがしたからで
す。果物を含めてすべての食べ物がその匂いを放っていました。私は鼻をつまんで食べようとしましたが、やっぱりいつ
も食べることができませんでした。
しかしちょうど教会員の何人かが韓国から缶詰を持ってきていました。私はそれで彼らの持ってきた物を食べました。私
はとてもお腹がすいていました。韓国料理は最高においしく感じました。後になって彼らの体の独特な匂いはスパイスだ
ということがわかりました。このスパイスは料理にも使われています。彼らはスパイスをご飯にふりかけます。それは韓国
人が料理を作る時に塩とコチュジャンを使うのとほぼ同じです。スパイスに気づいていなかったのは私たちのグループだ
けのようでした。これらのスパイスは中東文化と密接な関係があるようです。この巡礼旅行は私たちにとって他国の伝統
的な食文化を体験するよい機会でした。私たちは食文化を克服するのはそう容易くないということを知りました。
教会員のうちの数名とジョセフはすぐに食事に順応しました。彼らはとてもよく食べていました。「牧師先生、もう一回食べ
てみてください。おいしいですよ。」今、私は韓国の宣教チームが何を経験しなければならないのかを考え直しています。
彼らは韓国を出て見知らぬ異国の地へ行き、福音を述べ伝えています。彼らは食事を含めて様々な文化的問題を乗り
越えてきました。私は彼らがどんなに自分を犠牲にしてきた素晴らしい人たちなのかと感じずにはいられませんでした。
私はかつてアメリカに住んでいるクォン・パルキュ兄弟、シン・ジェラン姉妹からある話を聞いたことがあります。そのこと
は彼らがたまたま大学生だった時に大学のキャンパスで起こりました。韓国人学生は地元のアメリカ人学生にいじめら
れていました。韓国人学生は少し力が弱かったのです。韓国人学生は我慢の限界を迎え、アメリカ人学生に仕返しをす
るために乾燥イカを持って行きました。彼らはいじめっ子たちの真ん前で乾燥イカを食べました。するといじめっ子たちは
イカの匂いから逃げて行ったのです。とにかく、旅行代理店がイカを持っていくなと警告したにも関わらず、教会員たちは
最後の日までイカを食べ続けました。旅行中乾燥イカを食べていたせいで起こったことの話はたくさんあります。それら
は私たちが長い間何度も繰り返し言うであろう話です。
旅行中、私たちは出エジプトの道をたどりました。しかし、私たちは常にそれぞれの地域の君と10日間にわたって常に戦
いがありました。すべての出来事や経験の中で、私の記憶に永遠に残るであろうことが1つあります。ツアーガイドを含
めて、私たちはみんな聖霊の力強い臨在と強力な油注ぎの下にありました。私たちはみんな古代エルサレム、ガリラヤ、
またイエス様と弟子たちがかつておられて働きをなさった他の地域で叫び祈りました。聖霊のエネルギー、熱い火、そし46
て油注ぎがツアーガイドを含めて私たちにバプテスマされました。私たちは聖なる燃える火のバプテスマを与えられまし
た。いろいろな所に一緒に行ったツアーガイドは地面にあおむけに倒れてしまいました。三位一体の神は毎日私たちと
共におられ、すべての細かいことまで気にかけてくださいました。ツアーガイドはこんなに強い聖霊の臨在を経験したの
はこれが初めてだと証しました。彼は自分のキャリアを通してたくさんの巡礼旅行を導いてきたのです。
また機会があったら、私は出エジプト巡礼旅行の間に示された霊的な現象を詳細に著そうと考えています。2007年の主
が共におられた10日間の巡礼旅行は終わろうとしていました。しかし、たくさんの出来事と試みが私を待ち受けていまし
た。
巡礼旅行の最後に、私たちはエジプトの最高級ホテルで最後の夜を過ごしました。そのホテルは「カイロ国際コンチネン
タルホテル」と言います。この夜が明けたら私たちは早朝に韓国に発ちます。私は「巡礼旅行が終わって、おそらく主は
また私を地獄に連れていくだろう」と思いました。私はとても緊張していました。突然、主が現れて私に話しかけられまし
た。
「わが愛するキム牧師!」私は「はい、主よ!」と答えました。主はお尋ねになりました。「旅行はどうだったかな?素晴ら
しかっただろう?ところで、わたしたちは計画より遅れてしまっています。旅行は終わったから地獄に戻ろう。準備しなさ
い!」
私は叫びました。「主よ、何とおっしゃいました?もう少し時間をください!あぁ、主よ待って下さい!」
私は時が来ていることを知っていましたが、そのことを認めていませんでした。主はその時私が彼と議論もできないうち
に直ちに私を地獄に連れて行かれました。私はホテルのロビーを歩いて部屋の前まで来て倒れました。妻は苦労して私
を支え、部屋に入れました。妻が私をベッドに横にならせてくれた直後に私は金切り声をあげました。私はベッドから落ち
て床を転げまわりました。地獄の苦痛が私の体全体で悲鳴を上げていました。翌朝、私はひどい痛みの中で荷物を詰め
ました。妻と若者たちの助けで、私は飛行機に乗ることができました。彼らは私が座席に座るのを助けてくれました。
私は「ここでは絶対にないだろう。飛行機の中は人があまりにも多いし、フライトは15時間だから。主はここでは私を地獄
には連れて行くまい。満員なんだから。」と思いました。その時主は言われました。「キム牧師、予定が遅れてしまってい
ます。すぐに地獄に行こう!」彼は私の手を引っ張ったので私は不機嫌に返事をしました。「何ですって!主よ?ここでで
すか?飛行機は満員で、狭いしスペースも限られています。どうやってですか?この状況でどうやって地獄に行けるとい
うのですか?主よ、多すぎると思いませんか?」イエス様は答えられました。「いいや、大丈夫です。わたしは既にあなた
を地獄に連れていく準備ができています。あなたにいくつか余分の席を用意しています。キム牧師、狭い座席について
は心配しないでいい。もしわたしを信じられないなら、妻に頼んで空いている席がないか聞いてもらいなさい。」その瞬間、
私は飛行機の通路に倒れました。私は飛行機にたくさんの人が乗っていたのでうめきを抑えようと努力しました。私は痛
みの中で静かにしていようと試みました。
韓国に帰る韓国人がたくさんいました。チケットは完売でした。妻は戻ってくると席に座って言いました。「牧師先生、ほん
とうに不思議なことよ!全部の座席が売り切れたのに、主はどうにかして一番後ろの列の4つの席を空けておかれたの。
あなたはそこに横になれるわ、ハレルヤ!」私は妻を見て驚きました。私は「何だって!ハレルヤだって?もちろん、地獄
に行くのは彼女じゃない。私なんだ!いったいどうやって主は飛行機で私を地獄に連れて行かれるんだ?」と思いました。47
しかし私はそれでも主の素晴らしい配慮に感謝しました。
突然、私の祈りは感謝に変わりました。「主よ、こんなに気にかけていただけるなんて私は一体何者なのでしょう?私は
ただの罪人にすぎません!主よ、私は罪人であるだけでなくて何でしょう?」私は繰り返し地獄に連れ戻されていました
が、私は主の助けに感謝していました。私は絶え間なく涙を流して泣きました。私たちは主の特別な配慮の中で無事に
韓国に帰ってきました。
ハレルヤ!主よ感謝します!
* 巡礼旅行中の霊的戦い
そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければなら
ないのですが、信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現わ
れのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イ
エス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。(Ⅰペテロ1:6‐7,13)
旅行の準備をしていた時、悪霊たちは様々な方法で干渉してきました。その悪霊たちは数人の教会員、特に巡礼旅行に
参加する人たちの夢を通して働きました。サタンは旅行に参加するメンバーに間違ったアドバイスをするよう人を用いる
こともできました。実際、信仰の弱いメンバーの中には準備を進めていたのにも関わらず参加をあきらめてしまった人々
もいました。悪いアドバイスをした人々は霊の目が開かれたと主張する人々であり、また熱烈な祈りの勇士であると言う
人々でした。彼らは飛行機の墜落やテロリストの話をして弱い信仰者に恐れを抱かせました。信仰の弱い人々は自分の
身の安全を心配して旅行をキャンセルしたのです。
私たちが出発するその日まで、参加する人と参加しない人の間には絶えず争いがありました。インテリアデザインを任せ
られた執事にも不思議な事件が起きました。彼はほとんど死にかけたのです。その執事の舌は後ろに巻いてしまい、彼
は窒息してしまいました。私は出発するまで全ての争いや事件にはらはらし、冷や汗をかいていました。さらに、出発す
る前夜、私は地獄の底に連れて行かれ、私の魂は残酷にも引き裂かれました。私は肉の体にも鮮明に痛みを感じること
ができました。
もしある人が特別な信仰を持っているなら、その人は特別な試練に耐えなければならないでしょう。並はずれた信仰生活
をしている人は、特別な試みを通過しなければならないでしょう。神は高潔な人物、ヨブに対して計り知れない愛情を抱
いておられました。そのため、神はサタンの提案をお受入れになったのです。神はヨブの思考、性格、特に神への信仰の
自由意思をテストすることを願われました。ヨブの物語はまた私たちに神はヨブの忍耐がどこまで続くかを知っておられた
ことを明らかにしてくれます。
ヨブの経験と同じような出来事を示す物語は聖書の中にたくさんあります。それは聖書全体にわたっています。私自身の
見方では、私たちの教会は聖書中にあるこれら多くの物語を反映して前進しているようです。私たちは直接的、あるいは
間接的にこのことを理解しています。教会員も私もいつも神にユニークな方法で用いていただきたいと願っています。
主の教会はしばしば様々な試みを通されます。私たちが個人のリバイバル礼拝をしているか集団のリバイバル礼拝をし
ているかは問題ではありません。様々なところで大きな試練に直面しました。それゆえに、私はメンバーたちをしっかり祈48
りで武装させなければなりませんでした。しっかり武装した祈りにもかかわらず、メンバーのうちの幾人かは打ち負かされ、
幾人かは試みに勝利しました。巡礼旅行も例外ではありません。天にはタクシーやバス、電車、バイク、ヘリコプター、戦
車、潜水艦のように武器を積んだ船があります。この旅行で、主は天国の乗り物を持って個人的に付き添って下さり、私
たちを守って下さいました。
霊の目が開かれた人々は頻繁に超自然的な出来事を目撃して私に伝えてくれました。
同時に、悪の力もまた私たちに立ちはだかるために仲間を招集しました。それらは私たちについて来て攻撃し続けました。
しかしイエス様がいつも共にいて下さったので、悪霊たちは私たちに近づくことができませんでした。
しかし主は時々悪霊が私たちを攻撃するのをお許しになりました。それが起こるといつでも、メンバーの中には地面に倒
れてとても具合が悪くなってしまう人々がいました。彼らはひどい吐き気と体の痛みに遭いました。それは私たち全員が
突然気づきました。私たちは新しい国際的な次元の霊的戦いに遭遇していたのです。
飛行機に乗っている間、非常に多くの天使たちが飛行機の傍を飛んでいました。彼らはV字に隊列を組んで飛んでいま
した。悪魔の力もまたあらゆる方向から飛行機の近くに集まってきました。悪霊たちはハチのように繰り返し集まったり散
らばったりしていました。悪霊は海辺の砂のように数え切れないほどいました。それらは高い山のように積み重なってい
ました。飛行機は何も知らずにその間を飛んでいたのです。異国での霊的戦いはより深刻というわけでもないとわかりま
した。
旅行中、私たちの教会員は好奇心旺盛でわくわくしながら日中は観光旅行に行きました。しかし、私はリーダーとして霊
的戦いを導かなければなりませんでした。夜になるといつでも私は緊張しました。それにもかかわらず、悪魔の手下たち
は昼でも夜でも私を攻撃しようとしました。私はレストランでもホテルでも、プールでもバスの中でも攻撃されました。
*  エジプトを監視している支配者
私たちは 7 月 9 日に出発し、翌日にエジプトに着きました。私たちが着くや否や、国立博物館、ピラミッドとスフィンクスを
見る観光ツアーが用意されていました。最初の夜はシナイ山のふもとにあるホテルで泊まりました。ジョセフと数人のメン
バーは既に悪しき力によって攻撃を受けました。ジョセフは言葉によってののしられたと言いました。それらは「おい、5^
@#%(聞き取れない言葉)!なんでこいつらはここに来たんだ?」と言いました。その攻撃は私たちが国立博物館、ピラ
ミッド、スフィンクスの 3 つの観光地を見物している間に起こりました。ジョセフは準備ができていなかったので、頭を殴ら
れてしまいました。彼は頭が砕けたかのように感じたと言っていました。彼は耐えられない痛みの中にありました。イエス
様はその時すぐに現れて彼の血をジョセフの頭に適用しました。ジョセフは次第に良くなって癒されました。
朝早くに山登りをする予定だったため、私は午後 10 時半に床に着きました。しかし、眠ることができませんでした。私は
寝返りを打ち続けていました。私は眠れなかったので出エジプトの出来事の主な特徴について思いめぐらしていました。
その時私は突然エジプトの支配者とシナイ山から来た悪霊によって攻撃されました。エジプトの悪霊は韓国から私たちに
着いてきた悪霊たちに援助されていました。私は悪霊の声と「へへははうふうふ」という異様な笑いにとても驚きました。
私の隣で寝ていた妻は既にぐっすり眠っていびきをかいていました。彼女は旅行でとても疲れていたのです。49
私は主が見当たらなかったので奇妙で嫌な感じがしました。私はこの危機的な状況下で彼の臨在すら感じることができ
ませんでした。主から与えられていた武器は取り去られていました。いつもなら、他の信徒が悪魔の攻撃を受けた時には
主はより多くの武器を与えて助けて下さいます。今この時、なぜ神は何の助けもなく私がまた打ち負かされるのを許して
おられるのだろうかと思いました。私は時々このことに悲しくなります。私はこのような霊的状況に置かれて緊急な助けを
必要としているから悲しいのです。しかし私に何ができると言うのでしょう?これは主のご意思なのです。
「俺はエジプトを支配している神だ!お前と対決で来てうれしいぞ!お前は痛みを味わうだろう!@#$#@#%(聞き
取れない言葉)!」その悪魔の君主はその時突然私の両ふくらはぎに攻撃しました。私のふくらはぎは両方麻痺してしま
いました。私は全く防御する余裕がありませんでした。私は即座に床に落ち、叫びながら転げ回りました。私はもはやど
の悪魔や悪霊が私を攻撃しているのか確かめることもできませんでした。その痛みは耐えがたいものでした。
私は叫びました。「どいつが私を攻撃しているんだ?」私は目の前に山のような大きさの巨大な悪霊を見ました。その悪
霊はだらしない身なりでみすぼらしいジプシーのようでした。髪は長くてぐしゃぐしゃでした。そのジプシーの悪霊は叫び
ながら狂ったように走っていました。
「お前はなぜここに来た?@%#@(聞き取れない言葉)!お前は自分を誰だと思っているのだ?お前は俺たちをこんな
風に苦しめるために来たのか?」それらは一斉に攻撃してきました。悪霊は私のふくらはぎに毒を入れ、その毒は次第
に全身に回ってきました。悪魔は私が苦しんでいるのを見ると喜びました。「はははは!こいつは何者でもなくなった!相
手にもならんわ!へへへへ。」痛めつけられていると、妻はどうにか私の戦いに気づいて目を覚ましました。
「あぁ、あなた?」私は答えました。「あぁ、急いで私の足をマッサージしてくれ!悪霊にやられてしまったんだ。毒はだん
だん上半身にも回って来ている。異言で祈ってそれを聖なる火で早く止めてくれ!」床に横たわった状態で私は「聖なる
火」と叫びました。妻はその時巨大な聖なる火で悪しき力と戦いました。
「あぁ、熱い!」エジプトの悪霊の集団は聖なる火を受けた痛みのために大声で叫びました。その悪霊たちは塵になって
すぐ消えてしまいました。
悪霊たちは一瞬も休む時を与えてくれません。私が寝ているか起きているかは関係ありません。悪霊は昼も夜も攻撃を
仕掛けてきます。だから、私は防御を解くことはできないのです。悪霊の集団はエジプトを発つまで容赦なく私たちを攻撃
してきました。
*  イスラエルを支配する神
2007 年 7 月 14 日、私たちはガリラヤこのほとりにあるホテルにチェックインしました。私がまさに眠りに着こうとしていた
時、非常に小さな蛇が私に近づいてきました。それが私に近づいてきた時、小さな蛇は巨大な黄金の蛇に変身しました。
蛇は山のように巨大でした。その蛇は近づいてきながらシューっと音を鳴らして命を奪うほどの牙を見せました。
「おい小僧、よくも俺の国に来やがったな?」
私たちがイスラエルの地に着いてからもう 2 日たっていました。私は悪霊が面と向かってこなかったので内心緊張してい
ました。ついに、それらは本当の姿を露わにしました。主が緊急に現れて私に語られました。50
「キム牧師、この蛇の悪霊は古代のものです。それは非常に古い悪霊で、太古の昔から存在しています。わたしの民を
荒野でそそのかしたのと同じ悪霊なのです。個の悪霊は現在でもなお下級の欲望の霊と共にイスラエルの至る所で働
いています。」
主が語り終えられるのと同時に、他の巨大な黄金の蛇が攻撃してきました。それは私の周りにとぐろを巻くことができまし
た。それは竜のように見えました。私は叫んでベッドから床に落ちてしまいました。私は蛇の周りを転げまわりながら戦い
ました。私は「聖なる剣!聖なる剣!」と叫びました。しかし主は私に剣を与えて下さいませんでした。主は蛇と素手で戦
うようにされたのです。「あぁ、つかみにくい!」蛇は私を尾でぐるぐる巻きにしました。私はひどく不快なにおいをかぎまし
た。蛇の体は気持ち悪い油で覆われていました。私はそれを握ることができませんでした。私が蛇の体を握ろうとしても、
すっぽぬけてしまうのです。その蛇は非常につかみにくいものでした。私は嘔吐を始めました。「主よ、私に力を下さ
い!」
主は近くで見ておられて、ついに私に何か珍しいものを与えて下さいました。私は左手にはめる特別な手袋を与えられま
した。その手袋はすべらない耐性のある素材で覆われていました。私の手はもはやすべりません。実際、その手袋は私
が蛇の体をつかまえるのを助けてくれました。それは強力糊のような粘着性の手袋でした。左手に手袋をはめて、私は
左手を使って怪物のような蛇の頭に向かってよじ登りました。黄金の蛇は全ての力を使って私にかみつこうとしました。
蛇は私を体から振り落とそうとしました。その蛇は他の欲望の蛇を呼ぶために奇妙な信号を発しました。
私が戦っていた蛇は砂漠の砂と深い泥を混ぜたような黄色をしていました。その時白い蛇の群れが私に向かってくるの
が見えました。それらは遠くから様々な形で現れました。数え切れないほどの蛇が現れて地球と周りの大気を満たしまし
た。しかし私は戦っている一匹に集中しました。私はもしこの一匹を倒せば他の下級の蛇たちは同じようになるだろうと
考えました。
とうとう、主は私に蛇の頭に到達する力を与えて下さいました。私は蛇の首のあたりに着きました。私は馬に乗るように
蛇の首に座って身を守りました。私は蛇の上下の顎をつかみました。私は「主よ、私に力を下さい!」と叫びました。私は
力の限り叫びながら蛇の口を引き裂きました。その瞬間、蛇はうめくような苦痛の叫びをあげて消えました。私の全身は
汗でびしょぬれになっていました。わたしはとうとう疲れ果てて床に倒れてしまいました。
私が疲れてうめきながら、なんとか話すことができました。「あぁぁ、主よ、主よ。」妻は私に近づいてきて言いました。「あ
らあなた、今ここでひどい戦いをしたの?大変だった?」彼女は冷たい水を手渡して私の体をマッサージし始めました。
主は静かに立っておられましたが、満足そうな表情をしておられました。
私は主が巡礼旅行の間私を地獄に連れて行かれなかったことにもう 1 度心から感謝します。もしその旅行のためでなか
ったら、私は毎晩地獄を訪問していたことでしょう。一方で、私はそれでも主が心を変えられるのではないかと思って非常
に緊張していました。誰も知りません。彼はまだ私を地獄に連れて行かれるでしょう。
*  ヨルダンを支配する神
2007年7月15日、その日は日曜日で、礼拝の後私たちは移動しました。私たちはロトと家族が避難した場所であるツォ
アルに行きました。私たちはその時ロトと 2 人の娘が住んでいた洞穴に行きました。その後、私たちはアモン、モアブ、ギ
レアドなどの地にも行きました。最後に私たちは「ぺトラ・ゴールデンチューリップホテル」に着きました。美しい風景を見て
いると、私はいくつかの理由で早く寝たくはありませんでした。妻と私はホテルを出て散歩しました。私たちは二人の時間51
を楽しみました。平和なひと時でした。私たちが打ち解けて心にあることを話す時間を持ってからかなりの時が経ってい
ました。私たちはどれくらいの時が与えられているかはわからないけれども、主と彼のミニストリーのために最善を尽くす
ことを確認しました。私たちは心にあることを分かち合いました。私たちは願い、望み、そして祈りについて話しました。私
たちは主が事前に霊的戦いについての情報を与えて下さることを望んでいました。霊的戦いは大きな代価を伴います。
それは瞬間的に、また次第に私たちを抑圧するのです。
私たちが 2 人の時間を楽しんでいる時でさえ、イエス様はいつも私たちの間に座っておられました。彼は私たちの会話を
楽しんでおられ、様々な方法で愛を表現されました。夜遅くなってしまったので私たちはホテルの部屋へ戻りました。私は
その時また霊的な緊張が高まるのを感じました。私たちはベッドの上で寝ていました。私たちはツインの部屋に泊まって
いました。私たちにはそれぞれのベッドがありました。私たちは祈って眠ることにしました。ついに、ヨルダン地域に割り当
てられた悪霊たちがやってきました。もし自分の敵を知っているなら、もっと容易に戦いに勝つことができるでしょう。少し
時間が経ちましたが悪しき力は完全に自分たちの正体を現わしませんでした。私は主に尋ねました。「主よ、主よ、私に
悪霊たちを見せて下さい。」しかし私は主の臨在を感じることができませんでした。
私は主がいつもおられることを知っていますが、時にほとんど臨在を認識できない時があります。そしてそれは主の自由
なのです。主は既に全てのことを知っておられます。彼は正確に全ての霊的戦いを判断しておられます。さらに、彼は常
に私をじっと見つめておられます。私にはこのことに関して選択の余地はありません。私は悪霊たちと戦わねばならない
のです。神は私に霊的戦いに入り、通過することを望んでおられます。神が私をそのような状況に導かれたのです。主は
聖徒たちのドラマティックな成果を楽しんでおられるようです。だから、主は私たちに落胆することのない忍耐強い信仰の
自然な特性を備えるよう期待しておられます。(詩篇 24:10,16)
時間が経つと、私はだんだん悪霊たちの姿が見えるようになってきました。それらすべては深い黒黄色のぼろぼろな麻
の服を着ているように見えました。その数はとても多くて数えることができませんでした。想像を絶するほどの数の悪霊
が全て異なる形や色をして現れました。それは全世界の物乞いがこの一か所に集結しているかのようでした。それらす
べては異なった種類のよくある武器を持っていました。
主は言われました。「これらの悪霊は人々を怠惰で無気力にし、さらに貧しくする力を持っています。その悪霊たちが人
を捕まえると抜け出すことは困難です。」多数の悪霊の中に親玉が立っていて、それは黒いマントをかぶっていました。
その悪霊は私に銛(もり)を投げつけてきました。その銛はとても長く、恐ろしいものでした。その銛は捕鯨に使われるも
のです。それは瞬間的に起こったので私は移動して銛を避ける余裕がありませんでした。それは私の心臓の近くに刺さ
りました。私は打たれるや否や地に倒れて叫びながら転げ回りました。私の胸に刺さった銛と悪魔のべとべとする毒の液
体が体中に広がり始めました。悪魔の毒が広がるにつれて、私は次第に意識を失っていきました。私はめまいがし始め、
意識が不明確になりました。
私は消え入りそうな声で呻きました。ほとんど聞き取れないような声でした。「主よ、あぁ、主よ。どうか私を助けて下さい。
妻よ、なんとかしてくれ。急いで私を助けてくれ。」しかし妻はぐっすり眠っていました。彼女は旅で疲れており、何が起こ
っているか知ってもいなかったのです。私の体は毒で麻痺していました。毒は体中に広がり、私は力を失って指を動かす
ことすらできませんでした。
悪霊の親玉は叫びました。「おぉやった!よくやった!ついにキム牧師をやっつけて倒したぞ!攻撃しろ、総攻撃だ!」
その後副司令官が鋭いナイフで私のお腹を切り裂いて開きました。私のお腹は切り裂かれて開いてしまいました。私は
痛みで叫びました。「うわぁ!うわぁ!主よ、助けて下さい!」私がどんなに大声で叫んでも主は私を助けに来ては下さい52
ませんでした。私は主の臨在さえ感じることができませんでした。さらに悪霊の集団が現れて一斉に私を攻撃してきまし
た。私は力の限りを尽くして痛みで「うぅぅぅ」と呻きました。
私が何か声を出そうとすると、悪霊たちは私の口を覆いました。妻に起きてほしくなかったのです。悪しき力は私を引き
裂きました。私は筋肉を動かすことができませんでした。涙、よだれ、そして汗が流れ出てベッドのマットレスを濡らしまし
た。
長い時間が経って、妻が状況に気づいて目を覚ましました。彼女は私のベッドのところに来ました。「あなた、何が起こっ
ているの?あなたはまた攻撃されていたの?まぁ、どうして私を攻撃しなかったのかしら?悪霊たちは旅行中なのにあな
たを休ませてくれないのね。」彼女は私を気の毒に思い、私の体をさすりはじめました。彼女は静かに異言で祈りながら
私の体をマッサージしてくれました。彼女は私に完全に意識を取り戻させようとしました。私は彼女の心遣いに心から感
謝しました。その戦いの後、主がついに現れて私を励まして下さいました。「キム牧師、霊の世界の情け容赦ない現実を
理解しましたか?」主は霊的な現実を忘れてしまった愛する民たちを深く悲しんでおられます。彼らは今物理的な現実に
集中して生きているのです。
* 1 組の虹
私たちが巡礼旅行に出かける前、主は私たちに旅行に参加するメンバーのうち半分以上が次第に主の教会から離れて
いくだろうと語られました。主は私たちに弱ったり落胆したりすることなく、むしろ変化に備えるようにと語られました。さら
に、旅行に参加しないメンバーの中にも去っていく人がいるでしょう。私は主に尋ねました。「主よ、どうしてそんなことに
なるのですか?」主はお答えになりました。「彼らがあなたとなす任務は終わりました。わたしはさらなる働き人をあなた
に送ります。キム牧師、心配しなくていい!」
私たちを経済的に支援し、巡礼旅行を準備して下さった婦人執事もこの状況について預言しました。霊の目が開かれた
主の教会の他のメンバーたちも具体的に預言しました。私はとてもうろたえてしまいました。
私は悪しき力と多くの激しい戦いを経験してきました。私はまた多くの困難や障害を経験してきました。毎日が血なまぐさ
い霊的戦いでした。痛みを伴う試みがいつも私たちを待ち受けていました。悪魔は主の兵士として呼ばれた全てのメンバ
ーを追い散らしました。
そして確かに、巡礼旅行に参加したメンバーの半分以上が去って行きました。去っていた人たちは皆どうして教会に出席
できないかについてはぐらかすような言い訳をしました。しかし、主が変化を許されたと主ご自身がお語りになったのです。
巡礼旅行の後、私は新しくリフレッシュした心で霊的戦いをしようとしましたが、サタンは私を落胆させ、疲れ果てさせまし
た。私の肉体は次第に弱り、大きな精神的プレッシャーを抱えていました。私は霊的スランプに落ち込んでいくかのようで
した。
2007年 8月12日の午前5時、日曜の早天礼拝が終わった後、私はオフィスのソファーに座っていました。私は妻とマリ
ア執事が叫ぶのを聞きました。「牧師先生!窓の外を見て!わぁ!1 組の虹が出ているわ!」私はもっとよく見ようと思っ
て屋根に登りました。私はつぶやきました。「これは何だ?ここ何日かは雨も降っていないのに。どうしてすっきり晴れた
朝に虹が出るんだ?」その瞬間、私は主の御声を聞きました。「愛するキム牧師、わたしはあなたが疲れていることも困
難の中にあることも知っています。わたしはあなたを守り、我が僕ノアの2倍の祝福をあなたに与えましょう。その虹は私53
の約束としてあなたに見せたものです。だから落胆してはいけません。2 つの虹をよく見なさい。これはわたしがあなたと
共にいるという証拠です。」
2つの虹の最上部はベルがある私たちの教会のタワーに付いていました。虹は 30 分以上も見えていました。とても鮮や
かな虹でした。こんなに近くで虹を見るという経験はとても驚くべきことです。私は虹を小さい子供がはるかかなたから見
るようにしか見たことがありませんでした。マリア執事と妻と私は消えてしまうまで虹の前に立っていました。私たちはそ
れからオフィスに戻りました。
夜になると、ゴン・テモ牧師一家とその教会員の何人かが主の教会にやってきました。彼らはチョラナンドのゴソンの街か
ら再び訪れてくれました。「あぁ、先生、また遠くから来て下さったんですね。」ゴン牧師は説明しました。「私たちは主の頼
みで来ました。主は私たちにキム牧師のところに行って、慰め、元気づけてあげなさいと命じられました。主は私たちにあ
なたは困難の中にあると語られたのです。」
たった一人の人を励ますために、主はゴン牧師と彼の連れの人たちを遠くのゴソンの街から遣わされたのです。私はた
だの罪人にすぎず、私は主がどんなに私に関心を持っておられるかを思うと敬虔な気持ちになります。私は罪を犯した
罪人にすぎないのです。
*  タラバガニパーティー
感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあな
たを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」 (詩篇50:14‐15)
苦難から助け出された信者たちは主に栄光を帰さなければなりません。もし私たちがどんな状況にあっても主に栄光を
帰すなら、主は私たちを助け祝福して下さいます。主の教会は多くの祈り願うことで神に求め、たたき続けてきました。神
は全ての祈りに正確に応えて下さいました。これらの年月を振り返ると、私は主が私たちのためにどんなにドラマティック
に働いて下さったかを見ることができます。
主は私たちの教会の引越しに責任を持って下さいました。私たちの教会は狭くとても制限されていました。今、主は私た
ちを広い教会に移して下さいました。さらに、巡礼旅行に行くことを可能にして下さったのも主です。私たちが長い間必死
で祈ってきたことは主だけが知っておられます。今、主はまた私たちの家族をより広い家に移して下さいました。しかし私
たちは自分たちの家についてはそんなに真剣に祈ってはきませんでした。その祈りは緊急の祈りと言うよりはほんのちょ
っとした祈りでした。しかし、主は力強く介入して下さり、最も些細なことに至るまで全てのことを成して下さいました。主は
1つの祈りの課題すら見落とされませんでした。
ある日、キム・ジョンス執事がある祈りのリクエストをされました。彼は新しい教会のインテリアデザインを任された兄弟で
した。「牧師先生、今月末(2007年11月)までに私は中古家屋を購入し、修理して引っ越さなければなりません。どうか私
のために祈ってください。」私はすぐに答えました。「本当に?私も新しい教会の近くに引っ越す時だと思っていたんだ。ど
っちが先にいい場所を見つけて引っ越すか賭けをしようじゃないか!」もちろん私は単なる冗談でそう言ったのです。実
際、その執事は既に競売で家を買っていました。彼は既にその不動産を直してリフォームしている途中でした。一方、私
はまだ以前使っていた地下教会の近くにある462フィート四方(訳注:約13坪)の狭い貸家に住んでいました。54
妻と私は新しい家のために祈ってきました。私たちの祈りはあまり賢明なものではありませんでした。「主よ、新しい教会
の近くには新しくできたアパートがあります。そこはハンコックアパートと言います。どうか私たちを1708フィート四方(訳
注:約48坪)のアパートに移して下さい。そこには4つの寝室があります!私たちはそこに住みたいです!愛する主よ!こ
の祈りがちょっと肉欲的でばかばかしいのは知っていますが、それでもです。」
私の祈りは自分の欲と願いに傾いていますが、それでも個人的な理由のために広いアパートを求めています。私の家族
は常に貸家に住んでいました。私たちの教会の初めから基礎を築いてきた年月の間ずっと私たちはずっと貧しい生活を
してきました。大きな広い家に住むことは私たちにとって単なる夢物語だったのです。しかし個人的な必要について祈る
ことは自由なので、私は自分たちが必要とするものについて祈り求めました。聖書には求めなさいと書いてあるので、そ
れで、私は1708フィート四方(訳注:約48坪)の新しいアパート、特にハンコックアパートを求めました。
キム執事は静かに既に新しい家の改装に取りかかっていると言いました。しかし私はキム執事に私たちの家族が彼より
も先に新しいところに引っ越すと保証しました。私は「もし私が最初に新しい家に引っ越したら全教会員のためにタラバガ
ニパーティーを催そう」と言いました。もちろん、私は半分冗談で言ったのです。
驚くことに、全知全能の神は私の祈りに応えて下さいました。主は私の家族を2007年11月末までに2708フィート四方(訳
注:約76坪)の間取りがあるハンコックアパートに移して下さいました。主は私たちを真冬になる前に移して下さいました。
キム執事はまだ忙しく家の改装作業をしていました。私は非公式な賭けに勝ったのです。
主の教会のメンバーのほとんどは貧しい生活をしています。彼らはみんな貸家に住んでいます。主が私の家族を小さな
貸家から大きな広いアパートに移して下さった時、私は教会員たちに申し訳なく思い、また彼らに対して感謝の気持ちが
あふれました。私は主に尋ねました。「主よ、居心地がよくありません。私の家族だけが新しい広い所に引っ越したので
す。私はどうすればいいのですか?」主は答えられました。
「キム牧師、一体何を言っているのですか?今日まであなた方家族はわたしの訓練、痛み、試みの日々を耐え忍んでき
ました。だからわたしは今あなたを祝福しているのです。あなたは今までずっと耐え忍び、心の中で苦しんできました。あ
なたの笑いと笑顔の裏にはいつも涙がありました。わたしはそれをよく知っています!これから先、わたしはあなたとあ
なたの家族、そしてあなたの教会の信徒たちを大いに祝福します。わたしはあなたの涙をすっかりぬぐい取ってあげまし
ょう!あなたの教会の信徒たちが祝福されるためには、まずあなたが最初に祝福されなければなりません。だから、そ
のことに対して申し訳なさや罪責感を抱かなくてもいいのです。」
イエス様はすでにハンコックアパートにある2708フィート四方(訳注:約76坪)のアパートを指定し、計画しておられたので
す。私たちはデポジットとして90,000ドル(訳注:約675万円、9450万ウォン)を支払い、家賃は必要ありませんでした。内
装はすでに整っていました。主はこの場所を私たちのために用意して下さったのです。全教会員は大喜びして、一斉に
「ハレルヤ!」と叫びました。彼らは私と共に喜んでくれました。彼らは経済的困難にあるのにも関わらず、彼らは私たち
の家の器具を提供してくれました。初めのうち、私は彼らの助けを拒絶していましたが、彼らは与えたいのだと言って譲り
ませんでした。
神はまた電気屋を営んでいる新しいメンバーを送ってくださいました。彼は執事で、名をナン・ヨンイルと言います。彼は
主の教会に登録し、私たちの家族に入ってきました。神は彼を用いて私の広いアパートを必要な機器で満たして下さい55
ました。神はそれでナン執事を祝福されました。
私たち家族は皆驚いて興奮してしまいました。神は私たちの必要を正確にすべて満たして下さったのです。彼は私たち
家族の必要だけでなく、教会と信徒たちの必要も満たして下さいました。神が私たちの人生になさったことに仰天してしま
いました。私はすべての祝福がどのようにして起こり、しかもどうして次々と起こったのか知る由もありません。私たちは
とても祝福され、感謝に満たされました。
私はいつも主の教会のメンバーたちの世話をしなければなりませんでした。特に毎晩泣き明かしている信者たちのため
にはそうしてきました。彼らは貧しい生活で日々泣き叫んでいました。私は彼らに最も素晴らしいおいしい食べ物を食べ
させてあげたかったのです。神の恵みによって私は大きな広いアパートに移されたので、私は祝宴を開きたいと思いまし
た。私は徹夜祈祷に参加した人たちを含む全教会員と一緒にタラバガニパーティーを開きたいと思いました。主の教会
の人々は何が人のもので何が自分のものか区別しません。すべてを共有しているのです。
私が講壇で祈っていると、主は私にノーヤンジン魚卸売市場に行けというしるしを与えられました。私は数人の執事たち
や若者たちと一緒に教会を出て、午前3時頃に市場に行きました。私たちは生のタラバガニを買うのにちょうど間に合い
ました。私は合計16ケース、160匹のカニを買いました。ものすごい量のカニでした。私は後になってその市場では普段
そんなにたくさんの生タラバガニを扱っていないということを知りました。私は地方なまりで大声で叫びました。「愛するイ
エス様、あなたは主の教会の信徒たちの状況を知っておられます。私は彼らが貧しい生活をしていることを気の毒に思
います。彼らには主よあなた以外に頼れる人はいません。私は彼らに食べさせてあげるためにたくさんのタラバガニを買
いました。どうか彼らを祝福して下さい。私はあなたが今私と同じように喜んでおられると確信しています!」
主は大きな声で「ははは!」と笑われました。その間に、アメリカから1組の夫婦が私たちの教会を訪れました。私たちの
教会にやってきた多くの人々の中にクォン・パルキュ兄弟、シン・ジェラン姉妹がいました。私たちは客人たちにも同じよう
に食べさせてあげました。私たちは1人当たり3匹食べられるように見積もりました。残ったものは信徒たちに持ち帰らせ
ました。
主の教会は心の共同体です。全てのメンバーは互いに調和しています。教会の皆がキリストにあって喜び、信仰生活を
しています。彼らは好きなだけ祈り、また休むことができます。皆が自発的に教会に仕えます。主の教会の人々は喜びと
兄弟愛で満ちています。誰も疎外された人はいません。全信徒が親しい関係を持ち、主の愛で互いに愛し合っています。
現在、私たちはより大きなビジョンを持って祈っています。私たちの祈りの内容はばかばかしく見えるかもしれませんが、
もし主が私たちの願いをお許しになり経済と状況を整えて下さるなら、私たちの夢は実現するでしょう。
もし主がインチョン国際空港の近くに1,779,500フィート四方(訳注:約5万坪)の土地を与えて下さったら、私たちはそこに
アパートを建てることを計画しています。私たちはそのアパートを経済的困難にある人々の家として用いるつもりです。そ
のアパートの部屋は彼らに無償で提供します。私たちはまたもっと大きな教会と宣教センターのために祈っています。さ
らに大きい教会と宣教センターは海外からのたくさんの訪問者を接待することができます。海外からの訪問者たちは大き
な祝福を受けるでしょう。私は韓国と世界を結ぶ取りなしの祈りのかけ橋となりたいと願っています。そしてもちろん、私
たちの中心的な目的は魂の救いです。私はまた再び主の驚くような恵みを期待しています。ハレルヤ!56
*  モハベ (車の名前)
神は日夜叫んで祈り求める信者たちをとても喜ばれます。祈りの内容は実は問題ではありません。例えば、子供が両親
に何かを繰り返し求める時、両親はだんだんいらいらしてきます。たとえそれが自分の子供であるとしても、両親はいら
いらするのです。一方主はいつでも、私たちが探し、求め、主に叫ぶ時にだけ祈りに応えて下さいます。私たちが祈る時
にどんな風に見えるかは問題ではありません。主は貧しい信徒たちを愛しておられます。祈りへの答えは主の約束と等
しいので、次第に実現されていきます。だからもし私たちがどんな状況にあっても主に栄光を帰すならば、神は私たちを
救い、祝福して下さいます。
まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。万軍の
主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。 (詩篇84:11‐12)
2008年2月、主は私たちに新しいプレゼントをお与えになりました。主の教会は日々着々と成長しています。一般的に、
最終的に私たちの教会にいるのは困難でますます悪くなっていく状況にある人々です。おそらく、大いに助けを必要とす
る羊を抱きしめることが私たちの教会に対する神の御心なのでしょう。彼らは自分たちの人生によって最も傷ついた羊た
ちです。私たちはかつて家族が使っていたミニバンを教会用にも使っていました。しかし今、数人の信徒を通してプレゼ
ントを受け取りました。それは私たち家族が私的に使うための新車です。
ある日、私は執事の1人であるソン・ビュンスー兄弟と会話をしていました。その会話は次のようなものでした。「牧師先生、
私は車のことでうんざりするような問題がたくさんあります。私はかなり長い間この車を使ってきました。私は新しい車の
ために祈り始めるつもりです。私は『モハベ』を祈り求めるつもりです。『モハベ』はキア(訳注:韓国の自動車メーカー)の
発表されたばかりの新モデルで、SUV(スポーツ用多目的車)なんですよ。」私は答えました。「本当ですか?ソン執事、
それはどんな車ですか?ガソリン代が上がっているので、個人的には小さな車がほしいと思っていたのですが。う~ん、
ソン執事、あなたが祈り求めている車を主が私に与えて下さるよう祈り求めるべきでしょうかね?」
大人気なく、ソン執事と私はどっちが先に祈りの答えを受け取るか賭けをしました。牧師の祈りと平信徒の祈りのどちら
に先に応えるのが主の御心でしょうか?それは全く意味のない、単なる楽しみのための賭けでした。私は自分たちの会
話について全く真剣に考えてはいませんでした。私はそれを非常に軽く考えていました。しかし、ソン執事は私たちの賭
けを真剣に考えていました。ソン執事と彼の妻であるキム・スーキュンは『モハベ』のために熱心に祈り始めました。
私は思いました。「ありゃ、この私が信徒と一緒にこんな子供っぽいことをしているなんて信じられないぞ。」しかし、ソン
執事夫妻が真剣に祈り求めているのを見て、私はチャンレンジを受けました。結果的に、私たち夫婦も同じように熱心に
祈り始めました。
2週間が経ちましたが、主が私の祈りにそんなに迅速に応えて下さるとは夢にも思っていませんでした。キア・モハベはそ
んなに安い車ではありません。オプションを減らしても価格は大して変わりません。モハベの値段は一般的に6万ドル(訳
注:450万円、6300万ウォン)以上です。もろもろの税金や他の費用を合わせると、結局7万ドル(訳注:約525万円、7350
万ウォン)以上になります。私は個人的にディーラーに行って試乗もしてきました。この車が比較的高価であるのには理
由があります。座席は柔らかくてとても快適であり、ハンドルはとてもスムーズです。エンジンにはグレードの高いガソリン
を使わなければなりませんが、その代わりほとんど騒音がしません。私はすっかり心奪われてしまいました。私は今なら
多くの人々が高級車を買いたいと願うのかわかります。57
中流家庭は一般的にそんな高いSUVを買う余裕はありません。私は祈っていながらも、同時に疑っていました。「この車
は私たちの状況に見合ったものではないな。神様はそんな車を与えて下さるのだろうか?」しかし神は驚くことに私たち
のために働いて下さったのです。ある夜遅くに知らない執事から電話がかかってきました。「牧師先生、あなたの家で個
人的にお会いしたいのですが。」私は彼が何について話し合いたいのか気になりました。私は彼が遠くからわざわざ我が
家に来るのは何か深刻なことなのかと思いました。その夜、その執事と奥さんがやってきて車について話し始めました。
「ヒュンダイ(訳注:韓国の自動車メーカー)かキアのどちらかを選んでください。お好きな方を選んで下さいね。牧師先生、
神があなたの家庭に車を提供するようにという思いを私に与えられたのです。牧師先生、最近発売されたソナタ、ソレン
ト、サンタフェ、ニューグレンジャーといった新モデルもありますよ。お見せするカタログを持ってくるつもりだったのですが、
忘れてしまいました。2日以内にまたカタログを持って伺います。」
私はとても主に感謝しました。しかし、私は何度も断って言いました。「執事さん、いいですか、そんなことをして下さる必
要はないのですよ。お心はありがたく頂戴しますから。」その執事と奥さんは私が降参するまで譲りませんでした。「いい
え牧師先生、これは私の使命であり、神への捧げものなのです。私はあなたが毎日地獄を訪問するのを目撃しました。
私はあなたが運転する時は快適であってほしいのです。」私は答えました。「あなたも経済的に困難な状況にあるのでし
ょう、マティスのような小さな車を選びますね。」しかし、彼らはそれでも譲りませんでした。
2日後、その執事夫妻はカタログを持って戻ってきました。私は妻の耳元で囁きました。「なぁお前、私たちは神がキア・モ
ハベを与えて下さるように祈ってきただろう。」私たちは主がどのように働かれるかを見ました。突然その執事が言ったの
です。「牧師先生、とても不思議なことがあったのです。」私は「何があったのですか?」と尋ねました。彼らは丁寧に状況
を説明してくれました。
「私たちは日が傾くころに急いでヒュンダイのディーラーにカタログを取りに行きました。しかしカタログが1冊も残っていな
かったのです。それで私たちは他のディーラーにも行きましたが、そこにもカタログは1冊も残っていませんでした。」彼ら
はその後キアのディーラーに行きましたが、キア・モハベSUV以外のカタログは全部なくなっていました。彼らは他のキ
アのディーラーにも行きましたが、そこもキア・モハベ以外のカタログは全部なくなっていたのです。販売員はついにモハ
ベのカタログを手渡して言いました。「これは新型ですよ。つい最近ディーラーに届いたんです。とても素晴らしい車なん
ですよ。」執事夫妻は持ってくることができたのはモハベのパンフレットだけだと言いました。彼らはカタログを開いて不思
議で心配そうな顔をしました。「牧師先生、あなたはモハベを選ばなければならないようです。」
妻と私は主の細部まで気を配った御働きに非常に驚きました。主は完全に介入されました。私たちは開いた口がふさが
らなくなりました。私はその時私たちがどのように新車を、特にモハベを祈り求めてきたかを詳細に説明しました。その執
事夫妻はとても驚いて感謝しました。「牧師先生、カン・ヒュンジャ夫人、主はあなた方二人を特別に深く愛しておられる
に違いありません。主はあなた方を祝福するために私たちをお用いになったのです。」私は心から主に感謝を捧げます。
私は主のあわれみに対してどのように感謝を表したらいいのかわかりませんでした。私の目は涙であふれていました。
その瞬間、主の小さな御声が聞こえました。
「愛するキム牧師と聖カン・ヒュンジャ、あなたたちはわたしの喜ぶ礼拝を日々導いています。わたしはとてもうれしいの
です。父と聖霊もわたしと同じ思いです。わたしはあなたが必要とするもの、また願うものをすべて与えたいと思っていま
す。しかし、これは後に来るものとは比較になりません。わたしは次第にさらなる祝福を与えましょう。だから変わること
なくいつもわたしを喜ばせなさい。わかりましたか?」58
数日前、聖霊様が繰り返し私の頭と顔に触れられました。三位一体の神は妻と私よりも喜んでおられるようでした。私は
繰り返し訪ねました。「執事さん、このモハベSUVは本当に私のものなのですね。そうですよね?」その執事は私が考え
ていることを知って返事をしました。私は最終的にはその車を売って小さい車を買うことを検討していました。「先生、なぜ
そんなことを聞くのですか?何があってもその車を売ってはいけませんよ。あなたがその車を売らないようにいくつか手
を打ってありますからね。」私たちはみんなで大笑いしました。数日後、私はモハベを手にすることができました。そのSU
Vは近所で最も新しいモデルで、しかも最も高い車でした。
しかしその車を運転していると、私の心は重荷を感じました。主の教会の信徒たちはみんな貧しく困難な状況にあるので
す。私は彼らの目に裕福で横柄な堕落した牧師に見えるのではないかと思いました。私が思い悩み続けていると、主が
ついに語られました。「キム牧師、そんなに心配しなくてもいいのですよ。あなたには私が与えた祝福を楽しむ権利があ
ります。教会員たちが祝福を受けるためには、牧師が祝福されなければなりません。しかし欲望のために祝福を誤って
用いる人もたくさんいます。」
私たち家族はいつも困難で貧しい生活をしてきたので、このようなぜいたくは私たちには不釣り合いです。それに慣れる
のはとても困難でした。私は親戚たち、教会員、また他の人たちがどのように思うかとても心配になりました。私たちが主
の教会で祈る時、主は牧師家族の祈りに最初にお答えになります。これは教会員たちにとってチャレンジとなってきまし
た。
「牧師先生が最初に祈りの答えを受け取りました!私たちの祈りも聞かれるように祈りましょう。」彼らはやる気を奮起さ
れました。牧師の祈りが応えられると、執事夫妻も火がついたように熱烈に祈りました。教会員たちも私にごちそうしてく
れと求めました。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさ
い。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。 (ヨハネ15:7)
* 主から与えられた預言的言葉
2007 年 10 月 17 日午前 1 時半、私たちはある女性牧師を通してキム牧師に対する主からの言葉を受け取りました。こ
の女性牧師はプチョン市の方でした。私たちはその言葉を公にするため、第 5 巻に記録しました。
キム牧師:愛する主よ、韓国教会とクリスチャンたちの現在の状況について御言葉を与え、あなたの考えを教えて下さ
い。
イエス様:そこは赤く光る十字架で覆われています。ほとんどの教会は注意深くわたしの声を聞いてはいません。彼らは
人間の欲で満ちています。彼らは会衆の声を聞き、彼らを満足させようと忙しくしています。我が愛する僕よ、わたしはあ
なたを通してわたしの言葉を世界に宣言したいと願っています。わたしの言葉は火となり福音は世界に行きわたります。
わたしはこれが間違いの中にある僕たちが目を覚ます機会となることを願っています。その人々の価値観、大きさや成
長、リバイバルに関する認識はわたしの基準と一致していません。わたしは彼らの方法を認めることはできません。彼ら
の方法は私の思いや計画とは何の関係もなく、彼らはずっと自分のバベルの塔を築きあげようとしているのです。自分
の塔を建てている人が数え切れないほどいます。59
聖霊の満たしを求めている人はたくさんいますが、しかしそれは口先だけのものです。彼らは愛と寛容を求めていると言
っています。彼らは賛美し、礼拝を捧げ、唇で祈りも捧げます。彼らは主と神をよく知っていると言っていますが、それは
口だけなのです。しかし彼らは自己中心なのです。彼らは自分の知識、安全、都合に合わせて求め、宣言しているにす
ぎません。彼らはわたしが望むことを宣言しているのではありません。
我が愛する僕、わたしに属する羊よ!多くの人はあなたを指さすでしょう。多くの人はあなたを認めないでしょう。おそらく
あなたを狂人と呼ぶ人もいるでしょう。あなたが偏っていると批判して迫害する人もいるでしょう。彼らはあなたは気が狂
っていると言うでしょう。
我が愛する僕、我が愛する羊よ、彼らは海の波や流れのように多くの言葉を語ります。彼らは多くの説教が知恵と知識、
啓発に従って述べられていると言います。しかしそれはわたしが本当に願っていることではありません。私はそれを認め
ません!わたしは説教が純粋で単純であってほしいと願っているのです。
美しい服を着て見せびらかすことを愛する人々よ、また外に出て交差点に立ち大きな声で自慢することを愛する人々よ、
あなたたちは人によく見せることを愛しているのです!メディアやテレビを通して自分を見せることに忙しい人々よ、わた
しはあなた方を哀れに思います!
わたしの羊の多くは彼らの声を聞いています。わたしの羊の多くが彼らを敬っています。わたしの羊たちはそのような
人々によって盲目にされています。わたしの羊は無知なのです。彼らは真理の道を知りません。だから、わたしの羊は目
を覚ましてわたしの声を聞かなければなりません。わたしは幻想的なことを求めもしなければ、知識を求めもしません。
私はただ愛と誠実さ、そして寛容を求めているのです。将来、多くの様々な苦難や反対が主の教会のミニストリーに生じ
るでしょう。このことが起こった時、あなたたちは皆主の声を慎重に聞かねばなりません。右にも左にもそれることなく、天
に望みを置きなさい。揺れ動くことなく、天国の奥義を理解しなさい。
わたしは既に終わりの時代に聖霊の力なしでは誰も立つことができないと語りました。彼らは義を知っているのでしょう
か?彼らは信仰を知っているのでしょうか?彼らは神を信じ、信仰を持っていると言っています。彼らは神に栄光を捧げ、
賛美すると言っています。しかし最終的には、彼らは自分の目的を成し遂げ、人々の前で自分たちを見せているのです。
それはわたしのためではなく、いつでも彼ら自身のためだったのです。彼らはいつでも人より優れたものになりたいと願っ
てきたのです。
わたしの民は自分の上に置かれた我が愛する僕たちのために誠実に祈らなければなりません。彼らは夜警のように祈
らなければなりません。今は悪しき人々の世代です。ゆえに、悪しき世代はわたしの僕を一人で放っておいたりはしませ
ん。彼らは我が僕を何としてでも踏みつけ、殺そうとします。テクノロジーと情報の即時的な伝達は非難が急速に広まる
のを支えています。わたしの民は守りの盾とならなければなりません。祈りの盾で我が僕たちを守りなさい。御言葉に堅
く立ち、揺り動かされてはいけません。岩のように強くありなさい。わたしの民よ、あなた方は岩の上に建てられた祈りを
通してそれを可能にするのです。すべてのことは心からなされなければなりません。
キム牧師:「我が愛する主よ、今、教会を出て行ったり自分のグループを作ったりする信徒がいます。彼らは人々を家に
呼び、預言や解釈、そして悪霊追い出しを行っています。主よ、あなたはこのことについてどう思われますか?」
イエス様:出て行ってしまった我が愛する子供たちよ、私はあなたたちを呼びたいと願っています。わたしは純粋で澄ん
だ、濃密な金色の霊を注ぎたいと願っています。わたしは何も混ざっていない水晶のように透き通った霊と共に御言葉を60
与えたいと願っています。しかしあなたたちはうぬぼれて高慢になってしまったので、注意を払おうとはしません。あなた
たちはわたしが語りかける言葉を聞こうとしません。あなたたちは高慢で自分を見せることに忙しくしています。あなたた
ちが何かを聞いたと思う時、何かを見たと思う時、また何かを感じたと思う時、あなたたちは自分自身をわたしよりも大き
なものだと思っているのです。わたしの言葉に耳を傾ける代わりに、あなたたちは自分の思いに沿って行動しています。
愛する子供たちよ、あなたたちは注意深く聞かねばなりません。あなたの魂が純潔でないなら、あなたの魂に汚れがあ
るのなら、それが小さなものであってもサタンはそれを利用するでしょう。敵はあなたの体を武器として利用するでしょう。
あなたのグループを出て行った人たちのように、あなたたちも自分自身を識別することができなければ彼らと同じ霊的暗
闇に陥ることになりうるのです。人は常に自分自身を見分け、判断しなければなりません。自分自身を見分けることがで
きなければ、目と魂は暗くなってしまいます。その後その人は何も見分けることができなくなり、耳が詰まってしまったた
めに誰の声も聞くことができなくなるでしょう。どれだけ真理の言葉を聞いたかが問題ではなく、その言葉がその人の心と
思いに入らなかったことが問題なのです。そのような人々は世俗的な世の中に従い、世の願いを満足させようとするでし
ょう。そのような人々は世の中が聞きたいと願っていることを語るようになるでしょう。彼らは主がこのように語られたのだ
と言うでしょう。
我が愛する人々よ、あなたたちはいつも純潔な心を持っていなければなりません。あなたたちはいつでも用心深く防御し
ていなければなりません。わたしは地獄の火に落ちていく人々を裁きます。わたしは彼らに聖なる火は与えません。彼ら
が自分の生活とミニストリーを続けていく中で、自分たちの実は本当は神から来たものではなかったと気づくでしょう。し
かし、すぐに過ちを悔い改めるならわたしは彼らを愛し、憐みを与えます。わたしはニネベの街の人々を愛したように彼ら
を愛します。
わたしは彼らの魂を哀れに思います。彼らの魂を思うといつもわたしの心は痛みます。なんと愚かな人々でしょう!彼ら
はあまりにもプライドとうぬぼれに満ちているのでわたしが与えようとしている祝福を受け取ることができないのです。彼
らにはわたしが彼らに与えようとしている力を享受する能力がありません。しかしわたしの子供たちは彼らを憎んではい
けません。あなたたちは彼らを憐れみ、彼らのために祈りなさい。彼らが神のもとに戻り、真実光り輝いた目でわたしの
前に立ってくれることがわたしの願いなのです。絶やすことなく彼らのために祈りなさい。一日も欠かしてはなりません。
わたしはあなたを愛するのと同じように彼らの魂を愛しているのです。
キム牧師:愛する主よ、わたしはいつまで地獄を訪問し続けなければならないのですか?もう 3 年以上毎日送られてい
るのですが。
イエス様:はははは、我が愛する僕よ、あなたは恐れているのかい?はははは、この地獄を訪れる機会さえ他の人は得
ることはできないのですよ。もし人が天国を見るだけなら、人々は信じようとしないでしょう。わたしはだからあなたに直接
地獄を訪問し目撃すると言う特権を与えたのです。わたしは地獄を経験させるために特別にあなたを選びました。わたし
はあなたがすべての痛み苦しみに耐えるのを助けています。わたしはあなたにとても関心を持っているので、痛みを味
わう機会を与えたのです。これがわたしがあなたに地獄を訪れる機会と特権を与えた理由です。それは他の誰のもので
もありません。あなたはそれでも心配ですか?はははは。
キム牧師:もし私を続けて地獄に送られるのでしたら、どうかもっと力を下さい。主よ、どうか私の霊の目、見通す賜物、
預言と解釈の賜物を強めて下さい。61
イエス様:あなたはせっかちですね!はははは。あなたはなんと忍耐ができないのですか!あなたの時とわたしの時は
異なります。喜びだと思って待っていなさい。その瞬間は耐えるのが困難かもしれませんが、わたしは誰にもそのような
ユニークな試練を受ける経験をさせていないのですよ。これはただわたしがあなたを愛しているからなのです。わたしは
特別にあなたを選びました。わたしはあなたを用い、多くの経験を与えるでしょう。これらすべてを喜びだと思いなさい。
わたしに感謝しなさい。はははは。我が愛する僕よ!心配しなくていい、はははは。近い将来あなたはわたしがどうして
あなたを地獄に連れて行ったのか悟るでしょう。
キム牧師:あなたは私にもっと見せられるのですか?詳細にですよね?主よ、私にお見せになる時にはどうか妻も一緒
に見るようにして下さい。彼女はすねてしまっています。
イエス様:ははは、わかっているよ。あなたはたくさん要求しすぎです!はははは、我が愛する僕よ!(イエス様は私の髪
を撫で、手を握って下さいました。彼はそれから私に話しかけ、笑われました。)あなたがわたしの内にとどまるなら、わた
しはあなたの内にとどまります。あなたはどうして絶えずわたしの先に行こうとするのですか?一緒に行きましょう。わた
しのペースに合わせなさい。
はははは、あなたはそうしているととてもかわいいですね。はははは、我が愛する僕よ!あなたに注意して聞いてほしい
ことが一つあります。あなたがわたしの見せたことや語ったことを伝える時には、膨らんだ風船が浮き上がっていくように
伝えなさい。あなたは自分自身を点検しなさい。悪魔があなたを尊大にする時があります。あなたはいつも自分を点検し、
話し始める前にもう一度よく考えなさい。あなたは注意深くなり、何かを語る前に自分自身を点検することを忘れてはい
けません。何かを見る前に自分自身を点検しなさい。あなたはいつも注意して、決して尊大になってはいけません。
わたしは貴重なミニストリーを長期に渡ってあなたに任せたいと願っています。わたしはわたしのミニストリーを多くの僕
に任せたいと願っています。しかし彼らは自分の意志や知識が強すぎるため、わたしの麗しい計画とわたしの霊による
貴重なミニストリーを植え付ける余地がないのです。彼らは自分自身の意志と知識で満ちています。
あなたが私のミニストリーを導く時には、世の中によって注意をそらされることがあってはなりません。あなたのミニストリ
ーを他のもので計ったり比較したりしてはいけません。自分自身の標準を持ちなさい。世界中の他の牧師に注意を払っ
てはいけません。あなたはただわたしだけを見つめなければなりません。わたしの声だけに注意を払いなさい。
キム牧師:愛する主よ、妻に「あなたは変な人だ」と言ってやって下さい。
イエス様:はははは、あなたは彼女が変わった人だと思うかもしれませんが、彼女はわたしの作品なのです。彼女の性
格、性質、そしてイメージはわたしの反映なのですよ。工場には漁師もいれば農夫もいて、他の商人たちも同じ所で働い
ています。あなたの妻はあなたとは異なります。はははは、彼女は変人ではありません。わたしは彼女を彼女らしく用い、
その性格も用いたいと願っています。わたしは彼女の性格を愛おしく思っています。あなたもわたしの目にはとても美しく、
かわいらしいですよ。はははは、あなたは自分の見方で妻を見るから彼女は変だと思うのです。わたしがあなたをかわ
いくて美しいと思うように、わたしはあなたの妻も美しくかわいいと思っているのです。わたしは彼女をとても愛していま
す。
聖カン・ヒュンジャ、我が愛する僕であるあなたの夫より霊的に先に行こうとしてはいけません。わたしは秩序の神です。
あなたに霊的に開こうとしているものは夫と同じではありません。わたしはあなたのために特別に異なった霊的な事柄を
開きたいと願っています。わたしはあなたを適切に、そして尊く用いるでしょう。わたしは女性だけが持っている優美さ、優62
しさ、そして愛の心を用いるでしょう。あなたは常にあなたの目をわたしに向けて開かなければなりません。忍耐をなくし
てはなりません。あなたはわたしの時を愛する心を持たなければなりません。
キム牧師:主よ、愛する主よ、外部からここを訪れている人々に対するお言葉をお願いします。
イエス様:我が愛する 1 人の男性の僕がここにいます。その僕はわたしの小さな教会を任せた者です。
(訪れている牧師たちの数人が「主よ!主よ!」と叫んでいる。)
イエス様:(主がむせび泣かれた。)愛する僕よ!あなたの心はとても痛んでいます。あなたは痛みを誰とも分かち合うこ
とができません。あなたは時にあきらめてしまいたいと思うこともあります。実際、あなたは日に 12 度もあきらめようかと
考えていたのです。あなたが自分の家族を見ると、彼らのために申し訳なくなり、心が痛みます。あぁ、我が愛する僕よ。
そんなに早まらなくてもいいのですよ。あなたの目にはよどんで見えるでしょう。あなたは何も見えないと感じるでしょう。
あなたは助けとなるものがないと感じるでしょう。しかしわたしはこの瞬間でさえあなたと共に働いているのです。これは
あなたが経験して通り抜けなければならない過程であるために、わたしはこれらのことが起こるのを許しました。それは
わたしがあなたを憎んでいるからではなく、あなたを無視しているからでもなく、あなたが弱いと思っているからでもありま
せん。わたしはあなたを成熟させてあなたの忍耐力と立ち直る力を用いようとしているのです。
訪問している牧師:(激しく泣き叫びながら)神様、私の心は押しつぶされそうです!!!私は霊がくさびで留められてい
るかのように感じています(むせび泣く)。神様!!!私は聖書を読むことができません。あなたの声を聞くことができま
せん。神様!(むせび泣く)私は何度もあなたをうらみました。わたしはこう言っていました。「神様、あなたはただ私を困
難に合わせるために僕としてお呼びになったのですか?」と。神様、私に何をしろと言うのですか?(むせび泣く)(この瞬
間、主はその牧師の首を撫で、御腕で抱かれた。)
イエス様:我が愛する僕よ、あなたの燃えるような忍耐のない心を取り除きなさい。わたしはあなたにわたしのようになり、
わたしのような性質を持ってほしいと願っています。人々を、特にあなたが腹を立てている人々を愛し祝福する僕となりな
さい。あなたは誰かに対して敵意を持っていますか?彼らのところに行きなさい。へりくだって彼らと握手をし、抱きしめ、
祝福し、そして彼を憐れんであげなさい。
わたしはあなたが素晴らしいリーダーになることを期待しているのではありません。わたしがあなたに期待し、望んでいる
ことは素晴らしい羊飼いになることです。わたしはあなたに傷ついた魂を祝福する牧者になってほしいと思っています。
わたしはあなたに様々な才能、力、偉大な強さを持ったリーダーになることを期待しているのではないのです。
我が愛する僕よ、わたしはあなたとあなたの家族に 30 日間私に向かって叫んでほしいと思っています。あなたの性格が
わたしのようにならなければ、またあなたの心の痛みが癒されるまでは、あなたはわたしの愛する群れを愛することはで
きないでしょう。あなたの全ての傷と痛みを注ぎだしなさい。あなたの全てのごみを注ぎだしなさい。あなたの心の全てに
わたし自身を与えたいと願います。わたしがあなたの心に移り住む必要があります。わたしがあなたの心に来て住む必
要があるのです。わたしはあなたの心に入ってあなたと語りあいたいと願っていますが、あなたの心があまりにも自分自
身で満ちてしまっているためにそうできないのです。
我が愛する僕よ、他の人を見てねたんではいけません。わたしはよく知られ、世界に認められている僕を望んでいるわけ
ではないのです。わたしは僕に任された全てのミニストリーを評価しています。わたしは人気の度合いで評価したりはし
ません。サクランボは春に育ちます。それは成熟して鮮やかな赤色になります。それが実を結んだらその役割は完了な63
のです。わたしは一人ひとりの僕に使命を任せています。その使命の広さ、深さ、領域、大きさは全て異なります。あなた
は多くのことを望むでしょうが、もしあなたが毎日私の与える 5 匹の羊を養い育てるなら、5000 匹、10000 匹、あるいは
30000匹の羊を養う羊飼いと同じ報いを受けるでしょう。だから、そんなに貪欲になってはいけません。わたしはあなたに
忍耐し、任せたことを成し遂げてほしいと願っているのです。ベストを尽くし、喜んで行いなさい。
愛する僕よ、わたしはあなたが最初にわたしに悔い改めた時に立ち帰ってほしいのです。あなたは最初に悔い改めた時
天国への希望を持っていました。わたしがあなたと初めて出会った時のように、もう一度心を戻してほしいのです。
あなたはわたしに約束したすべてを覚えていますか?祈ってそれらにしがみつきなさい。わたしに尋ね求めなさい。そう
したらわたしはあなたを引き上げ、用いるでしょう。わたしはあなたを引き上げ、わたしがあなたの前に備えた使命を成し
遂げられるように力を与えるでしょう。わたしはあなたに希望を与えます。わたしはあなたが必要とするなら働き人を与え
るでしょう。だから、忍耐を失ってはいけません。長く苦しんできたわたしの群れを養い、愛し、恵みを注ぎ、憐れんであげ
なさい。
キム牧師:愛する主よ、私たちの会話の内容を第 5 巻に収録しましょうか?主よ、新しくできた教会の僕たちが力を得る
と思うのですが。
イエス様:我が愛する僕よ、あなたは第 5 巻を途中で書くのを止めてしまっていますね。そうでしょう?
キム牧師:はい、主よその通りです。
イエス様:あなたは息苦しく思っているに違いありません。あなたはまた書き始めなければならないことを知っていますが、
とても焦っています。あなたの手は思うように動かず、何も思い浮かばない。そうでしょう?だからわたしは今日特別な時
を与えます。わたしはあなたの心を自由にするためにここに来ました。そして今わたしの言葉を聞いている全ての人たち
にわたしの言葉を目撃し、書き記し、宣言してほしいと思っているのです。
多くの人々は炎のミニストリーとわたしの本を通して実を結ぶでしょう。主の教会を通して多くの人々が感嘆し、聖霊のミ
ニストリーを行ったり聖霊運動に参加したりすることを望むでしょう。あなたが第 5 巻を出版すると、多くの人々が聖霊の
働きを望むようになるでしょう。第 5 巻が出版された後、あなたは希望と力が強められるでしょう。現在、あなたは様々な
問題やサタンの働きとの衝突といった困難を経験しています。しかし勇気を出しなさい、わたしはあなたに三倍の喜びを
与えます。
キム牧師:愛する主よ、私はアメリカでリバイバル集会を計画しています。しかしわたしのビザがまだ手に入っていません。
主よ、私が参加しようとしている教会は新しくできた教会で、信徒は牧師の家族です。私はどうするべきだと思います
か?主よ、私は参加するべきでしょうか?私はどうすればよいのでしょう?
イエス様:あなたの集会を求めている僕には2つの目的があります。1 つ目は、彼の欲望と望みを満足させたいというも
のです。彼の目的は真実の福音を宣言することではなく、自分の教会を宣伝することなのです。彼の動機は彼自身を高
めることにあります。今彼は自分の個人的な望みや欲望に基づいてリバイバル集会を準備しています。わたしはそれを
喜びません。もしミニストリーやメッセージが誤って伝えられたら、サタンが介入してくるでしょう。そうしたら副作用が生じ
ます。参加する人々は一時的には興奮し、満足するでしょうが、後には批判に走るでしょう。それはまるですぐに朽ちてし
ます枯れ葉に点火するようなものです。長くは続かないひと吹きの煙に似ていると言う方が近いでしょう。
我が愛する僕よ、わたしはあなたがそこに行くことを望みません。あなたが築き上げてきた様々な働きは重要視されなく64
なるでしょう。終わりの時代のわたしの僕たちは自分の欲を満たしたいという願いがあまりにも強すぎます。彼らは霊的
な力を持って成功したいと望み、自分自身を自慢しているのです。これがわたしが聖霊の働きを行い、満たすことのでき
ない理由です。これがわたしが聖霊の力を与えたり力強い賜物を注いだりすることのできない理由です。それはとても残
念なことです。もし人がへりくだり、地の塵のようにひれふすことをしないならば、わたしは聖霊の働きを与えることはでき
ません。そうでなければ彼らはそれを自分自身の欲望を満たすために使うからです。結果的に、多くの人は道を外れた
牧会をするようになるでしょう。彼らは多くの人々を間違った方向に導いていくリーダーとなるでしょう。多くの人が盲目に
なり、真理に入ることをやめてしまうでしょう。これがわたしが現在多くの僕に力を与えることができない理由です。すべて
の僕たちは賜物を求めています。彼らは皆霊的領域を望んでいます。しかし、彼らの多くは間違った理由で求めている
のです。彼らは自分自身の自己実現と成功を探し求めているのです。
今、わたしはここにいる僕たちに語ります。もし今ここにいる誰かがキム牧師の持っているような力と賜物を受け取りたい
という目的で主の教会を訪問しているなら、わたしはその人に自分の個人的な願いをすべて捨てることを要求します。も
しあなたがたが自分自身、あるいは自分のミニストリーを崇拝するためにさらなる自分の野心や成功を求めてここにいる
ならば、それらすべてをわたしの足の下に置くことを勧めます。あなた方のプライドと尊大さもすべて捨てなければなりま
せん。あなた方の欲望や個人的な野心が徹底的に洗い清められる時、わたしはその時あなた方に賜物を与えましょう。
賜物はただあなたが期待したり願ったりするから与えるというものではありません。あなた方は熱心に願っていればわた
しが賜物を与えると思っているのでしょう?あなたの熱心な願いの中に少しでも個人的な欲望があるなら、わたしは聖霊
の賜物は与えません。そうでなければ、賜物を受け取ることは毒となることがあり、その賜物が殺人のナイフとして用いら
れるかもしれないからです。これがあなた方に賜物を与えることができない理由です。
愛する人たち、あなたがたが愛、親切、謙遜といったわたしの性質に似るようになった時、聖霊の賜物はあなた方の上に
注がれます。わたしはあなた方に賜物を与えたいと切に願っているのです。わたしの心はあなた方に早く賜物を与えた
いと願っていますが、あなたは自分の心を空にしようとはしません。あなた方の心は欲望で満ちています。あなた方はわ
たしの賜物と力を機械のように用いたいと願っています。これがわたしの賜物を与えることができない理由なのです。こ
こにいるすべての人々よ、冷静に聞き、祈りなさい。3 か月、2 か月、1 か月、30 日連続で、あるいは一晩中祈れば賜物
を受け取ることができると考えている人々よ、あなたがたの考えは間違っています!わたしがあなた方の内に入り、聖霊
が完全にあなた方の内に現れることができるのは、ただあなた方が自分自身を空にしたときだけなのです。あなた方が
自分の欲望で満ち溢れているのに、どうしてわたしがあなた方の内に入ることができるでしょう?あなた方はわたしの賜
物を受け取る準備ができていません。あなた方は自分自身を空にすることなしに口先で信仰を告白しているにすぎない
のです。わたしはあなた方の霊の中心にある欲望や野心を空にしてほしいと願っています。あなた方が自分が本当は何
者であるか、自分がどういう状況にあるのかという隠されたアイデンティティを悟る時、あなた方は次第にわたしの前で自
分自身を見るようになるでしょう。
キム牧師:愛する主よ、預言の働きのために人々を訓練するところがあります。多くの人々がそこに集まっています。そ
の訓練所のメンバーの一人が私たちの教会を訪れ、私たちは彼を高位の悪霊から解放しました。彼は自分が悪魔に入
られていたことを知って非常にショックを受けていました。彼は自分の中に悪魔がいることに気づかず預言していたので
す。主よ、このことについてどう思われますか?
イエス様:(深いため息をついて)あなた方は皆聖書を読んで賜物は賜物であると知っているでしょう。預言の賜物を訓練
やその他の不自然な方法で獲得できるという考えは大きな過ちです。他人が異言、天の言葉で話すように訓練しようと65
する人もいます。自分自身の天の言葉を作り出す人もいるのです。そういう人はカルトのリーダーです。彼らは天の門を
閉ざす人たちです。彼らは天国の道しるべを見えなくする人たちです。
ここにいる我が愛する民たちは賜物を訓練によって得ることができるとは信じていませんね。わたしはあなた方に救いの
賜物を与えました。あなた方は自分の罪のために死ぬ以外に選択肢はありませんでした。あなた方は賜物と言う概念す
ら知りません。賜物は要求に基づいて与えられると考える人もいるでしょう。その時、あなた方はわたしの先を行っている
のです。そうするとついにはわたしに教えたり、指図したりしようとするのです。今、不自然に訓練された人々はミニストリ
ーを行い、わたしを雇っています。彼らはわたしの前に立ち、わたしに彼らの願いに応じるよう指図しています。彼らは最
悪の中でも最悪です。
あなた方は皆、終わりの時代の教会には麦と毒麦があり、羊と狼がいるということを知っていますね。今、わたしが彼らを
右と左に分けなければならない時が来ています。あなた方は目を覚まして注意深く自分自身を点検しなければなりませ
ん。非常に注意深くし、繰り返し気をつけて間違った道に並んでいないことを確かめなさい。
ひとたび霊の目が暗くなると、あなた方はもうそれ以上識別することができなくなります。わたしがあなた方に近づこうが、
憐みを持って叫ぼうが、真理を語ろうが、それらは何の意味もなくあなた方にはわたしの声が聞こえなくなるでしょう。自
分の欲望に満たされると、自分の野心に向かって走っていくようになります。あなた方は彼らの最終的な結果の証人とな
るでしょう。そして遠からず彼らは処罰を受け、あなた方は彼らがどうなるかをはっきり見ることができるでしょう。わたし
は彼らを裁きます。あなた方は再臨の時に彼らが滅びるのを見はしないでしょうが、あなた方は自分たちのそれぞれ異
なる目で彼らを目撃するでしょう。聖霊の働きは実によって現れます。あなた方は彼らの実が生きているか死んでいるか
によってその人生を見るでしょう。
キム牧師:愛する主よ、感謝します。申し訳ありませんがもう 1度質問させて下さい。私の子供たち、ジョセフとジューユン
が深く霊の領域に入っているので、私が教会の家族よりも自分の子供を愛してしまっていないかどうか教えて下さいませ
んか?主よ、あなたはジョセフとジューユンをどのようにお用いになるおつもりですか?教えて下さいませんか?
イエス様:あなたの目には彼らはあなたの小さな子どもたちだと見えるでしょう。だからあなたは彼らが霊の領域を見る時
とても心配になるのです。しかし、神の王国においてはその人が 60 歳であろうが 40 歳であろうが、小さな子供であろう
が関係ありません。霊の領域では皆同じなのです。あなたが天国で見てきたように、年寄りも若者もなく、男性も女性もな
く、子供も大人もありません。霊はみな同じなのです。
わたしは霊の領域を物理的な方法で考えません。それは霊的に判断されるのです。わたしは子供たちの霊が清く純粋な
ので彼らを用いたいと願っています。年配の人は、時に知識、常識、頑固さによって混乱してしまうでしょう。それはわた
しがどんなにはっきりと霊的な領域を見せても関係なく、さびで汚れた水のように彼らの思いは移ってしまいます。だから
そのような人々を用いるのは危険な時もあるのです。これが幼い子供を用いる理由です。
この終わりの時代、わたしは聖霊を幼い子供たちに注ぎ、彼らに霊の領域を見せるでしょう。彼らは預言するでしょう。わ
たしは彼らを引き上げ用います。あなたの子供たちの霊は清く純粋なので、わたしは彼らを用いたいと願っています。だ
から過度に心配してはいけません。しかし、キム牧師、彼らを誤って用いてはいけません。わたしが機会を与える時には
いつでも彼らを用いてほしいのです。あなたは彼らによく注意を払わなければなりません。時に、幼い子供たちは賜物を
自分の楽しみのために濫用することがあるかもしれません。だから、あなたはいつでも彼らを訓練し、神に仕える目的で
賜物を用いるように教えなければなりません。66
今から後、多くの幼い子供たちが霊の領域、聖なる火を経験し、聖霊の賜物を受け取るでしょう。このことが起こった時、
大人たちは彼らが幼い子供だからという理由だけで彼らを見下したり無視したりしてはなりません。これはわたしの来る
日がとても近いというしるしです。あなたは彼らを尊敬し、愛し、高めてあげなければなりません。わたしはあなたにわた
しに接するように彼らに接してほしいと願っています。
キム牧師:愛する主よ、あなたの恵みを感謝します。ある人が自分の孫が10代、特に10代半ばになったらあなたが来ら
れると言っています。その人は欺かれているのでしょうか?
イエス様:我が愛する僕よ、もしわたしが来る日にちを僕の何人かに公開したら、世界は混沌に陥るでしょう。わたしは聖
書で述べているように、わたしは盗人のように来て、それは誰も知りません。しかし、霊的に目覚めた人々は私が来る日
は近いことを知っています。彼らは正確な日にちは知りませんが、その時期は知っています。彼らは再臨が緊急であると
いうことを突然悟るのです。その時期、それは時間の問題にすぎません。
天国の門が開いているとか、第一の御使いがトランペットを吹いているとか、いつわたしが花嫁を迎えに来るとかいうこと
は年月を預言するものではありません。それは突然起こります。霊的に目覚めている人は、祈っている時に突然霊の領
域を通して私が来ていることを霊的に感じ、知るでしょう。待ち望み、目覚めている人々は一緒にそれを感じます。
私は誰にもその日付を言ってはいません。そうでないと世界は混沌とし、秩序を失うでしょう。だから、その日にちは与え
られないのです。ただ父だけがその日を知っておられます。我が愛する僕よ、もしあなたがわたしだけを愛し、わたしの
内にとどまるなら、あなたはその日を知らないからと言って困惑することはありません。
キム牧師:愛する主よ、あなたの恵みを感謝します。あなたもよく知っておられるように、バクスター姉妹は何度も天国と
地獄を訪問しました。彼女は本の中で地獄は地球の中にあると述べています。私の意見としてはそれに賛成できません。
地球の核には火がありますが、私の経験とあなたがわたしたちを導いて見せて下さった旅に基づいて考えると私は地獄
が地球の中にあるとは思えません。主よ、どうでしょうか?
イエス様:愛する僕よ、聖書の観点では天国は今あなたの心の中に存在し、また未来に来るものでもあります。あなたは
この知識を持っていますね。わたしが地獄は地球上にあると言う時、それは裁きの後に地獄が来る場所を意味している
のではありません。私が地獄は地球上にあると言う時、それは神の国がその人の上にないということを意味します。例え
ば、人々が「地獄のように感じる、私たちは地獄を生きている、世界は地獄のようだ」といったことを口にすることがありま
す。その人たちが通る痛みや苦しみの度合いは異なっています。
愛する人たち、今注意して聞いてほしい。わたしがあなたの霊を開く預言の賜物を与える時、とても気をつけなければな
らないことがあります。もしこの賜物を受け取る人の霊や魂が純潔でなかったら、多くの問題が起こるでしょう。ある人が
他の人に預言する時、その預言者の霊的不純物がすべて取り除かれていなかったら、聖書を間違って解釈する人のよ
うなものです。霊が聖められていない預言者は誤った預言や解釈をすることがあり、それは結果的にわたしの意図を誤
って伝えてしまうことになります。だから、人が預言の賜物を受け取ったとしても、その人は思い浮かんだことを全て口に
するべきではありません。しかし、彼らはとても注意深くなければなりません。預言を受け取る人も預言する人もどちらも
とても注意深くなければなりません。67
キム牧師:愛する主よ、既に述べた通り、中に入っている全ての悪霊を追い出さずに聖霊のミニストリーを行うのはとても
危険なことです。それは教会の日々の礼拝の中で明らかに証明されました。預言に焦点を当てそれに集中している教会
があります。彼らには悪霊の正体を暴露する能力がありません。主よ、このことにどう対処すればいいか教えて下さい。
イエス様:預言のミニストリーにおいては、一人の人の一つの言葉で、弱いあるいは若い信仰者を真理の道にも悪の道
にも導き入れることができます。そこには人々を盲目な人々のように暗闇に導いてしまうという危険性があります。あなた
に預言する人々についていくつかの例を与えましょう。黄色いオレンジジュースがいっぱい入ったコップの中に赤い水を
注ぐと、その色は赤みがかったオレンジになります。この例は人が語る時、人間の考えと悪霊の考えが混ざることがある
ということを示しています。このことが起こった時、その人は自発的にへりくだり、預言をやめなければなりません。その人
はへりくだって従い、霊が聖められるまで祈って待たなければなりません。わたしはその人に預言することを止めて休ん
でほしいと願っています。わたしはその人がへりくだることを願っています。聖霊を受けている人は悪霊がその人の霊的
状況を堕落させているかどうかを識別し、知ることができます。わたしはあなたの今のミニストリーが聖霊の御業である
か主が喜ばれないものであるか聖霊を通して教えます。だから、あなたは自分の霊が聖められておらず、預言するべき
でない時には聖霊を通してそれを知るでしょう。人が自分の状況を悟る時、わたしはその人に自分自身を慎んでほしいと
思います。注意深く行動することによって、その人はわたしの羊を病気にさせることもなければ、預言者自身も病気にな
ることはないでしょう。もし汚れた状態でミニストリーを続けるなら、その人の霊性は鈍くなり、彼らは病気になってしまい
ます。結果的に、その人は次第にサタンの道具になってしまうのです。
キム牧師:愛する主よ、私たちの霊の五感で預言するのは聖書的でしょうか?彼らは感覚を用いて預言することができ
るのでしょうか?また、耳から鮮明に言葉を聞いて預言するのは聖書的でしょうか?霊の五感で預言する人がたくさんい
ます。ですので、耳から聞いて預言するのはあなたのご意思ですか?
イエス様:愛する僕よ、それはこういうことです。あなたの性格は聖カン・ヒュンジャとは異なっています。実際、わたしの
全ての子供たちの個性はそれぞれユニークで異なっているのです。わたしは自分の僕を異なった賜物と独自性をもった
道具として異なった方法で用います。他の人よりも霊の五感が敏感な人もいるので、わたしは彼らに感覚を通して言葉を
与えます。ある人々に対しては耳を通して言葉を与え、別の人々に対しては聖書を読んでいる時に預言を与えます。わ
たしが預言を与えるのには多くの方法があるのです。あなたは預言が与えられる特定の方法について判断してはいけま
せん。
霊の領域は広く無限です。わたしはひとりひとりに最も適した賜物を最も適した方法で与え、用いたいと願っています。わ
たしは彼らが最もよく用いることのできるものを与えます。だから、そんなに慌てて判断してはいけません。慌てて非難し
てはいけません。人の霊性が開かれると、霊的な識別力があるのでその働きが悪魔からのものかどうか知ることができ
るでしょう。わたしはあなたがたに互いに尊敬し、高めあい、愛し合ってほしいと願っています。
キム牧師:愛する主よ、申し訳ありません。私もあなたに同意します。霊の領域では、私個人としては体系的に述べたり
理論を構築したりできるとは思えません。しかし、霊の領域の知識を持っていて、聖霊運動を行っていると主張している
多くの人々は体系や理論を作っています。彼らはそのナンセンスな理論で人々を教育しています。このことについてどう
思われますか?
イエス様:あなたは肉体を持った人間であり、たとえ働きの全てに全力を注いだとしても、あなたはわたしのようになるこ
とはできません。わたしは霊の体を持っています。基本的に、あなたが今直ちに完全になることは不可能です。だから、
わたしは人が霊の領域が完全に開いたと言うのを好みません。その人の傾向、能力、性格、その他の特性に基づいて、68
わたしはその人に最も合った賜物を与えます。人はただ自分が持っているものや経験したものだけを理解することがで
きるにすぎません。
だから人々は霊的領域のことについて互いに判断したり非難したりしてはなりません。霊的な人々、あるいは霊の領域
が開かれた人々は互いにわかるでしょう。彼らはそれぞれの働きさえわかるでしょう。彼らは互いに判別するために一言
の言葉さえ言う必要はないでしょう。彼らは霊を通して互いを知ります。彼らは一体であることを理解します。働きは異な
るかもしれませんが、聖霊は同じであり、主にあって一つだとわかるのです。
だから、ある人の霊の領域が開かれるかもしれませんが、その人は自分たちの方法や啓示が唯一の正しい方法である
と言ったり同時に他人を批判したりするべきではありません。人は自分が経験したことだけを知ることができるのです。有
限の考えや知識、言葉で表現することはできません。霊の領域は他のものと比較できるものではないのです。その高さ、
深さ、幅、広さはどんな基準とも比較したり判断したりすることはできないのです。人は天の御国でわたしとともに住む時
にならないと霊の領域の完全性を理解することはできません。人が完全性を得るのはその時なのです。
キム牧師:愛する主よ、もうひとつお尋ねしたいのです。私は早く新しい家に引っ越して、古い教会を他のテナントに貸さ
なければなりません。しかしすぐにはできそうにありません。主よ、あなたのご意思は何でしょうか?私の祈りが不足して
いるのでしょうか?私たちが古い教会の建物の借り手が見つかるように祈れるよう祈りの僕を起こして下さい。
イエス様:それは祈り不足のせいではありません。あなたの教会の建物はわたしが与えたいと願う僕が見つかるまで保
留されているのです。わたしはまだその建物を任せることのできる適切な僕を探しています。あなたのせいではないので
す。だから我慢して私を信じ続けなさい。あともう少しです。
キム牧師:主よ、どうか私が早く引っ越せるよう助けて下さい!私は我慢の限界です。
イエス様:あなたがせっかちなのはよく知っています。はははは。あなたはいつも気が短いですね。あなたはあまりにも跳
ね回っていますよ。はははは。
キム牧師:妻のカン・ヒュンジャが私を押しました!
イエス様:時々、あなたはとても愛らしいです。はははは。時々あなたの性格はほとんどわたしと同じだと思うくらいです
よ。
キム牧師:主よ、ユン・ジュン兄弟はもともと仏教の僧侶でした。彼は肉を食べませんし、何度も修行をしてきました。しか
し今彼は結婚したいようです。このことについてどう思うかお聞かせ下さい。
イエス様:はははは、ただ待ってみなさい。キム牧師、かなりばかばかしいですよ。わたしはあなたと会話する時とても楽
しんでいます。あなたはわたしを喜ばせてくれますね。はははは。
キム牧師:あなたはユン兄弟に言っているのですか、それとも私にですか?
イエス様:あなたに決まっているでしょう、はははは。あなたはわたしをありとあらゆる方法で笑わせてくれますね、はは
はは。69
キム牧師:イエス様、どうかユン・ジンス兄弟を癒してください。ヒュク・ファン兄弟は欲望の霊がユン兄弟の内に働いてい
ると言っています。これは頻繁にある問題です。主よ、これについてはどう思われますか?
イエス様:わたしの願いはあなたがた皆が弱い兄弟たちに心を向け、愛してあげることです。もしあなたが弱い信仰の友
を愛の心を持って見るなら、彼らが愛おしく美しく見えてくるでしょう。わたしの目には、彼らは皆遊び回っている小さな赤
ん坊のようです。彼らのやり方や見た目、性格が変だからという理由だけで、あなたの考えで判断したり分析したりして
はいけません。あなたは弱い人々を愛の心を持って見つめなければなりません。その時初めて彼らの美しさを見ること
ができるでしょう。あなた方は力や賜物を求める前に第一に愛の心を持つことを学ばなければなりません。わたしは弱い
人を抱きしめる心をもつことをまず身につけてほしいと願っています。これがなされた時、わたしはあなたに力を注ぎます。
癒し、回復、解放の力が実際に生じるでしょう。
キム牧師:主よ、もちろんあなたの言う通りです。ホープチャーチの牧師がはるばるここに来ました。彼はスウォン市から
ここまで来ました。彼にどのようなミニストリーを導いてほしいと願っておられますか?あなたは炎のミニストリーを期待し
ておられるのですか?
イエス様からスウォンの牧師へ:あなたは何を変革しようとしているのですか?あなたは 2 つの異なる考えをもっていま
すね。あなたの願いは何ですか?
キム牧師:主よ、彼は聖霊運動のミニストリーを願っていると言っています。
イエス様からスウォンの牧師へ:あなたは鉄のような性格を持っています。あなたに一つのことを心に留めてほしいので
す。あなたの全ての固定観念を捨て去りなさい。わたしはあなたに粘土のような軟らかく優しくなってほしいと願っていま
す。もしわたしが強い性格を持った人に聖霊運動のミニストリーを注いだら、彼らは多くの困難を通ることになるでしょう。
だからわたしがこの要求に今応じたら、あなたは多くの困難に直面することになってしまいます。
あなたの性格が粘土のように軟らかくなり、全ての不純物が洗い清められて金が再び見えるようになった時に初めてわ
たしはあなたの要求に応えて聖霊のミニストリーを与えることができます。この特定のタイプのミニストリーに焦点を当て
るよりも、わたしはあなたに現在の状況で最善を尽くしてほしいと思っています。あなたには神の時を待ってほしいので
す。
わたしはまず現在あなたの手にゆだねられている働きを成してほしいと願っています。あなたは粘土のように融通のきく
者にならなければなりません。わたしはあなたの心にあるすべての考え、計画、目標が崩されることを願っています。す
べてを脇に置いて再出発してほしいのです。今はあなた自身を立て直す時です。他の人の言葉や自分の観念、また自
分が見聞きしたことによって思い込みを持ったり形作られてしまったりしてはなりません。あなたは自分の基準を作り上
げてしまってはいけません。自分自身の標準を作ってはいけないのです。
人が話す言葉は不純物と混ざります。必ずしも直接わたしが望んだとおりに伝わるわけではないのです。彼らの言葉は
その人の偽善やごまかしと混ざるのです。だからあなたは彼らの言葉を考える時、柔らかくされるのではなくて頑なにさ
れてしまうでしょう。結果的に、あなたはほんの少ししか許容できない狭い心になってしまうのです。70
キム牧師:愛する主よ、もう 1 つお尋ねしなければなりません。申し訳ありません。私たちをカルトだと非難する人々や教
会、組織があります。彼らは私たちを迫害しようと躍起になっています。彼らは他人に対して私たちをカルトだと定義づけ
ているのです。このことについてはどう思われますか?
イエス様:愛する僕よ、他の人々に基準を定めさせてはいけません。わたしが聖霊のミニストリーで用いる人々やわたし
が力強く用いる人々は非難されるでしょう。批判したり裁いたりする人々は正しい聖書知識や神の知識を持っていません。
その結果、彼らは自分自身の基準や人間の限られた知識で基準を定め、わたしを判断しているのです。それゆえにわた
しは深く悲しんでいます。この終わりの時代に、わたしは多くの僕を通して多くの魂を救いたいと切に望んでいます。しか
し、わたしの僕の多くはわたしの力を注ぐのに適した器ではありません。彼らは自分自身の知識、基準、常識、肉体的な
領域の外面的な認識に基づいて基準を定めてしまうのです。これが彼らの上にわたしの霊を注ぐことができない理由で
す。わたしは彼らの霊の領域を開くことができません。たとえ彼らに霊の領域を見せたとしても、彼らはそれを自分の標
準や知識で推し量り、評価するでしょう。彼らは間違って偽りの定義付けをするでしょう。彼らは心を開いてわたしを受け
入れようとはしないのです。
我が愛する僕よ、どんな基準も作ってはいけません。あなたは常によく見て、わたしとの関係をしっかり築かなければな
りません。ただあなたの目をわたしに向けていなさい。あなたが今何をしているとしても、世界があなたをどのように評価
するかということにあまり関心を持ってはいけません。わたしが彼らを激しく裁くからです!
キム牧師:主よ、最後にもう 1 つ質問があります。どうぞお許しください。
イエス様:いいですよ。もう 1 つ質問したいことがあるのは既に知っていますよ、はははは!
キム牧師:たびたび私たちの教会に出席する若い未婚の牧師がいます。彼には長い間付き合っていた彼女がいました
が、数日前に破局してしまいました。他の教会員が彼に対してその彼女は彼に用意された女性ではなく、主は彼女を喜
ばれないと預言していました。私たちは自分の自由意思についてよく知っています。私たちは自分が選んだ人とデートす
ることが認められていますよね。主よ、このことについてどう思いますか?
イエス様:どれだけ多くの人が他人に何か言ったりアドバイスしたりするかは問題ではありません。人の配偶者は前もっ
て定められており、運命づけられています。その人が運命の相手と出会う前に、わたしはその人が霊的に訓練されること
を願っています。一般的に、人は訓練が不完全であるために運命の相手を見つけることができません。運命の相手を見
つけるのが早いか遅いかは重要ではなく、あなた方が真実必要とする人を与えたいのです。時は重要ではありません。
運命の人と出会うことが重要なのです。
キム牧師:イエス様、ユン・ジュンス兄弟はあなたに何度もあなたに誓いをしました。彼は一生独身でいると誓いました。
主よ、あなたは彼の誓いを受け取られたのですか?
イエス様:人々はわたしの意志を尋ねようとはせずに、わたしを雇おうとします。だからわたしは彼らに深い聖霊のミニス
トリーを与えることができないのです。多くの人々はわたしが望む器として彼らを用いるのを妨げる障害物を持っていま
す。あぁ、愛する人々、いつでもわたしの意志を最初に求めてほしいのです。決して成長しないような類の信仰は捨てて
しまいなさい。わたしの無条件の許可を求めて自分の意志を伝えるような祈りはやめなさい。わたしはあなた方に成熟し
てほしいのです。71
キム牧師:愛する主よ、何度もおたずねしてすみません。今のような機会はそれほどないのです。主よ、今日ここに来た
教会員や出席者たち 1 人 1 人の簡単に質問に答えていただけませんか?
イエス様:わたしは全員に同じように語ることはできません。受け取る人もいれば受け取れない人もいるからです。さらに、
一人で聞かなければならないような答えもあります。だから彼らの個人的な質問に対して公衆の面前で答えることはでき
ません。
キム牧師:主よ、どうか私たちに天国の家を見せて下さい。主よ、ここにいる皆に見せて下さい。賛美し、ユーモラスに踊
るために主の教会に出席する人たちの家は素晴らしく建て上げられるのでしょう?
イエス様:ははは、そのユーモラスなダンスはあなたを喜ばせるのですか?ははは、わたしはあなたのゆえに笑っている
のです。わたしはあなたのぎこちなさや、ばかげたふるまいが大好きです。あなたの動作 1 つ 1 つがわたしの喜びです。
わたしはだから皆に他人の足りない部分や弱さを愛してほしいと願っているのです。
キム牧師:主よ、主の教会のメンバーたちの家はすべて天国の中心か御座の近くに位置していますか?私にはあまり知
恵がなく、時々理解するのが難しい時があります。どうか答えを与えて下さい。
イエス様:あなたに示すことのできないことがたくさんあります。既に述べたように、あなたは基本原理を知る必要があり
ます。あなた方は皆せっかちに全てを知りたいと願いますが、わたしが開かないこともあるのです。時が来たら、わたしは
あなたにそのようなことを示しましょう。
キム牧師:主よ、働き人が不足しています。
イエス様:右にも左にもそれてはいけません。あなたは堅く立ってわたしのミニストリーを行い続けなければなりません。
あなたに人々を送るのはわたしの役目です。だから心配してはいけません。しかし少し期間、あなたはあなたの羊たちと
共に祭壇からいくつかの領域において訓練を受けなければならないでしょう。あなたが削られ、また形作られねばならな
い領域がたくさんあります。成長の度合いに基づいてわたしは順に働き人を送りましょう。今のところはわたしのミニスト
リーと栄光のために忍耐し祈りなさい。わたしが集めます。
キム牧師:主よ、あなたに全ての栄光と感謝をお捧げします。主よ、床にひれ伏しているあなたの愛する娘にお言葉をお
願いします。
女性牧師:(むせび泣きながら)神様!私の人間的な見方では、牧師という責務を引き受けたことを何度も後悔してきま
した。あまりにもたくさんの障害があり、私はそれに対処することができません。また心配なこともあまりにもたくさんある
のです。女性の僕として、私には多くの点で限界があります。私は頻繁にすっかり落胆してしまうのです。主よ。
イエス様:我が愛する娘よ、あなたがわたしを知る前から、わたしはあなたを僕となるように作りました。あなたが牧師に
なるまで、そして牧師になった後でさえもわたしはあなたの傍に立って働き多くの人々を備えてきました。愛する娘よ、あ
なたはどうしてそんなに頻繁に失望落胆してしまうのですか。あなたの願いは人々のために向けられているので、わたし
はあなたが触れることによって人々が癒されることを願っています。わたしはあなたが触れる人が回復するように願って
います。わたしはあなたが病気の人々やのけ者にされた人々を抱くことを願っています。わたしはあなたを通して回復を
成し遂げたいのです。これはあなたにかかっているのではありません。あなたの意志にかかっているのでもありません。72
あなたはあなた自身の意志に基づいてそれを成すことはできません。続けるかやめるかはあなたの強さに基づいてはい
ません。あなたにこれを理解してほしいのです。
わたしはあなたに平安を与えたいと願っていますが、それはわたしの方法でやってくるのです。わたしは今あなたを一段
階成長させたいと願っていますが、それもわたしの方法で成されます。わたしはあなたに幸せになってほしいと願ってい
ますが、あなたはそれをわたしの方法で得なければなりません。わたしはあなたに自分の知識、考え、常識、計画を捨て
去ってほしいと願っています。わたしはあなたにわたしにある新しい被造物となってほしいのです。あなたが新しい計画
に入っていく時、あなたは平安、感謝、そして幸せを得るでしょう。
キム牧師:愛する主よ、ありがとうございます。私は続けるべきでしょうか、それともこれで終わりにするべきでしょうか?
イエス様:あなた方皆が祈っているので、わたしはあなた方に個人的に会いたいと望んでいます。わたしは一人一人に
言葉を与えたいのです。個人的なこともあるので公衆の面前で語ることは望みません。いくつかの言葉は他の人が聞く
べきではないのです。一人ひとりがわたしを探し求め、わたしと出会いなさい。わたしはあなた方皆に語りたいのです。わ
たしはあなた方皆に見せ、語り合いたいのです。
キム牧師:一緒に歌いましょう。「おぉ、我が魂は賛美します。」ハミングしましょう。
女性牧師:(幻を見ている)私たちの一致した賛美が一つに集まって5色の雲を作っているのが見えます。あぁ、天使たち
も一緒に賛美しています。天使たちは美しい金色のトランペットを吹きながら賛美しています。主は両手を高く上げて私た
ちと共に歌っておられます!私は喜びで心を開き、栄光を主にお返しします。わたしは幸せです。感謝します。全ての栄
光を主にお捧げします。あぁ主よ、どうか全ての栄光をお受け下さい!天国で多くの魂が 1 つに集まっているのが見えま
す。祝典が開かれています。多くの魂が霊にあって天使たちと共に踊っているのが見えます。今この時、天使たちは私た
ちの手を取って一緒に踊りたがっています。聖霊様が導かれるように手を動かして下さい。心と足を動かして踊って下さ
い。天使たちは一人ひとりの手を握っています。あぁ主よ、あなたに栄光をお捧げします!あぁ主よ、あなたに栄光をお
捧げします!ボリュームを上げて下さい。聖霊様は今あなた方の内で動いておられます。ボリュームを上げて下さい。聖
霊様と共に導かれるままに動いて下さい。天において、天使たちが一緒に踊っています。良い香りが高いところから下っ
て来ています。神様、あなたをたたえます!あぁ主よ、あんたを賛美します!あぁ主よ、あなたに栄光をお捧げします!も
し腕に痛みがある人がいるのなら、立ちあがって腕を自由に動かしてみて下さい。主が今あなたを癒しておられます。
体に痛みがある人がいるのなら、自由に動こうとしてみて下さい。主があなたの手足に自由を与えておられます。呼吸に
困難を覚えている人たちは深呼吸して下さい。吸って~吐いて。神様があなたの心に今触れて下さっています。頭痛が
ある人は頭をあげて踊りなさい。下腹部に痛みがある人はお腹をたたいて回りながら踊りなさい。聖なる火があなたに入
っています。神様は心の固い人々や落胆している人々に触れて下さっています。今悲しみは去り、あなた方の心はリフレ
ッシュされています。心を開いて主を見つめて下さい。平安が今あなた方の上にあります。不安や心配は去ります。あぁ、
なんと素晴らしい日でしょう。あぁ主よ、なんと素晴らしい日なのでしょう。あぁ主よ、彼らの腕は自由になりました。あぁ主
よ、私の足も自由になりました。背中に痛みがある人たちは、自由に上下に動かしてみて下さい。主は今あなたの背中
に触れておられます。
歌いたい人はどうか霊にあって今歌って下さい。もし歌が異言になったら、異言で歌って下さい。もしハミングだったら、そ
の曲をハミングして下さい。霊に導かれるままに手を動かして下さい。声を張り上げたいのならそうして下さい。あなた方
は今霊にあって歌うことができます。聖霊様は今あなたの唇と舌に触れておられます。あなたが聖霊の導くままに歌うな73
ら、あなたは霊によって歌うのです。あなたが霊によって賛美している時、あなたはより深い聖霊の喜びを経験するでしょ
う。あなたの口を通して、聖霊様はあなたの霊に深く入ってこられています。今聖霊から与えられる導きや印象によって、
捕らえられている、あるいは抑圧されていると感じている人たちは大声で叫んでください。悪霊は逃げていきます。あなた
の心はリフレッシュされるでしょう。天国とこの建物で祝典が行われています。主は踊っておられます。主はあなた方の手
を取って踊っておられます。今、もし願いがある人がいるのなら、今それを語ってください。それを大声で言って下さい。あ
なたが何かを願っているなら。今神のみ前でそれを求めて下さい。
神様はとても喜んでいらっしゃるので、あなた方の願い事を叶えて下さるとおっしゃいました。もしあなたが子供のことで
祈っているのならそれを主に知らせて下さい。あなたの全ての関心事や喜びを神にお知らせして下さい。家庭に問題が
ある人がいるのなら、この時に神様に家族の回復を求めて下さい。私は今すぐ神様に1つの誓いをしたいのです。もし憎
んでいる人がいるのなら、主にその人を許すと誓って下さい。主と指切りをして約束して下さい。主の胸の中で約束して
下さい。主を見て約束して下さい。それを主の胸に指で書いて下さい。ハレルヤ!全ての栄光を主にお捧げします。
* 主が付き添われて地獄を訪問する
2007年10月18日の早朝、1人の天使が主の教会を訪れました。この天使は天国で私たちに付き添い、案内してくれた
天使でした。私たちが地獄を訪問する準備ができたので、その天使は数人の部下の天使を連れてやって来ました。その
時私たちは全員一緒に地獄へ行きました。天の御使いは銅色をした場所のような乗り物に乗って来ました。私たちが地
獄の入口に着くや否や、馬車の色は暗くなりました。
私たちの目の前にある道は終わりがないように見えました。私が見上げると、空がとても高く見えましたが、同時に天井
のようにも感じられました。たくさんのロープが上から垂れ下がっているのが見えました。数え切れないほどの肉、塊の肉
がロープに結ばれたフックにかかっていました。フックにかかっている肉の塊は肉屋を思い起こさせました。私はその時
その肉の塊は人々の魂で生きたまま吊るされていることに気づきました。全身が吊るされている魂もあれば、足がなくな
っている魂もありました。頭だけしかないフックもあれば、足だけが吊るされているフックもありました。
キム牧師:主よ!主よ!この人たちは誰ですか?彼らが何をしたからと言ってここでこんな苦しみを受けなければならな
いのですか?
イエス様:これらの魂はとても哀れです。彼らはみじめな罪を犯しました。彼らは欲望と悪しき思いで満ちていました。彼
らの悪は汚い水のように壺を満たしていました。近づいて見てみなさい。彼らの神経は生きていて動いています。
キム牧師:愛する主よ、私は続けて地獄を訪問し、堕落したクリスチャンが行くところを見ます。主よ、どうか私の手を握っ
て付いて来て下さい!怖いのです!どうか聖霊を冒涜する罪が実際はどんなものであるのかお見せ下さい。聖霊を冒
涜する罪を犯したために最終的に地獄に入れられたクリスチャンたちをお見せ下さい!どうかそれを詳細に見せて下さ
い。
イエス様:キム牧師、今からあなたがかつて地獄で訪問したことのある場所を見ます。あなたは聖霊を冒涜する罪を犯し
た人々を見るでしょう。すぐ傍まで近づいて見なさい!74
主と私は線路が敷かれた場所に付きました。その場所は大きな鉱山のように見えました。私たちは線路に沿って歩いて
行きました。私は線路の横に無数の部屋があるのを見つけました。その部屋は倉庫や巨大な管を思い起こさせました。
その部屋の深さはあまりに深いので測ることができませんでした。私は自分が見たことを言葉で説明することができませ
んでした。すると、部屋の様子が明らかになってきました。聖霊を冒涜する罪を犯した人々が内側と外側で見た目が異な
る服を着ていました。服の外側はおしゃれで、豪華で、威厳があるように見えました。その服装は彼らの権威や高い地位
を表していました。主は彼らを見て深く長いため息をつかれました。
イエス様:ふぅぅぅ…チッチッチ、わたしにどうしろと言うのか?ヨンドゥー!キム牧師!わたしの心は非常に痛み、引き裂
かれています。わたしがいくら彼らに語ったかは問題ではありません。彼らの耳は閉ざされていました。彼らは全くわたし
に耳を貸そうとはしませんでした。わたしの言葉は彼らの心に届きませんでした。彼らの霊は鋼鉄のように頑なにされま
した。わたしがどんなに彼らに語っても、彼らは聞いてくれませんでした。さらに、彼らはわたしの声を聞かないように努
力し、わたしが触れようとした時に拒絶しさえしたのです。わたしの哀れな子どもたちよ。今わたしはどうしたらいいのだろ
うか?何ができるというのだろうか?
あぁわたしの愛する息子、娘たちよ!わたしの気の毒な子どもたち、わたしの哀れな子どもたちよ!あなた方はわたしが
どれだけあなた方を愛し、あなた方を大切にしてきたか知らないのですか?わたしは何度もあなた方を抱きしめたのにあ
なた方は耳がふさがり、目が覆われて暗くなってしまっていたために聞きとることができませんでした。あなた方は真理を
見分けることができなかったのです。あなた方は貪欲になり、真理よりも知識に自分たちを導かせようとしました。偽善者
たちよ!もしわたしが動物をあなた方より高く引き上げたのだったら、動物たちはあなた方のようにはならなかっただろう
に。
その魂たちはわたしの心を痛みでいっぱいにします。わたしの心は深く痛んでいます。あなた方は愛によって生きている
と言いましたね。あなた方は愛を実践しているとまで言ったではありませんか。あなた方は頻繁にいのちの全てを捧げて
教会に仕えると言っていたではありませんか。連れ去られてしまった哀れな魂たちよ。あなた方は世の誘惑で連れ去ら
れてしまったのです。あなたがたは他の偶像に付き従い、霊的に目も見えず耳も聞こえない者となってしまったのです。
あなたがたはもはや識別することができませんでした!あなた方が地上で生きている時、多くの罪が行われました。しか
し、それらの罪の中でもわたしが最も深く悲しむ罪があります。わたしの痛みがわかりますか?肉がとけるような痛みで
す。
罪はわたしが最も忌み嫌うものです。わたしは罪をあなた方の涙と交換することはできません。あなた方の悔い改めは
十分ではありませんでした。たとえあなた方の体をすべて捧げても十分ではありません。わたしはあなた方の計り知れな
い罪のためにどうすればいいのでしょう?あなた方はかつて唇で信仰告白しました。「父よ!我が神よ!我が生ける神
よ!」しかしあなたは偽りの唇でそれ以上そう語れないようにチャンスを失ったのです。今できることは何もありません!
今となって何をしようか?あなた方は閉ざされた目と耳のゆえにここに来たのです。泣き叫びなさい!罪を告白しなさ
い!しかしあなた方もよく知っている通り、それには何の意味もないのです!
まだ悔い改める機会が残っている地上の人々は悔い改めなければなりません!今ここにいる人々はわたしの道を妨害
したのです!あなた方はわたしの意志を妨害し、わたしの名前によって仲間を捨てました!その人たちを通してあなた方
はどれだけの利益を得たのでしょう?あなた方はわたしの愛する羊たちを殺し、彼らをあなたのいけにえとしてむさぼり
食ったのです。あなた方は彼らを自分の名前のための記念碑としたのです。あなた方は自分たちの利益のためにわたし
の名前であらゆる方法を結集しました!今わたしはあなた方に対して語ります!75
あなた方は口先だけの信仰告白をしましたが、決してわたしに属してはいません!あなた方は教会に暗闇の墓場を作っ
て来ました。あなた方は偽善者の墓場に入れられるでしょう!わたしが何を言っているのかまだわからないのですか?
あなた方はわたしの言葉をあまりにも軽々しく扱いました。あなた方はわたしの言葉に思いを向けませんでした。あなた
方はわたしの言葉に耳を貸しませんでした。あなた方は自分自身の思いに従って正当化してきました。あなた方は自分
の側に立ってすべてのことにおいて自分の利益を追求してきました。
わたしが愛する魂は自分自身を探し求めません。彼らは純粋な霊です。彼らはわたしの血によって聖められた純潔な霊
です。あなた方は『血』という言葉をよく知っていますが、尊い血とはまったく何のかかわりもありません!あなた方は餌
食を求めてあちこちを見まわしている狼に似ています。わたしの愛する羊がいるところを見回していましたね。彼らを見つ
けるや否や、あなた方は彼らをむさぼり食ったのです。今、わたしはあなたを呪います!あなた方の永遠は今や地獄の
苦しみに支配されるでしょう!
あなた方が地上にいた時、あなたはあらゆることや問題を見て言いました。「おや、こんな問題があるとは!教会には祝
福がある。全ての祝福はわたしのものだ!」しかし、あなた方が高慢になって世界の全てのものは自分のものだと叫ん
だ時、あなた方はついにここ地獄に来ることになったのです。あなた方は自分自身の破滅を知りませんでした。誰も、風
さえも知りませんでした。今や、あなた方は破壊され滅ぼされるでしょう。あなた方は自分たちの住みかを作っていたこと
をしらないのですか?あなた方の全ての行いは書物に記されています。今、この暗い住居があなた方の家です。あなた
方は既に自分たちの名前を悪魔とその手下たちに与えました。だから、この終わりの時代の収穫の時に、空の麦のよう
に、また落ち葉のようにあなた方はこの場所に落ちてしまったのです。あなた方は永遠に罰せられるでしょう。
キム牧師:聖霊を冒涜する罪は恐ろしいものですか?
イエス様:その通りです。近づいて見てみなさい!
私は彼らが牧師のガウンを着て椅子に座っており、激しい炎に囲まれているのを見ました。椅子は黒い金属でできてい
ました。座っているところは鉄の板のようでした。その轍の椅子は 1 列に限りなく並んでいました。ひとたび人が座ると、
彼らが動けないように何かが自動的に彼らを掴みました。すぐに椅子の下から炎が激しく燃え上がりました。その炎はと
ても強い炎でした。私は熱のせいで近づくことができませんでした。彼らは叫びました。「あぁ!助けてくれ!主よ、私たち
は知らなかったのです!あなたはなぜ私にこんなことをなさるのですか?」
不思議なことが起こりました。赤と青みがかった炎が次第に彼らの体中に広がりましたが、片方のまゆ毛や髪の毛さえも
燃えたり損傷したりはしませんでした。炎は体全体を覆いました。彼らは激しい痛みを感じていましたが、損傷していませ
んでした。完全な破滅は起こらず、ただ痛みだけが生じていました。彼らにできることは痛みでみじめに叫ぶことだけでし
た。
「イエス様!あぁ!熱い!どうして私はここにいなければならないのですか?どうして私がここに来たのですか?」
多くの霊的権威の地位にいた人々がそこにいました。イエス様のことをよく知っていると言っていた人々がたくさんいまし
た。神の御言葉を研究していた人の群れがいました。ばらばらな研究をし、自分の人間的な知識に基づいて神の御言葉
を解釈していた人々がいました。76
私はたくさんの悪魔がその魂たちを傷つけているのを見ました。悪魔たちはとても喜んでいました。地獄のこの場所は巨
大なアリーナのようでした。このようにしか表現できません。そこはとても大きく、広く、とてもたくさんの人がいました。膨
大すぎて数えることができませんでした。
キム牧師:イエス様、私はこの光景を書きとめて本に載せなければなりませんか?主よ、ここは私が痛みを受けるために
頻繁に来ていた場所ですか?
イエス様:愛する僕よ、あなたは既にこの場所を何度も見ています。あなたは頻繁にこの場所を訪れ、痛めつけられまし
た。あなたが苦しめられている間にあなたを見るのがどんなに困難か知っていますか?あなたとその経験のゆえに多く
の魂がここに来なくてすむのです。目を覚ます牧師がたくさんいるでしょう。
さて、わたしはまだ生きている僕にわたしの言葉に耳を傾けてほしいと願っています。わたしは彼らに我が聖なる火のミ
ニストリーに参加してほしいと思っています。この最後の世代に、聖なる火の力を通してミニストリーを行わなければなり
ません。しかしそこから出てくるものは多くありません。わたしは今わたしの民とイスラエルを回復する機会を与えていま
す。わたしは彼らが聖霊運動のミニストリーを導くことを願っています。わたしの願いはあなた方一人ひとりがミニストリー
を導くにあたって地獄を目撃することです。しかし多くの人が疑いを持っています。キム牧師、あなたはわたしが述べたこ
とを書き記さなければなりません。
キム牧師:主よ、あなたはなぜわたしを火の中に置き、炭の上で燃やされたのですか?それはやりすぎでしょう!しかも
一度ではなく何度もですよ!
イエス様:はははは、キム牧師、それらすべては神のご計画に含まれていて、あなたは経験しなければならないのです。
しかしあなたが経験したことを人々に宣言したとしても、彼らは信じないでしょう!あなたは既に身内のものですらあなた
を完全に信じていないことを知っているはずです。彼らはまだ疑っています。これは非常に残念なことです。わたしは多く
の魂が経験して知ることを願っていますが、彼らは天国と地獄から程遠いのです。
キム牧師:主よ、あなたはなぜ私を地獄のバイキングのところに連れて行かれたのですか?とても恐ろしかったです。私
の全身は小さく切り刻まれました。私は痛み苦しみで死ぬかと思いましたよ。主よ、もうこのようなことを続けることはでき
ません。あまりにも困難です。もう私を地獄に連れて行かないでください。おできになりますか?
イエス様:はい、キム牧師、我が愛する息子よ。わたしはそれがどれほど困難であるかよく知っています。しかしあなたに
は成し遂げなければならない使命があります。あなたは地獄の情報を公開しなければなりません。わたしにできることは
何もありません。しかし、わたしはあなたに計り知れない力を与え、あなたを用いましょう。だから他の人が何を言おうと
気にしてはいけません。あなたの状況を思い煩ってはなりません。わたしがいつでもあなたを守ります。あなたは天国に
置いてとてつもなく大きい報酬を得るでしょう。
牧師や他のリーダーたちは人々の関心や見方に従っています。彼らは理性に導かれています。集まっては人々の見方
という問題に焦点が当てられ議論が行われています。彼らは教会政治と人気に基づいて決定をします。彼らは政治的に
正しくなるのです。
彼らが神の名によって集まっていると主張したとしても、彼らの最終的な結果はいつも人々の関心にあります。わたしは
彼らを見るととても心が痛みます。彼らはわたしの本当の意志を行ってはいないのです。去って行った子供をいつまでも77
待つ親の心のように、わたしは彼らが戻って来て悔い改めるのを待っています。彼らは牧師の商人になってしまいました。
彼らは説教を売り買いしているのです。
キム牧師:主よ、あなたは説教を売買している牧師をまだお許しになるのですか?そうでないのなら、お裁きになるので
すか?
イエス様:我が愛する僕よ、あなたはどうしてそんなに早まるのですか?あなたは基礎的な論理で理解しようとし、単に
白黒で判断しようとしています。注意深くわたしの言葉を聞きなさい。愛する息子よ、それらはわたしが作ったルールや
伝統ではありません。そのようなルールや伝統は人間が自分の都合で作ったものです。過去に、人間の伝統のために
改革が行われました。どうしてその前のことを実践するのでしょうか?それらのルールや伝統はわたしが作ったものでは
ないので、議論する価値もありません。父、聖霊、そしてわたしは全く喜んでいません。なぜその人々は自分の会衆を圧
迫するのでしょうか?貧しい人々はどうなるのでしょうか?
キム牧師:主よ、ありがとうございます。愛する主よ、聖なる燃える火のバプテスマはどのように世界中に広がるのです
か?
イエス様:すぐに、あなた方は皆自分自身の目でそれが確立するのを目撃するでしょう。春に丘の上で点火する小さな火
花のように、炎は急速に広がります。それが消えた時にも燃え残りが消えることなく広がり続け、さらなる火を生み出しま
す。聖霊は神を心から待ち望み飢え渇いている全ての教会、全てのリーダーに注がれるでしょう。聖霊は牧師、平信徒、
そして最後の世代の幼い魂にさえも注がれます。キム牧師、あなたを通して火のミニストリーは絶えず点火されるでしょう。
多くの悔い改め、統合、変化が起こるでしょう。しかし、それはそのことを真実として開かれた心で受け取る人々に限られ
ます。わたしは彼らを力強い器として、また通り管として用います。そしてまた逆に、多くの人が信じずにあなたを追放す
るでしょう。
多くの魂がわたしの弟子になろうと熱心に学び、準備しています。しかし最後の訓練は死ぬことです。死のない弟子訓練
は空虚なものです。それはこだまの音のように空虚なものなのです。
終わりの時代はとても悪いので、人々は自分自身の目で目撃しない限り信じようとしないでしょう。父、聖霊、そしてわた
しは人の考え方をよく知っているので、わたしたちが彼らの霊の内で真実生きているということを示すために聖霊の力を
与えます。信者を含めて、世界の多くの人々は外的な方法に基づいて信じているかどうか見られます。しかし、心を見る
と彼らは本当は主に対して不適切な信仰生活を行っているのです。多くの人が神に受け入れられない生活をしているの
で、父、聖霊、そしてわたしは、聖なる火を通してわたしたちが真実生ける神であるという証拠を示しているのです。
キム牧師:愛する主よ、私は炎のミニストリーに携わっている多くの人がでっちあげをしていることを知って驚いています。
彼らは偽りの聖なる踊りを作っています。主よ、あなたは偽りを見抜くために私たちを用いてこられました。あなたは私た
ちのような弱い僕たちを用いてこられました。三位一体の神から与えられた力強い聖なる火を通して、多くの偽りの僕が
明らかにされました。
韓国の教会には偽りの聖なる火のミニストリー、偽りの預言、偽りの賜物などがあまりにもたくさんあります。私は混乱し
ていてどうしたらいいのかわかりません。実際、彼らの中には自分たちの偽りの主張について日刊新聞で頻繁に宣伝し
ている者たちもいます。彼らは無知なクリスチャンたちを誘惑しています。私は起こっていることをどのように受け入れた
らよいのでしょうか?このことを止めるために私にはなにができますか?主よ、あなたは何を指示なさいますか?78
イエス様:わたしと親しい霊的関係を持っている人々は見分け、知ることができます。人間の知識を用いる人々や霊的な
目に見える現象を追い求めている人々に対して、わたしはわたしが生ける神であるという証拠を見せます。しかし秘密の
場所で誠実にわたしに出会った人々は見分けて知ることができるのです。今全てのことをあなたに語ることはできません。
しかし、この終わりの時代におけるわたしの完全な福音のミニストリーのために、わたしは世に示そうと計画している全て
を徐々に明らかにしていきます。
キム牧師:私の頭に触っているのは誰ですか?
聖霊様:それはわたし、あなたを愛している聖霊です。いつでもあなたの傍にいるのはあなたの神です。わたしがあなた
の心の中を最も小さな動きまで見ている神です。わたしはあなたを非常に愛おしく見ています。
キム牧師:愛する主よ、聖霊様、ありがとうございます。私が 3 巻に記した天国の秘密の部屋を訪れた時、父なる神ヤハ
ウェが私にあって下さいました。彼は私が理解し、臨在を感じることができる方法でご自身を現わして下さいました。私は
その部屋をもう一度訪問したいのです。ひょっとしたら、もう一度連れて行って下さるのでしょう?
イエス様:今あなたをそこに連れていく計画はありません。今日書くことを書き終わったらわたしたちはできるだけ早く地
獄を訪問しなければなりません。準備はいいですか?
キム牧師:イエス様、私と一緒にリバイバル集会を行った教会の多くが集会の後熱烈に祈っていました。しかし数ヵ月後、
彼らは試練に勝利することができず、危機を乗り越えることができませんでした。次第に間違った道へ堕ちて行ってしま
った教会もあります。主よ、私はどうするべきでしょうか?
私たちの教会を訪れて動機が汚れてしまった人々がいます。さらに、5 冊の炎の本を読んでいる間に霊の目が開かれた
人々もいます。ある程度の期間私たちの教会に出席していた人々もいます。これら全てのグループの中にも大きな問題
が起こっています。主よ、このことについてはどう思われますか?
イエス様:愛する僕よ、あなたはとても敏感ですね。わたしはあなたにわたしのような心を持って全ての魂を抱いてほしい
と願っています。今、彼らがあなたの裏で悪いうわさ話や陰口を言い、彼らの過ちが明らかになったとしても、それにそん
なに関心を寄せてはいけません。もしそのことにあまりに関心を向けるなら、あなたは大きなミニストリーを行うことはでき
ません。最も重要なことはわたしがあなたを選び、あなたを任命したということです。あなたはたくさん訓練を受けました。
今もこれからも色々な人が従ってくるでしょう。わたしはあなたに多くの魂を送ります。彼らは自発的にやって来るでしょう。
他人の意志で来る人もいるでしょう。あなたを痛め、傷つける人もいるでしょう。
我が僕よ、たとえわたしが彼らにあなたがミニストリーを行うに当たってあなたと共に歩むように望んだとしても、彼らの
中にはあなたを裏切る人やあなたを利用しようとする人も出てくるでしょう。あなたは初めから自分の心を全てさらけ出す
のではなく、上手に彼らを見分けなければなりません。彼らの過ちが明らかになったとしても、彼らを愛によって教え、余
分なものを取り除いて主の軍隊としなさい。
キム牧師:主よ、もし人々が私たちのところに戻って来て問題を起こし続けたらどうでしょうか?その時はどうすればいい
のですか?79
イエス様:少なくとも彼らはあなたのもとに戻ってきたのです。そのことを感謝しなさい。しかし、戻ってこない魂たちもいる
でしょう。去って行った人たちは互いに集まって連絡を取り合うようになるでしょう。しかし彼らの心の中には既に分裂が
あります。それからいくらもしないうちに彼らは孤独を感じるでしょう。彼らはさまよい回り、最終的には一斉に戻って来る
でしょう。あなたは情け深く彼らのために祈り続け、彼らを抱いてあげなければなりません。愛する僕よ、いいですか?わ
たしの言っていることを理解しなさい。わたしはあなたを最後まで信用しています。わたしがあなたを抱いたように、幼い
子供を愛して育てるように彼らを抱いてあげなさい。わたしはあなたに彼らが痛まなくて済むように彼らの傷を包帯で巻
いてあげることを願っています。
* 離れてしまった人々
私は去って行ってしまった教会員について話したいと思います。最初に教会員たちが霊の目を開かれた時、ペク・ボンニ
ョ姉妹は最初から私たちと共にいました。しかし、彼女は外の教会の一人の男性のゆえに去って行きました。彼らは誘惑
しあい、惑わしあいました。今、彼らは二人とも田舎のどこかにいます。ペク・ボンニョ姉妹が去って行った一番の理由は
従うことを拒み、霊を識別することを拒んだからです。
多くの人々は霊の目が開かれた時に聖霊だけが働いているという間違った理解をしています。結果的に大きな過ちが生
じうるのです。ひとたび霊の目が開かれてミニストリーを始めたならば、悪霊は容赦なく攻撃してきます。魔術の霊、惑わ
しの霊、混乱の霊が狂ったように襲いかかって来ます。その悪霊たちはイエス様の様々な姿に変装するでしょう。私たち
が悪霊を見分けることをしないならば、致命的な過ちを犯すことになります。その結果は明らかであり、多くの魂を誤った
方向に導くことになってしまうでしょう。
ハークスンはペク・ボンニョ姉妹が彼の母親だと言う理由だけで彼女に付いて行きました。しかし彼が母親のために教会
を出ていく時に彼の霊の目は閉ざされました。彼は最終的には母親に何も言わずに主の教会に戻って来ました。彼が主
の教会に戻ってくるといつでも霊の目が回復されましたが、母親のところに戻るとまた霊の目が閉ざされました。彼は同
じことを三回繰り返しました。彼が戻って来る度に、彼は悪霊に重くのしかかられました。
結論は自分でも明らかです。私の息子と主の教会の家族たちは強い悪魔がイエス様だと偽ってペク・ボンニョ姉妹の中
に座っているのを見分けていました。その強い悪魔は最上位で、またの名を目に見えない悪魔、天使の悪魔と呼ばれる
ものでした。その悪魔はイエス様の姿で彼女を支配していました。私は彼女の孫娘であるミーナがどこにいるのかわかり
ません。彼女は孤児院にいます。ペク・ボンニョ姉妹はついに誰かの結婚関係と家族を破壊しました。
一体どうして天国と地獄を訪問した人にこんなことができるのでしょうか?このできごとは長い間私を疲れ果てさせました。
この出来事は実際私の人生における重荷でした。
私が主に「主よ、主よ、どうしてこんなことが起こるのですか?私は涙と祈りを持って彼らをケアしてきました。私は彼らの
魂を心から気の毒に思っています。私はどうしたらいいのですか?」と尋ねた時、主は涙を流しながら最後まで耐え忍ん
で彼らのために祈り続けなさいと語られました。ペク・ボンニョ姉妹の家族の内、ハークスン兄弟だけが留まりました。彼
は霊的な訓練を続けるうちに、しっかりと自分の立場を守るようになりました。
ある時、ウルサン市からある家族が主の教会を訪れました。2 年生か 3 年生くらいに見える幼い少女が預言をしました。
彼女も霊の目が開かれていました。この家族は娘の霊的覚醒が聖霊からのものなのか見分けたいと願っていました。私
たちの教会員が彼女を見ると、イエス様の姿に変装した悪魔が現れました。その悪魔が彼女を支配していました。その80
悪魔はイエス様そっくりに模倣していました。私たちが彼らに説明すると、彼らはひどく取り乱しました。彼らはその時ただ
去って行きました。両親は基本的な聖書知識を持っていました。彼らは基本的な聖書知識で識別することができたにも
関わらず、そうしませんでした。彼らは盲目的に娘の言葉を信じたのです。
モクポ市から来た別の家族も同じような状況でした。もちろん、私は両親が子供の霊的な経験が神からのものであると信
じたいということを知っています。しかし正しくないものは正しくないのです。それは私の子供たちジョセフとジューユンを
含めて皆同じです。私たちはみんな同じ危険をはらんでいます。私は子供たちを神の御言葉を入念に読み、毎日祈るよ
うに訓練してきました。私はさらに彼らに神の力と御言葉を用い、霊を見分けるよう訓練してきました。
ペク・ボンニョ姉妹の場合、私は彼女に識別と信仰の訓練をしてきました。しかし、彼女は堕落してしまい、最終的には神
性、すなわち三位一体の神について間違った理解をしてしまいました。彼女は父なる神は義理の父の役割をし、イエス
様が彼女の夫なのだと主張しました。ペク・ボンニョ姉妹は自分とイエス様との関係は地上の定義における結婚と同じよ
うに夫婦なのだとしつこく言い張りました。さらに、彼女はばかげたことを話しました。彼女はイスラエルの民がモーセと共
に紅海を渡った時、エジプトの軍隊はボートに乗って追いかけてきたと主張しました。主の教会のメンバーたちが彼女を
評価する時、悪霊がこの堕落をもたらしたということは明らかでした。悪霊が現れると、ペク・ボンニョ姉妹は逃げ出すこと
を決めました。彼女は堕落してしまい、今日にいたるまで悔い改めに来ていません。
ほとんどの人々は預言、霊的視力、夢といった霊的賜物に激しく引き付けられます。実際、彼らはこれらの賜物のために
なら死んでもいいと思うほどでしょう。ある人々は「主の教会が知っている唯一のことは賜物を受け取り、霊にあって踊り、
悪霊を追い出すことだ」という皮肉な批評をしています。しかし、それは真実ではありません。主の教会はいつもバランス
と調和のとれたミニストリーを導いてきました。私の個人的な見解では私たちのように日曜日を聖なる日として守り、神の
言葉をしっかり守っている教会はまれだと思います。私たちは完全に日曜日を聖なる日として守ることで安息日の聖さを
守っています。私たちは日曜に個人的にお金を使うことを一切禁止しています。それでも私たちはこのことを誇るつもり
はありません。私たちはそのことを鼻にかけはしません。そうではなくて、私たちが他の教会やクリスチャンが日曜日の
聖さを守らないのを見る時、主の心を持って彼らのためにとりなすのです。私たちは彼らを責めたりはしません。私たち
は実際彼らに憐みの心を持ち、いつの日か日曜日を聖なる日として守ってくれるように切に願っているのです。
キム牧師:愛する主よ、私がリバイバル集会を導いた教会から来た人々や私たちの教会で霊の目を開かれた人々の中
に間違ったことを言っている人々がいます。私は彼らがそんなことを言っているのは霊的識別が適切にできていないから
だと思います。さらに、彼らは天使にも男性、女性という性別があると言っています。彼らはまた父なる神は男性だと信じ
ています。誰かが彼らにどこで霊的視力を得たのかと尋ねると、彼らは主の教会で霊の目が開かれたと言います。彼ら
は私たち主の教会での彼らの誤った神学や信仰について非難しているのです。
愛する主よ、私は霊的識別のために現実的な解決や計画を考えなければならないと思います。主よ、どうか私によい解
決を与えて下さい。どうか韓国の教会や賜物を受けた人々が混乱しないように私にアドバイスを与えて下さい。
イエス様:いいでしょう。人々の肉の体が成長しても、完全な安定や成熟には到達することができません。彼らは幼い子
供のようにバクテリアやウィルスにさらされたら病気にかかりやすいのです。霊的賜物を受けた多くの僕が悪魔に傷を負
わされてきました。バクテリアやウィルスは霊の領域における悪魔に似ています。キム牧師、あなたはこれらの問題を見
て、このことを敏感に察知しました。キム牧師、自分の力でなんとかしようとするのはやめなさい!あなたの霊的なミニス
トリーの中で生じる欠陥を自分の考えで埋め合わせようとするのはやめなさい。あなたがそうしようとするとたくさんの副81
作用が起きるでしょう。たとえ彼らが惑わしの霊を持っていて堕落してしまうとしても、彼ら自身が自分で犯した過ちを通
して堕落してしまったということを悟るでしょう。
地上の全ての問題や霊的な事件は神によって取り扱われます。だから、あなたの仕事はあなたに任せたミニストリーを
果たすことです。その仕事を、神を待ち望み愛する心を持って行いなさい。全ての人に触れ、支配し、成長させるのは神
です。あなたは愛の心を持って彼らの側に立ってとりなしをしなければなりません。彼らを抱き、彼らの過ちを見逃してあ
げなさい。
キム牧師:アーメン、主よ、感謝します。愛する主よ、私には本当にたくさんの悩みがあります。私たちが人々から悪霊を
追い出していないと言う人々がいます。私たちが悪霊追い出しをする時、唸り声を出したり、吐いたり、げっぷをしたりし
て悪霊を出すことがあります。しかし、この方法は必要でないという人々がいるのです。もし彼らが正しいのなら、私たち
はいつまでこのような悪霊追い出しのミニストリーを続けなければならないのでしょうか?
イエス様:あなたの観点が信仰によって生じる時、それはとても重要なことです。あなたのミニストリーはわたしによって
与えられました。だから、そのようなことに関心を持たず、耐え忍びなさい。この種のミニストリーは自分自身の決定で誰
でもできるというものではありません。悪霊の正体は力強い祈りを通してしか暴露されることはありません。議論をして疑
いを持つ人々は自分のプライドや他人に対する判断に基づいて自分自身の基準を作っているのです。彼らにはあなた
のように祈る能力はありません。彼らは自分自身の正当化や論理に落ちて行ってしまいました。さらに、彼らはあなたの
地位に嫉妬し脅かされたと感じているので妥協しようとしています。キム牧師、あなたはこのことを理解しているでしょ
う?あなたは癒された多くの哀れな魂を知っていますね。他人がどう言おうと気にしてはいけません。わたしは人々が単
に同じようなミニストリーをしているからと言って他人を批判したり裁いたりするのを喜びません。彼らは最終的には大い
なる裁きの中に落ちていくことになるでしょう。
キム牧師:愛する主よ、あなたはどうして牧師たちをそんなに厳しく取り扱われるのですか?多くの牧師たちは炎の本を
読んでとても心配しています。主よ、牧師が平信徒に戻ることは可能なのですか?
イエス様:それはできません。牧師は魂を導くリーダーです。彼らが堕落してしまったら彼らの下にいる魂たちはどうなっ
てしまうのですか?多くの牧師たちはメガチャーチの牧師なのか小さい教会の牧師なのかという優劣のために戦ってい
ます。結果として、牧師たちは互いに非難しあい、見下しあい、裁き合っているのです。わたしは僕として定め、油を注い
だ牧師たちを厳しく、完全に取り扱います。だから、牧師になる運命にある人々はいつも気をつけて歩み、自分自身を見
極めなければなりません。彼らは自分自身を固く守り、自分が堕落してしまう可能性があると言うことを認識していなけ
ればなりません。牧師が誤った方向に行った時、彼らは厳しい裁きを受けるでしょう。多くの牧師が犯すよくある間違いは
主の日を不明確にすることです。彼らは道義に反する行いをたくさんします。わたしは彼らが不法行為をしているのをよく
知っています。彼らはまた異言で話す私の民を迫害しています。彼らは「どうしてわかりもしないのに教会で異言で大声
で話すのか?」と言います。彼らはわたしの賜物の重要性や価値を理解していません。彼らはわたしと聖霊を求めてい
ると言ってわたしをばかにしているのです。彼らは有限であり、自分自身の判断基準しか知りません。聖霊を拒絶する
人々は大きな裁きを受けることになります。
キム牧師:愛する主よ、結論として私たちに最後のお言葉をください。
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